<記録>
コレクションによる企画展
プロレタリア作家の世田谷 ― その文学と交友
平成15年1月18日(土)~3月30日(日)
昭和13年、中野重治は世田谷豪徳寺に居を構えた。
近隣には徳永直、橋本英吉、間宮茂輔、壷井繁治、黒島伝治、細田民樹、手塚英孝らプロレタリア文学の旗手たちが住んで創作活動を行っていた。
作家たちは戦時色が強まり思想弾圧が激化した時代に、自らが信ずる社会変革を作品にあらわしながら、ともに世田谷の地で過ごしていたのです。
「種蒔く人」「文藝戦歌」など日本のプロレタリア文学運動を実践する雑誌が活動の拠点となり、平林たい子「施療室にて」(「文藝戦線」昭和2年9月)、中野重治「春さきの風」(「戦旗」昭和3年8月)、徳永直「太陽のない街」(「戦旗」昭和4年6月~11月)など作家たちの代表作が次々に発表されました。
中野重治の盟友、佐多稲子も中野に勧められて、デビュー作「キャラメル工場から」を「プロレタリア芸術」(昭和3年2月)に発表し作家活動を開始する。
同コレクション展では、世田谷に住んだ若き作家たちが全存在を賭けて描いた作品と、彼らの交友にまつわるエピソードを、雑誌、書簡、原稿など約100点の資料で紹介。
なお、同展は、地下の機関紙活動を描いた小説「虱」(「ナップ」昭和6年4月)や、戦後は小林多喜二・宮本百合子研究に尽力した評論家手塚英孝のご子息、手塚節造氏より英孝所蔵の貴重なプロレタリア雑誌の寄贈で実現したもの。
コレクションによる企画展
プロレタリア作家の世田谷 ― その文学と交友
平成15年1月18日(土)~3月30日(日)
昭和13年、中野重治は世田谷豪徳寺に居を構えた。
近隣には徳永直、橋本英吉、間宮茂輔、壷井繁治、黒島伝治、細田民樹、手塚英孝らプロレタリア文学の旗手たちが住んで創作活動を行っていた。
作家たちは戦時色が強まり思想弾圧が激化した時代に、自らが信ずる社会変革を作品にあらわしながら、ともに世田谷の地で過ごしていたのです。
「種蒔く人」「文藝戦歌」など日本のプロレタリア文学運動を実践する雑誌が活動の拠点となり、平林たい子「施療室にて」(「文藝戦線」昭和2年9月)、中野重治「春さきの風」(「戦旗」昭和3年8月)、徳永直「太陽のない街」(「戦旗」昭和4年6月~11月)など作家たちの代表作が次々に発表されました。
中野重治の盟友、佐多稲子も中野に勧められて、デビュー作「キャラメル工場から」を「プロレタリア芸術」(昭和3年2月)に発表し作家活動を開始する。
同コレクション展では、世田谷に住んだ若き作家たちが全存在を賭けて描いた作品と、彼らの交友にまつわるエピソードを、雑誌、書簡、原稿など約100点の資料で紹介。
なお、同展は、地下の機関紙活動を描いた小説「虱」(「ナップ」昭和6年4月)や、戦後は小林多喜二・宮本百合子研究に尽力した評論家手塚英孝のご子息、手塚節造氏より英孝所蔵の貴重なプロレタリア雑誌の寄贈で実現したもの。