2019年1月9日(水)
「横井小楠とその時代展」は、熊本城二の丸広場にある熊本県立美術館で開催されています。


横井小楠と福井藩の交流を中心に、次の展示内容になっています。
第1章 横井小楠と福井藩の出会い
第2章 横井小楠の福井藩での活躍
第3章 横井小楠と松平春嶽
第4章 福井藩より帰熊、沼山津へ蟄居
終章 小楠、明治維新の参与となる
横井小楠記念館や永青文庫が所蔵しているものの他、福井県立図書館、福井県立歴史博物館、福井市立郷土歴史博物館、山中湖村教育委員会、山中湖文学の森、徳富蘇峰記念館などが収蔵している資料が数多く展示してあります。
横井小楠は①肥後・熊本藩へ他から登用の要請、②熊本藩が要請を断る、③再度の強い要請、④熊本藩しぶしぶ認める、というのを2度経験しています。
1度目は、福井藩主・松平春嶽が、嘉永6年のペリー艦隊の来航で対外情勢が緊迫するなか藩内の人材育成に藩校「明道館」を設立し、教官として横井小楠を招聘しようとします。
2度目は、明治新政府発足に当たり設けた総裁、議定、参与という三職の参与として岩倉具視が強く要請します。
福井藩との交流が中心の今回の展示では、松平春嶽が、義父である熊本藩主・細川斉護に送った2度の書簡を見ることができます。
1回目の書簡(安政4(1857)年8月12日付け)では、福井藩の事情を説明し、小楠はこれまでも福井藩で講義をしたことがあり、藩内では知られた人物なので、支障が無ければ小楠を貸してほしいとお願いしています。この時は松平春嶽が江戸の熊本藩邸に直接持参しますが、江戸詰の家老が留守だったため、翌日、藩用人を派遣し書簡を渡します。
細川斉護はこの要望を謝絶します。
諦めない松平春嶽は、2回目の書簡(安政4年12月25日付け)4mを超える長文で、小楠招聘を切望します。
ようやく細川斉護も横井小楠を貸し出すことを許可します。
他藩へ赴任する時も辞令書(安政5年2月29日付け)が出るんですね。
当時の辞令書はもともとこのような文章だったのかもかもしれませんが、経緯を知ると、迷惑そうな、しぶしぶとの気持も出ているように感じられます。
熊本を出発した横井小楠が信濃国・上田藩士の桜井純蔵に宛てた書簡(安政5年4月3日付け)では、京都で福井藩の橋本左内と会ったことなどが記されています。橋本左内は、安政6年10月7日、安政の大獄で刑死。偶然に会ったのでしょうか、どんな話をしたのでしょうか???
興味津々の展示が続きます。
酒好きの横井小楠が所用した盃や瓶子なども展示してあります。

本展示は3月24日まで開催。
球磨焼酎の高橋酒造が協賛しています。私の晩酌も敬意を表してこちらになった。

◇横井小楠については下記を見て下さい。
「横井小楠ホームページ」
「横井小楠とその時代展」は、熊本城二の丸広場にある熊本県立美術館で開催されています。


横井小楠と福井藩の交流を中心に、次の展示内容になっています。
第1章 横井小楠と福井藩の出会い
第2章 横井小楠の福井藩での活躍
第3章 横井小楠と松平春嶽
第4章 福井藩より帰熊、沼山津へ蟄居
終章 小楠、明治維新の参与となる
横井小楠記念館や永青文庫が所蔵しているものの他、福井県立図書館、福井県立歴史博物館、福井市立郷土歴史博物館、山中湖村教育委員会、山中湖文学の森、徳富蘇峰記念館などが収蔵している資料が数多く展示してあります。
横井小楠は①肥後・熊本藩へ他から登用の要請、②熊本藩が要請を断る、③再度の強い要請、④熊本藩しぶしぶ認める、というのを2度経験しています。
1度目は、福井藩主・松平春嶽が、嘉永6年のペリー艦隊の来航で対外情勢が緊迫するなか藩内の人材育成に藩校「明道館」を設立し、教官として横井小楠を招聘しようとします。
2度目は、明治新政府発足に当たり設けた総裁、議定、参与という三職の参与として岩倉具視が強く要請します。
福井藩との交流が中心の今回の展示では、松平春嶽が、義父である熊本藩主・細川斉護に送った2度の書簡を見ることができます。
1回目の書簡(安政4(1857)年8月12日付け)では、福井藩の事情を説明し、小楠はこれまでも福井藩で講義をしたことがあり、藩内では知られた人物なので、支障が無ければ小楠を貸してほしいとお願いしています。この時は松平春嶽が江戸の熊本藩邸に直接持参しますが、江戸詰の家老が留守だったため、翌日、藩用人を派遣し書簡を渡します。
細川斉護はこの要望を謝絶します。
諦めない松平春嶽は、2回目の書簡(安政4年12月25日付け)4mを超える長文で、小楠招聘を切望します。
ようやく細川斉護も横井小楠を貸し出すことを許可します。
他藩へ赴任する時も辞令書(安政5年2月29日付け)が出るんですね。
当時の辞令書はもともとこのような文章だったのかもかもしれませんが、経緯を知ると、迷惑そうな、しぶしぶとの気持も出ているように感じられます。
熊本を出発した横井小楠が信濃国・上田藩士の桜井純蔵に宛てた書簡(安政5年4月3日付け)では、京都で福井藩の橋本左内と会ったことなどが記されています。橋本左内は、安政6年10月7日、安政の大獄で刑死。偶然に会ったのでしょうか、どんな話をしたのでしょうか???
興味津々の展示が続きます。
酒好きの横井小楠が所用した盃や瓶子なども展示してあります。

本展示は3月24日まで開催。
球磨焼酎の高橋酒造が協賛しています。私の晩酌も敬意を表してこちらになった。

◇横井小楠については下記を見て下さい。
「横井小楠ホームページ」