善導大師自画像をこのままにしておくのは日本の仏教界いや日本の国にとって大きな損失だと思うけど、善導大師を題材にした文化財って腐るほど・・・いや数え切れないほどあるそうで、それほど貴重に思われてないみたいなんだよね。
これから、みんなが研究してくれる手がかりを残しておくからがんばってね。
●自画像の特徴(このサイトの画像は江戸期に模写されたものです) |
▲人物(善導大師)の上空に阿弥陀仏が画かれています。 ▲善導大師が、南無阿弥陀仏という念仏を唱えると、阿弥陀仏が現れたといわれています。 ▲阿弥陀仏が規則正しく整列している。 ▲阿弥陀仏の数はいくつかパターンがありますが、5体であることに注目しています。 |
![Amida_2 Amida_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/c9/99a897e95ff40bbdc8f00cd7c57c0818.jpg) |
■独断と偏見その1 円仁が唐の五台山竹林寺で学び、日本へ伝えたといわれる五会念仏を表しているのではないかと推理しています。 |
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▲大師は念仏を唱えているので、口が開いており、手は合掌しています。 ▲視線は、阿弥陀仏を見上げるのではなく、ほぼ正面を見つめているようです。 ▲右(東方)を向いている。(西方浄土から、衆生を迎える姿と言われています。) ▲爪が伸びています。 |
■独断と偏見その2 日本的な、いわゆる、こぎれいなお坊さんの姿ではなく、修行僧のような凄みのある姿です。 |
▲歩いています。(右足のポーズに特徴があります。) ▲半金色(下半身が金色に輝く姿)ではありません。 |
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■独断と偏見その3 信仰の対象として理想化される以前の写実的な表現がみられます。 また、大師の独特の姿勢は、念仏を唱えながら、阿弥陀仏の周辺を回る、 「常行三昧」という修行の姿をあらわしているのではないかと推理しています。 |
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