藍の館
阿波十郎兵衛屋敷
徳島で藍の産業が発展したのは吉野川の氾濫により、稲作が度々被害をうけたため、
水害の季節が来る前に収穫できる作物が導入されたこと、
藍作には多くの労働力が必要なため、近隣の村からも多くの労働力が流入し、
その労働者の慰労として人形浄瑠璃が導入されたことなど、
ぱくっとした印象しか残っていないが、とてもわかりやすく説明していただきました。
西宮で発祥したものが、阿波方面と文楽方面へ分岐していった話もおもしろかった。
もともと阿波藩であった淡路島が、兵庫に編入されるはなしも興味深い。
生の人形浄瑠璃を鑑賞できたのもよかった。