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映画と渓流釣り

キネマ旬報とボクの60年



なんとなんと、2021年の夏にはわたくし還暦60歳を迎えます

映画雑誌「キネマ旬報」の歴史には及びませんが、それなりの人生を生きてきました
そこで、生まれてからこの方、キネ旬ベストテンに選出された映画の中から、その年毎に好きな作品を選んでみました。選出された全ての映画を観ているわけではないから、当然自分が観た中からしか選べませんので歪なものになってしまいますが、それこそがわたくしが生きてきた証。選外の作品にもっと好きなものがあったりしますが、あくまでもキネ旬とわたくしの歴史という事で勘弁してもらいましょう






1961
60年前のこの年に生まれました。指折ってみると太平洋戦争終結から16年しか経っていないんですね。何だか歴史の教科書の出来事みたいです。
ここからの十年、東京五輪を経て高度成長期を迎え日本は明るい未来を信じて突き進みます。世界では東西冷戦が顕著となり人類は月への着陸を果たすまでになります。昭和元禄を象徴する大阪万博のお祭り騒ぎが遠い幻影のようです
当然、リアルタイムで鑑賞した映画はありません。テレビや名画座等で後追いした名作ばかりです
そんなこの年を代表するのは、やっぱり黒澤の「用心棒」とベルイマンの「処女の泉」でしょうか
1962
これまた黒澤「椿三十郎」チャンバラ映画のエンターテイメントの極致です。そしてベルイマン「野いちご」シュールでありながらドラマチック。アントニオーニの「夜」「情事」もこの年です
1963
デビッド・リーン「アラビアのロレンス」今、CG無しではこんな映画作れないでしょ。「鳥」は今の技術でヒチコックに作って欲しいな。子供心にすごく怖かった記憶あります
1964
勅使河原監督の「砂の女」を誰か勇気のある人がリメイクしてくれないかな。内田監督の「飢餓海峡」も設定をいじれば、現在でもすごく面白いミステリーになると思う
1965
黒澤作品で一番好きな「赤ひげ」はヒューマニズムの塊。アメリカの良識が作らせた「サウンド・オブ・ミュージック」。そしてフェリーニ自伝的傑作「8 1/2」とんでもない作品ばかり
1966
フランス映画の洒脱「男と女」日本の恋愛映画では描けない世界
1967
アメリカ南部の熱気が伝わってくる「夜の大捜査線」
1968
小学校入学です
アメリカンニューシネマ全盛期の傑作「俺たちに明日はない」「卒業」この頃のアメリカ映画は信じられるな
1969
人形浄瑠璃を映画化した異色作「心中天網島」日本文化の奥深さを教えてくれました。対極にあるような日本文化の「男はつらいよ」。山田監督には生きているうちに国民栄誉賞を受けていただきたい人です
1970
好きだった女優ジェーン・フォンダ「ひとりぼっちの青春」はニューシネマ系列のアメリカの裏側を描いた作品でした




