没後80年小林多喜二と現代/松澤信祐/1/なぜ今も読まれ続けるのか
小林多喜二受容・顕彰の歴史は多彩で長い。多喜二の命日にあたる1962年2月20日、秋田県多喜二祭が開催され、現在までほぼ例年行われ、東京、小樽、大館、伊勢崎をはじめ各地でも年々盛んになっている。
大衆化に寄与
1931年多喜二が「オルグ」を書いた神奈川県七沢温泉福元館は、危険人物として手配されていた多喜二をかくまったばかりでなく、戦後も多喜二の記念品を残し、思い出を語り伝えてきた。近年、愛読者によって発掘され話題になった。似た例は他にも多い。
白樺文学館多喜二ライブラリー(佐野力館長)は、2003年多喜二生誕100年を記念して設立され、多喜二シンポジウム開催、多喜二関係出版事業、多喜二研究支援などを精力的に展開して、多喜二文学の大衆化に寄与した。
とくに2003年、第1回国際シンポジウムは、国内外の研究者を集めて東京で開催され、翌年には第2回が行われた。
その後、05年に中国河北大学(第3回)、08年に英国オックスフォード大学(第4回)、12年に小樽商大(第5回)でも行われ、多喜二が国際的にも高く評価、愛読されて、普及していることを実証した。
「蟹工船」化が
近年、新自由主義により、先進資本主義国で「構造改革」「規制緩和」による非正規労働者が激増し、日本でもこの10年間で、正社員440万減・非正規社員660万人増、それに伴う労働現場での無法化、「蟹工船」化が顕著になった。
多年の多喜二文学受容の歴史に加えて、こうした社会状況下で、2007年頃から「蟹工船」ブームが始まり、書店店頭に文庫本『蟹工船』が平積みされ、メディアでも「蟹工船」ブームが大きく報道される事態となった。
2008年小樽商大・白樺文学館多喜二ライブラリー共催「蟹工船」エッセーコンテスト(応募117編)には多様な意見が見られた。①「蟹工船」の世界は昔のことではない。今起こっていることである。②そうした中で「団結」の意味を認識したという2点に集約でき、しかも、現状での「団結」の困難さと、それを打開する意志を表明したものが目立ったとのことである(選考委員会総評)。さらに加えるなら、「(人間として)生きるための必読の書である」とのべた入選作が多かった。
姿がリアルに
多喜二文学の魅力の主だったもの(他にも無数にあるが)を箇条書きしてみよう。
当時の社会状況の下での小作農民、労働者のたたかう姿がリアルに描かれていて、自分もその一人に仲間入りしたように感じられる。まるで映画を見ているように臨場感があり、テンポよく展開して作品世界に入り込む。巧みな比喩表現に加えて、東北・北海道の方言が多用されて、郷土への愛着などが直接伝わってきて親近感を持つ。当時の天皇制権力の醜悪な実態や、社会の諸矛盾を教えられ、社会変革のたたかいへの決意や展望を与えられる。
(まつざわ・しんすけ 文教大学名誉教授・日本近代文学)
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