1921(大正10)年 18歳
志賀直哉「暗夜行路」、前田河廣一郎「三等客船」
2月、『素描』の廃刊後、習作の原稿をミシンでつづった「生れ出ずる子ら」を回覧して批評をもとめた。この年4集を発行。3月24日、小樽商業を卒業。
5月5日、伯父の援助で小樽高等商業学校(現国立小樽商科大学。商学部だけを置く国立大学ただ一つの商科系単科大学)に入学。新富町の伯父の家を去り、若竹町18番地の自宅から通学。
かわりに三吾が奉公をはじめる。
★『小説倶楽部』に投稿をはじめ、8月号に短編小説「祖母の遺言」が選外佳作となる。秋頃から暗夜行路」前編を連載開始した志賀直哉の文学を学びはじめる。
『生れ出ずる子ら(一)』に、小品「真夏の病院」「トランプ」、『生れ出ずる子ら(二)』に、「汽車の中で」スケッチ感想「疑惑と開拓」〈8.16〉、「姉妹」〈8.16〉。
10月『種蒔く人』東京版創刊。
★「老いた体操教師」が『小説倶楽部』10月号に掲載。
★「スキー」(国民新聞 21年10月30日付)。
※小林多喜二の小説を発見 「作家のスタート地点」
北海道小樽市立小樽文学館は21日、日本プロレタリア文学を代表する作家小林多喜二(1903~33年)が小樽高等商業学校(現小樽商科大)在学中の18歳の時に「国民新聞」に投稿し、掲載された全集未収録の小説が見つかったと発表した。
小樽文学館は「完成した小説としては最初期の作品で、作家生涯のスタート地点と言っても過言ではない」と評価。館報に収録し、公表する。
文学館によると、小説のタイトルは「スキー」。400字詰め原稿用紙6枚半の短編。日露戦争で負傷した高齢の体操教師が主人公で、社会的弱者に寄せる多喜二の思いが伝わる。新聞は21年10月30日付。
事実上のデビュー作で、「小説倶楽部」(21年10月号)掲載の「老いた体操教師」とほぼ同時期に書かれ、主人公のモデルが共通している。
政治思想史を専攻する岡山大の大学院生が昨秋、偶然発見。「全集未収録の作品ではないか」と問い合わせを受けた文学館が調査していた(共同通信 2010.4.21)。
「ある嫉妬」が『小説倶楽部』12月号に選外佳作。
1922(大正11)年 19歳
有島武郎「宣言一つ」
1月発行『校友会々誌』第23号に、翻訳「ダニーエルと夢」
2月発行『校友会々誌』第24号に小説「悩み」、『小説倶楽部』3月号に「龍介と乞食」の小説が選外佳作当選。
4月、小樽高商校友会誌の編集委員にえらばれる。
小説「正当不正当」『小説倶楽部』6月号(選外佳作)。
6月発行『校友会々誌』第25号にバルビュス著の翻訳「The Presence」。
7月15日 日本共産党創立。
7月17日 姉チマが佐藤藤吉と結婚。
大熊信行・小樽高商教授を知る。
島田正策『自画像』の序文、「島田正策『自画像』によせて」(8・21)
11月発行『校友会々誌』第27号に、バルビュス著の翻訳「運命?」
『新興文学』11月創刊号に、「龍介とS子」(予選入選)
『新興文学』12月号に、「春ちゃんの場合」(予選入選)。
「兄」『文章倶楽部』12月号に当選。
「健」〈10月〉が『種蒔く人』とつながりのある『新興文学』(23年1月号)に当選(選は宮島新三郎)。
森鴎外死去。有島武郎北海道農場を開放。
1923(大正12)年 20歳
3月発行『校友会誌』(第28号)に、小説「継祖母のこと」<2月>、詩「ある時のわれ」を発表。第28~第32号までの「編纂余録」の編集後記を担当。
「薮入」〈4月〉を、『新興文学』(7月号)に応募・当選。