1971
1ドルが360円じゃなくなって、世界中でオイルショック狂乱の嵐が吹き荒れました。本当にトイレットペーパーが品切れして、新聞紙でお尻拭きましたもん。沖縄が日本に返還されたり札幌五輪で日の丸三本上がったりもしたけど、あさま山荘事件とかロッキード事件とか子供心にもインパクトのある出来事が多かった
高校生になると町にひとつだけあった映画館に行ったり、ロードショーを観るため高崎や前橋まで出かけるようになりました。本格的に映画好きになったのはこの頃です
イタリアのメロドラマは「わが青春のフロレンス」で知ったと思います。オッタヴィア・ピッコロの不思議な魅力が印象深い作品です
1972
山田監督の「故郷」には高度成長期の日本が映され、「旅の重さ」には欧米化しつつある日本の若者が映されました。ニューシネマ系のペキンパー作品「わらの犬」「ジュニアボナー」物悲しい「ラストショー」も印象的ですが、「フェリーニのローマ」を観た時の衝撃が忘れられません
1973
「ジョニーは戦場へ行った」のモノクロ(現在)とカラー(過去)撮影に映像の凄さを感じました。「ポセイドンアドベンチャー」も行き過ぎた拝金主義に対するアンチテーゼを唱えているように感じます
1974
中学入学です
日本では「サンダカン八番娼館望郷」や「砂の器」が公開され、外国映画は「フェリーニのアマルコルド」「叫びとささやき」「アメリカの夜」「スティング」といった巨匠名匠の傑作が公開されてます
1975
ザ・日本映画と呼びたくなるような「祭りの準備」。フランス映画も「ルシアンの青春」という内省的な作品が公開された年です
1976
角川映画が「犬神家の一族」で日本映画を変えようとしてました。若きデ・ニーロの狂気が印象的な「タクシードライバー」でスコセッシを知りました
1977
高校入学です
「幸福の黄色いハンカチ」の高倉健は本当に良かった。「はなれ瞽女おりん」の岩下志麻といい、代表作が名作になるのってうらやましいですね。「ロッキー」のスタローンも正しくそうでした
1978
日本映画は「サード」に代表されるようなATG制作の低予算映画に傑作が集中しました。大ベテランである野村芳太郎監督の「事件」みたいな格調高い傑作も生まれています。ハリウッドでは「未知との遭遇」「スターウォーズ」といった大作が世界を席巻しました
1979
長谷川監督の「太陽を盗んだ男」は日本映画とは思えない迫力と世界観でした。リメイクして欲しいな。「旅芸人の記録」「木靴の樹」といった岩波ホール上映のミニシアター系作品も注目され始めました
1980
大学入学
新宿や渋谷に沢山あった名画座に通い詰めた頃、「クレイマークレイマー」のような正統派アメリカ映画もニュージャーマンシネマとよばれた「マリアブラウンの結婚」なんかにも夢中になりました




1981
自由であることの軽さ、そして責任を負うことの重さをそれぞれ知った十年間。親元を離れ、あてどの無い大学生時代は映画と酒飲みの生活に浸かり、時間を無駄に使う人生の贅沢を味わった時期でもあります。名画座のハシゴをして年間百本以上の映画を観続けました(無論映画館に入り浸り)。失恋もしましたが、伴侶である奥様と知り合ったのもこの頃です。社会に出て労働のシビアさを知り、また同じくらいの達成感も知ることができました。転職、結婚、長女の誕生と目まぐるしく人生の歯車が回っていた頃でした。
この年は日本映画に傾倒するきっかけになった「遠雷」「駅/STATION」。ヨーロッパ映画の奥深さを堪能した「ブリキの太鼓」「秋のソナタ」それぞれに懐かしいな
1982
「蒲田行進曲」の楽しさ「転校生」の郷愁「ET」の純真さ。みんなリアルタイムで体験したワクワク感でいっぱいです
1983
森田監督「家族ゲーム」の斬新さと市川監督「細雪」の美しさ。日本映画は多様な面白さを取り戻そうとしていました。夏目雅子の代表作「魚影の群れ」も忘れ難いな。外国映画では「ガープの世界」に感銘を受けました
1984
社会人一年目。前橋に半年住んでその後深谷に転居しました
伊丹十三「お葬式」はユニークな題材をエンターテイメントに仕上げました。薬師丸ひろ子を女優にした「Wの悲劇」も脚本が秀逸でした。「ストリートオブファイアー」のロックはかっこ良かった
1985
夏目漱石原作「それから」を端正に映画化した森田監督はその後失速してしまいました。「パリ、テキサス」の乾いた感覚も覚えてます
1986
最初の転職。三島市から国立市へ友だちを頼って移り住み、転職と共に横浜に移住します
「エイリアン2」の面白さが強烈に印象に残っています
1987
日本映画でも社会派娯楽作がヒットすることを教えてくれた「マルサの女」は痛快でした。ベトナム戦争の現場を描いて衝撃的だった「プラトーン」も忘れ難い作品です
1988
元日に婚姻届けを出しました。それなりの期間付き合っていましたが、一緒に住む安心感は大きかった
黒木監督「TOMORROW明日」が描く戦争と原爆の遣る瀬無さに日本人であることの使命感を感じます。東欧の物語「存在の耐えられない軽さ」が生きることの難しさを教えてくれました
1989
今村監督の「黒い雨」も原爆とその後の悲劇を語り、静かに涙を流すしかない市井の人々を映します。「魔女の宅急便」は宮崎作品で一番好きな映画。「ダイハード」「バベットの晩餐会」「ニューシネマパラダイス」と外国映画も豊作でした
1990
長女が誕生しました。ドキドキの育児が始まりました
日本映画「櫻の園」外国映画「ドライビング・ミス・デイジー」両作とも佳品ながら心に染みる映画です





