「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

「工場細胞」/多喜二の女性への温かい視点

2013-03-07 00:12:18 | つぶやきサブロー

没後80年小林多喜二と現代/5/宮本阿伎/「工場細胞」/女性への温かい視点

 小林多喜二はその初期から積極的に生きる女性を描いているが、「工場細胞」(1930年)において初めて、一企業内の組織的な労働運動に参加し、〝みずからたたかいの組織者となっていく〟女性の工場労働者の姿を描いた。


 作品の完成後、編集者佐藤績宛の手紙に、「作品は『工場細胞』と共産党とが結びついた『三・一五』以後の日本の左翼運動を描いて居ります。それは『企業の集中』による一産業資本家の没落を背景にして『工場委員会』の自主化への闘争として描かれています」(30年3月3日付)と多喜二は書いているが、近代的な大工場における共産党の細胞(現在の支部)の結成と活動、および深まってゆく経済恐慌を背景とする「産業合理化」のもとでの、労働者の生活とたたかいを描いた小説である。

多彩な労働者群像
 モデルとした北海製罐倉庫株式会社(当時の名称)への丹念な調査をもとに、多喜二が克明に描きだした工場内部の描写は迫真力に満ち、主題を担うオルグの河田と石川、職工の森本、鈴木、女工のお君とお芳の主要人物のほかにも、多彩な工場労働者の群像が描かれている。

 女性描写の意義に限り触れるが、第一に、多喜二は女性解放の視点を重視した階級作家であることをこの作品で芸術形象をもち先鋭に示したことである。「資本主義化」された工場における「女工」の扱いへの形象である。「産業合理化」のもとで、テーラー・システムの徹底がはかられ、「賃金の高い熟練工を使わずに、婦女子で間に合わすことが出来ないか」など、「彼等は『世界』と歩調を合せて、方策を進めていた」と例えば描かれている。今日のグローバリズムを思わず想起する。

 また「働いているものは機械しかないのだ。コンヴェイヤーの側に立っている女工が月経の血をこぼしながらも、機械の一部にはめ込まれている『女工という部分品』は、そこから離れ得る筈がなかった」という表現、さらに、女工がいつのまにか増加し、「工場一般の賃金が眼に見えない位ずつ低下していた」などの描写にいたると、現代のワーキングプアや非正規雇用の現実にますます思いをはせずにはいられない。

貧困から目離さず
 第二は、冒頭に触れた女性像のことである。お君は、コケティッシュな振る舞いで男工の気を引く女工として登場してくるが、お芳が工場のなかで淫売をしていると友達に告げ口されると、「悪いのは一家四人を養って行かなければならない女の人じゃなくて――一日六十銭よりくれない会社じゃない?」とお芳をかばう。

 小説を初めて書いて以来、貧困がもたらす女性の悲惨な現実から目を離せなかった多喜二は、ここでもお君の義?心を描かずにはいられなかったのだろう。細胞の仕事を受け持ち、二人はそれぞれの成長を遂げるが、小説の山場である工場大会で、お君はお芳を壇上に上がらせる。それまで「女工」は社内のどんな「集会」からも除外されていたと書くことを多喜二は忘れていない。女性とともに社会進歩への道を歩むことを心から願っていたからに違いない。
 (みやもと・あき 多喜二・百合子研究会運営委員)
 (おわり)
( 2013年02月26日,「赤旗」)


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