6/9、有島武郎は、婦人公論記者で人妻であった波多野秋子と軽井沢の別荘で心中。『白樺』8月廃刊。
『新興文学』を編集発行していた、伊藤(つとむ)へ『新興文学』休刊を惜しむ書簡(8/25)。
関東大震災(9/1) 9/2戒厳令。亀戸事件、「朝鮮人が暴動をおこす」との流言から多数の朝鮮人、中国人を虐殺。3日に平沢計七、川合義虎ら社会主義者らをとらえ処刑した。
9/16大杉事件
10月発行『校友会々誌』第30号に、小説「ロクの恋物語」〈10月〉
11月発行『新樹』第3集に、評論「歴史的革命と芸術」〈10・20〉
11月、高商の関東震災義損外国語劇大会で、メーテルリンクのフランス語劇「青い鳥」に、一学年下の伊藤整(後に作家)とともに出演。
★山崎今朝弥、新井紀一、伊藤宛に、亀戸事件の犠牲者・平沢計七を悼む書簡(12/15)
『文芸春秋』創刊。
1924(大正13)年 21歳
宮沢賢治『春と修羅』(関根書店)
志賀直哉宛書簡(1月)=「すっかりご無沙汰してしまいました…貴方の「雨蛙」、貪るように読みました…」「ロクの恋物語」掲載誌とともに、高商図書館蔵書の『中央公論』1月号志賀直哉「雨蛙」に逐条的な書き込みをし、その感想を直哉に書き送る。
1月発行『新樹』第4集に、評論「リズムの問題」
3月発行『校友会々誌』第32号に小説「ある役割」〈1月〉。同誌に、『クラルテ』を4月創刊と予告。
高商卒業論文にアルフレッド・スートロ著戯曲「見捨てられた人」を翻訳〈1・4〉
クロポトキン『青年に訴う』第10章を翻訳〈1・24〉
高商卒業論文にクロポトキン著「パンの征服」 〈1・24〉の翻訳
1/21 レーニン死去。
高商卒業論文「自序」〈2・3〉
3月、小樽高商を卒業。同校「卒業生徒詮衡表」備考欄に「水彩画を描く 小説をカク 酒煙草を飲まず」
3月 日本共産党、解党決議。
3/10 北海道拓殖銀行に就職。札幌本店に勤務。
小林多喜二が主宰の同人誌『クラルテ』を創刊。嶋田政策、蒔田栄一、新宮正辰、戸塚新太郎、宇野長作らが同人。第一輯に、小説「暴風雨(あらし)もよい」、感想「赤い部屋」「同人雑記」 〈3月〉
6月、青野季吉・小牧近江ら『文芸戦線』創刊。『文芸時代』創刊、新感覚派運動起こる。築地小劇場開場。
6月、小樽支店為替係に配置される。7/3『クラルテ』第2輯から武田暹(すすむ)が参加。小説「駄菓子屋」、評論「修身とサウシアリズム」〈6・21〉「赤い部屋」「編集雑記」を発表。
7/13 山下秀之助(当時小樽病院産婦人科医長)主宰の短歌会原始林主催の「菊池寛文芸講演会」(札幌 豊平館)講演要旨をまとめ、『原始林』(9月号)に掲載。
8月2日、父・末松が脱腸手術後の経過が悪く、小樽病院で死去。
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9/17 『クラルテ』第3輯に「赤い部屋」「仲間雑記」
10月、不幸な境遇にあった5歳年下の田口タキ(1908年生)を知る。
評論「ユリイ嬢にあらわれたストリンドベルクの思想とその態度」〈10・14〉を書き、阿部次郎宛に書簡〈11/21〉。「先生のお話を聞き・・・三太郎日記あたりで考えていた先生よりは何となく、物静かな感を受けました。と講演の感想とともに、「ユリイ嬢にあらわれたストリンドベルクの思想とその態度」の原稿を送る。
「ある改札係」小説 不詳
志賀直哉「暗夜行路」、前田河廣一郎「三等客船」
2月、『素描』の廃刊後、習作の原稿をミシンでつづった「生れ出ずる子ら」を回覧して批評をもとめた。この年4集を発行。3月24日、小樽商業を卒業。