1991
家族が作られてゆき、自分一人で始末が付く生活ではなくなりました。仕事も忙しくなり責任も重くなりはじめ、映画も音楽もアウトドアもお座成りになった十年間です。東西冷戦が終結し、湾岸戦争のような地域紛争が頻発しました。神戸の街を大地震が襲い、多くの市民が犠牲になった頃、東京ではオウムのテロが起きサリンの猛毒で多くの人が命を落としました。冬の長野でオリンピックが開催され、哀しみの日本に勇気を与えてくれたのもこの頃です
大林監督の「ふたり」は程よい少女趣味の佳作でした。「羊たちの沈黙」から犯罪映画がちょっぴり変わったような気がします。欧州の匂いがする「髪結いの亭主」も好きでした
1992
長男が誕生し、二度目の転職もした年です
周防監督会心の「シコふんじゃった」には驚きました。大学相撲部があんなに面白いコメディ映画になるなんて、才能とはそういうことなんですね
1993
チャン・イーモウ監督の「秋菊の物語」で中国映画の奥行きを感じ、「友だちのうちはどこ?」で中近東にも優れた作家がいることを知りました
1994
「ピアノレッスン」というニュージーランド産の映画は強烈な印象です。女流監督と知って、あの世界は男には描けないなと納得したものです
1995
岩井俊二「Love Letter」の切なさは雪の白さのせいでしょうか?「フォレストガンプ」の優しさは無垢な心の結晶のようです
1996
またまた周防監督が「Shall Weダンス?」で楽しませてくれました。フィンチャーは「セブン」でこれ以上ない醜悪なラストシーンを見せつけました
1997
今村監督「うなぎ」は衒いの無い愛の映画だと思います。三谷監督が念願の映画製作をした「ラジオの時間」は洒落た古の外国映画のようです
1998
アルタミラピクチャーの色がくっきり出た「がんばっていきまっしょい」は文句のない青春映画。スピルバーグのエンターテイメントとヒューマニズムが出色の「プライベートライアン」も好きです
1999
イラン映画の「運動靴と赤い金魚」は可愛かったな。シャマラン「シックスセンス」最初観た時の驚きは新鮮でした
2000
沖縄を舞台にした「ナビィの恋」、子供たちの殺し合いを深作監督がエンタメにした「バトルロワイヤル」。イーモウ監督作品「あの子を探して」「初恋のきた道」何という瑞々しさでしょう





