SMILEY SMILE

たましいを、
下げないように…

歓楽極まりて哀情多し

2005-07-26 23:30:03 | 偏愛
前の記事に同じく、松尾貴史さんのエッセイに、

「立川談志師匠に会いたいねんけど、紹介してくれるかなあ」

とらもさんが語ったらしい。

亡くなる数週間前に。

結局、らもさんと談志師との邂逅は実現しなかった。

らもさん、少しだけ逝くのが早かったかもしれないよ。

談志師にあってからでよかったじゃないですか。

階段から落ちるのは、対談の終わったそのすぐあとでもよかった。

このふたりに、松本人志さんを加えれば、(いや、町田康さんでも

いいかな。)戦後、無頼派の太宰さん、安吾さん、織田作が揃った

座談会、「歓楽極まりて哀情多し」の再現だったのに。

もう少しだけ、僕らに笑いを、切なさを与えて欲しかった。

欲張り過ぎかしら?



(「歓楽極まりて哀情多し」は、漢の武帝の「秋風辞」から採った

座談会のタイトル。)

羞恥心

2005-07-26 16:01:59 | 
「酒というものは、それら(注:親友だとか性悪女)自分の中の他者と

 対話するための「言葉」のようなものだろう。」~中島らも


情けない話だ。

でもそんな情けない自分・・・。

仕方ない。

「酒や煙草というものが、口唇性欲から離脱できない小児的大人の自

 慰行為にほかならない」~らも

あ、フロイトね。わかってますよ。わかちゃいますがね、もう遅い!

てな感じだろう、らもさんも。

煙草も酒も恥かしいものだ。

すまして、気取って、ブランデーなんかを飲んだり、

カッコよく煙草をふかしてみたり、(私は煙草は吸わないけど)

考えてみれば、恥かしい。

言ってしまえば、食べることだって、恥かしい。

人と一緒にごはんを食べるなんて、恥かしくない?

ましてや、ふたりきりで、なんてことになったら、シラフではいられ

ないでしょう?

そういう意識をどこかで持っていないと、カッコ悪い。

「気取ったってダメですよ」って太宰さんも言ってる。

斯く言う太宰さんが一等、見栄坊だったりするんだけどね。

私だって、そうだ。

でも、カッコ悪い自分を誤魔化すくらい恥ずかしいことはない。








子ども+α=大人

2005-07-26 13:27:24 | 
おもしろいのは、大人というのは子どもが大きくなって、まったく性質

のちがう「大人」というべつの人間になるのではないということです。

大人には、子どもの部分がまるごと残っています。子どもにいろんな要

素がくっついたのが大人なのです。

~中島らも 『お父さんのバックドロップ』あとがき


的確!なんて的確な説明なんでしょう。この本自体、子どもに向けて書

かれたものですが、今、自分がどうやら大人になりかけて感じているこ

とをかなり正確に指摘してくれていると思う。子どもの頃、思い描いて

いた30歳は少なくともこんな姿ではなかった・・・。良くも悪くも、と

言うことなのなもしれない。

「このままじゃいけない」と

「このままでいたい」との葛藤。

訳知り顔への嫌悪と、のほほん顔への苛立ち

でも、どうやら、らもさんの言う通り、大きくなった子どものままで行

きそうだ。親を見てもそう思うようになった。わかることが多くなれば

多くなるほど、この理解は深まる。

素敵な大人はたくさんいる。

そんな人に私もなりたいし、なれるような気もする。

勇気と、潔さとを兼ね備えたおっちょこちょいで、可愛げのある大人に

なりたい。

二度の死

2005-07-26 11:29:06 | 
人は二度、死ぬ。

一度目は、肉体の死。

二度目は、残された人々からその人の記憶が消えたとき。

こんな話を最近、三谷幸喜さんと、らもさんからほぼ同時に知った。


そうだね、そうだね。

人は簡単に死なないんだね。

らもさん・・・

2005-07-26 03:51:55 | 偏愛
「人間の実相は刻々と変わっていく。無限分の一秒前よりも無限分の

一秒後には、無限分の一だけ愛情が冷めているかもしれない。だから

肝心なのは、想う相手をいつでも腕の中に抱きしめていることだ。

ぴたりと寄りそって、完全に同じ瞬間を一緒に生きていくことだ。

二本の腕はそのためにあるのであって、決して、遠くからをサヨナラ

の手を振るためのものではない。」




ロマンチックだね、らもさん。

貴方の不在は、私のココロの中に何とも言い難い、切ない影を落とし

続ける。

太宰、談志、らも、どうも私は「破天荒な生」に憧れているところが

あるようだ。


そかそか

2005-07-26 03:47:32 | 
多数の個に分かれていればそれらは一部生き残り、適者生存して地

球の状況にビビットに対応しながら進化していくことができる。我々

が個に分断され、死の因子を遺伝子の中にプログラムされているのは

まさにこのためである。種としてのフレキシビリティを保つためには

全体を有限な個によって構成しなければならない。我々の死、つまり

個々の不連続が全体の連続を支えているのだ。その意味では我々は

「永遠に死なない」と考えても誤りではない。


~中島らも 「人は死ぬとどうなるのか」


とてもしっくりくる。

そうか、そうか、なっとく。

個と種。

連続と不連続。

効率は悪いけれど、これが種としての意志なんだろう。

らもさん、これでだいぶ楽になりましたよ。





らも、逝く

2005-07-26 03:22:51 | 
らもさんが、死んだ。

好きでしたよ、らもさん。

あなたのように「誠実」に生きることができたら、と思います。

よくぞ、ここまで、生きてくれました。

階段から落ちて・・・、なんて、出来すぎですよ。



これから、私は、幾人の人を失っていくのだろう。

そして、その人の魂を引き継いで、一緒に生きていくことになるのだろ

う。

失った悲しみ。

でもこれは、受け継いだ、取り込んで一体になった悦び、としよう。


これ呑んで『ロカ』を読もう

2005-07-26 02:43:34 | 
てな訳で、これ呑んで読書。

カステルベッキオ、これもまた手軽なテーブルワイン、あ、イタリア

だからVINO DA TAVOLAかな。

表参道の「バンブー」っていうカフェがあるんですが、そこにも置いて

あるらしいです。懐かしい・・・。最近行ってないなぁ。

バンブー=竹。なんだか親近感があるんですよね♪