5月5日、伯父の援助で小樽高等商業学校(現国立小樽商科大学。商学部だけを置く国立大学ただ一つの商科系単科大学)に入学。新富町の伯父の家を去り、若竹町18番地の自宅から通学。
かわりに三吾が奉公をはじめる。
★『小説倶楽部』に投稿をはじめ、8月号に短編小説「祖母の遺言」が選外佳作となる。秋頃から暗夜行路」前編を連載開始した志賀直哉の文学を学びはじめる。
『生れ出ずる子ら(一)』に、小品「真夏の病院」「トランプ」、『生れ出ずる子ら(二)』に、「汽車の中で」スケッチ感想「疑惑と開拓」〈8.16〉、「姉妹」〈8.16〉。
10月『種蒔く人』東京版創刊。
★「老いた体操教師」が『小説倶楽部』10月号に掲載。
★「スキー」(国民新聞 21年10月30日付)。
※小林多喜二の小説を発見 「作家のスタート地点」
北海道小樽市立小樽文学館は21日、日本プロレタリア文学を代表する作家小林多喜二(1903~33年)が小樽高等商業学校(現小樽商科大)在学中の18歳の時に「国民新聞」に投稿し、掲載された全集未収録の小説が見つかったと発表した。
小樽文学館は「完成した小説としては最初期の作品で、作家生涯のスタート地点と言っても過言ではない」と評価。館報に収録し、公表する。
文学館によると、小説のタイトルは「スキー」。400字詰め原稿用紙6枚半の短編。日露戦争で負傷した高齢の体操教師が主人公で、社会的弱者に寄せる多喜二の思いが伝わる。新聞は21年10月30日付。
事実上のデビュー作で、「小説倶楽部」(21年10月号)掲載の「老いた体操教師」とほぼ同時期に書かれ、主人公のモデルが共通している。
政治思想史を専攻する岡山大の大学院生が昨秋、偶然発見。「全集未収録の作品ではないか」と問い合わせを受けた文学館が調査していた(共同通信 2010.4.21)。
「ある嫉妬」が『小説倶楽部』12月号に選外佳作。
1922(大正11)年 19歳
有島武郎「宣言一つ」
1月発行『校友会々誌』第23号に、翻訳「ダニーエルと夢」
2月発行『校友会々誌』第24号に小説「悩み」、『小説倶楽部』3月号に「龍介と乞食」の小説が選外佳作当選。
4月、小樽高商校友会誌の編集委員にえらばれる。
小説「正当不正当」『小説倶楽部』6月号(選外佳作)。
6月発行『校友会々誌』第25号にバルビュス著の翻訳「The Presence」。
7月15日 日本共産党創立。
7月17日 姉チマが佐藤藤吉と結婚。
大熊信行・小樽高商教授を知る。
島田正策『自画像』の序文、「島田正策『自画像』によせて」(8・21)
11月発行『校友会々誌』第27号に、バルビュス著の翻訳「運命?」
『新興文学』11月創刊号に、「龍介とS子」(予選入選)
『新興文学』12月号に、「春ちゃんの場合」(予選入選)。
「兄」『文章倶楽部』12月号に当選。
「健」〈10月〉が『種蒔く人』とつながりのある『新興文学』(23年1月号)に当選(選は宮島新三郎)。
森鴎外死去。有島武郎北海道農場を開放。
1923(大正12)年 20歳
3月発行『校友会誌』(第28号)に、小説「継祖母のこと」<2月>、詩「ある時のわれ」を発表。第28~第32号までの「編纂余録」の編集後記を担当。
「薮入」〈4月〉を、『新興文学』(7月号)に応募・当選。
6/9、有島武郎は、婦人公論記者で人妻であった波多野秋子と軽井沢の別荘で心中。『白樺』8月廃刊。
『新興文学』を編集発行していた、伊藤(つとむ)へ『新興文学』休刊を惜しむ書簡(8/25)。
関東大震災(9/1) 9/2戒厳令。亀戸事件、「朝鮮人が暴動をおこす」との流言から多数の朝鮮人、中国人を虐殺。3日に平沢計七、川合義虎ら社会主義者らをとらえ処刑した。
9/16大杉事件
10月発行『校友会々誌』第30号に、小説「ロクの恋物語」〈10月〉
11月発行『新樹』第3集に、評論「歴史的革命と芸術」〈10・20〉
11月、高商の関東震災義損外国語劇大会で、メーテルリンクのフランス語劇「青い鳥」に、一学年下の伊藤整(後に作家)とともに出演。
★山崎今朝弥、新井紀一、伊藤宛に、亀戸事件の犠牲者・平沢計七を悼む書簡(12/15)
『文芸春秋』創刊。
1924(大正13)年 21歳
宮沢賢治『春と修羅』(関根書店)
志賀直哉宛書簡(1月)=「すっかりご無沙汰してしまいました…貴方の「雨蛙」、貪るように読みました…」「ロクの恋物語」掲載誌とともに、高商図書館蔵書の『中央公論』1月号志賀直哉「雨蛙」に逐条的な書き込みをし、その感想を直哉に書き送る。
1月発行『新樹』第4集に、評論「リズムの問題」
3月発行『校友会々誌』第32号に小説「ある役割」〈1月〉。同誌に、『クラルテ』を4月創刊と予告。
高商卒業論文にアルフレッド・スートロ著戯曲「見捨てられた人」を翻訳〈1・4〉
クロポトキン『青年に訴う』第10章を翻訳〈1・24〉
高商卒業論文にクロポトキン著「パンの征服」 〈1・24〉の翻訳
1/21 レーニン死去。
高商卒業論文「自序」〈2・3〉
3月、小樽高商を卒業。同校「卒業生徒詮衡表」備考欄に「水彩画を描く 小説をカク 酒煙草を飲まず」
3月 日本共産党、解党決議。
3/10 北海道拓殖銀行に就職。札幌本店に勤務。
小林多喜二が主宰の同人誌『クラルテ』を創刊。嶋田政策、蒔田栄一、新宮正辰、戸塚新太郎、宇野長作らが同人。第一輯に、小説「暴風雨(あらし)もよい」、感想「赤い部屋」「同人雑記」 〈3月〉
6月、青野季吉・小牧近江ら『文芸戦線』創刊。『文芸時代』創刊、新感覚派運動起こる。築地小劇場開場。
6月、小樽支店為替係に配置される。7/3『クラルテ』第2輯から武田暹(すすむ)が参加。小説「駄菓子屋」、評論「修身とサウシアリズム」〈6・21〉「赤い部屋」「編集雑記」を発表。
7/13 山下秀之助(当時小樽病院産婦人科医長)主宰の短歌会原始林主催の「菊池寛文芸講演会」(札幌 豊平館)講演要旨をまとめ、『原始林』(9月号)に掲載。
8月2日、父・末松が脱腸手術後の経過が悪く、小樽病院で死去。
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9/17 『クラルテ』第3輯に「赤い部屋」「仲間雑記」
10月、不幸な境遇にあった5歳年下の田口タキ(1908年生)を知る。
評論「ユリイ嬢にあらわれたストリンドベルクの思想とその態度」〈10・14〉を書き、阿部次郎宛に書簡〈11/21〉。「先生のお話を聞き・・・三太郎日記あたりで考えていた先生よりは何となく、物静かな感を受けました。と講演の感想とともに、「ユリイ嬢にあらわれたストリンドベルクの思想とその態度」の原稿を送る。
「ある改札係」小説 不詳
♪少し前から・書込みながら、このブログを開くようにしています。(勉強になります。)
前田河と同じ年に生れた盟友の橋浦泰雄氏を知りました。(大月源二の師匠で、山宣のデスマスクを描いた人)
多喜二の関係者(盟友)がどんどん時系列に広がっていきます。
このブログを知って(偶然ですが)嬉しかったです。
では♪