2001
役職者となり仕事もハードな日々が続きました。一念発起してマンションを購入し、広い居間に家族みんなで戸惑っていた頃が懐かしいです。思いがけず次男にも恵まれ、家族は5人になりました。ますます映画館から足が遠のいたその頃、学生時代の友人たちがまだ沢山映画を観ていることを知り、負けじと映画館通いを復活したのもこの頃です。ニューヨークのワールドトレードセンタービルに旅客機が突っ込むテロを引き金に、海外ではきな臭い紛争が常態化してゆきました。国内ではサッカーW杯が開催され、比較的平穏な10年が続きます
若者が魅力的だった「GO」「ウォーターボーイズ」、香港の濡れた夜が美しい「花様年華」パリの石畳が素敵な「アメリ」も忘れ難い作品です
2002
マンション購入しました
山田洋次監督の優しさ溢れる傑作「たそがれ清兵衛」小泉監督が静を描いた「阿弥陀堂だより」、少年から大人への一歩を描写した「ごめん」日本映画は小さいながら良質な作品が沢山あります
2003
ハリウッドが日本から消えゆく侍をエンターテイメントに仕立て上げた「ラストサムライ」、これを機に渡辺謙は一躍世界的なスター俳優となってゆきます
2004
是枝監督と出会った「誰も知らない」才気溢れる中島監督の「下妻物語」矢口監督「スウィングガールズ」は拍手喝采の青春映画でした。ポン・ジュノ監督作品「殺人の追憶」もこの年です
2005
次男が生まれ、賑やかな家族になりました
独特な笑いを提供してくれる山下監督の「リンダリンダリンダ」。ルーカス主導のスターウォーズサーガ完結も懐かしいですね
2006
「嫌われ松子の一生」で中谷美紀は本物の女優になった気がします。「かもめ食堂」のような佳品がいつまでも作られ続けられるといいですね。イーストウッドが「硫黄島からの手紙」で旧日本軍を描きました。「ブロークバックマウンテン」の愛に涙したのは自分でも驚きです
2007
「天然コケッコー」「しゃべれどもしゃべれども」「夕凪の街桜の国」みんな小品なのに心に残り続ける名作です。原爆症で死にゆく麻生久美子の儚げな美しさと、月がとっても青いからの切なさがたまりません
2008
アカデミー外国語映画賞を受賞した「おくりびと」は日本人らしい細やかな作品でした。同じく「歩いても歩いても」の家族もやはり日本人らしい繊細さを見せてくれます
2009
西川美和監督の傑作「ディアドクター」には吃驚しました。地域医療の貧困さと共に人間の本質を抉ろうとする視点に感服です。「グラントリノ」も老いてなお力強いイーストウッドを印象付けた作品です
2010
「十三人の刺客」はチャンバラ映画のエンターテイメントを存分に味わえる娯楽作です。韓国映画「息もできない」のような魂を揺さぶられる映画は日本で作るのは難しいのでしょうか





2011
単身赴任で名古屋生活を4年送ったことは、あまり変化のない生活に刺激的な出来事でした。今度こそはと思っていた地元横浜勤務の夢も叶わず、会社員としても役職定年となり第一線から振い落されました。長女が結婚して家を出てゆき、家族は4人になります。それぞれの部屋に籠り単なる共同生活の場所となりました
自分の時間が増えた分、趣味の料理、魚釣り、読書、散歩、そして映画鑑賞の時間を満喫できる余裕も生まれました。日本人の人生観を変えるような東日本大震災は、人の命だけじゃなく街も自然も文化さえ根こそぎ津波に呑んでいきました。平成が終わりを告げ、令和の御代の始まりです
園子温監督の「冷たい熱帯魚」は日本映画の範疇を越えた衝撃的な映画でした。「八日目の蝉」で描かれた親子の情愛に涙は止まりません
2012
「桐島、部活やめるってよ」は構成と演出が優れていて、新しい映画の可能性をみたようです。内田監督の「鍵泥棒のメソッド」は脚本がずば抜けて秀逸で、やっぱり映画の50%は脚本の面白さ如何だなと感じた次第です
2013
単身赴任で名古屋独り生活の始まりです
「ゼログラビティ」は宇宙空間における概念を変えた画期的な作品です
2014
クリストファー・ノーラン監督作品「インターステラー」はSF映画の面白さは言うまでもなく、父と娘の物語でもありました
2015
「ソロモンの偽証」は原作の重厚さを上手く映画化することに成功しました。二部作の映画が増えてきたのもこの頃です。「マッドマックス怒りのデスロード」までぶち抜けるとアッパレです
2016
アニメ映画の傑作「この世界の片隅に」が描く戦争の虚しさが心に染みました。思わぬ拾い物だった「シン・ゴジラ」李相日監督の「怒り」で宮崎あおいが演じた女の凄さにまいりました
2017
アメリカ映画の凄いところは「ドリーム」で描かれているようなアメリカの恥部を、ちゃんと映画化するところです
2018
パルムドール受賞の「万引き家族」はともかく、同じくカンヌ出品の濱口監督「寝ても覚めても」に心奪われました。クイーンの伝記映画「ボヘミアンラプソディー」は只々懐かしかった
2019
「さよならくちびる」は日本映画には珍しい音楽ロードムービーの佳作です。メキシコ映画「ROMA」の品質の高さは衝撃的でした
2020
非英語圏の映画でもアカデミー賞を受賞できる事を証明してくれた「パラサイト」、親子の本質の形を見せてくれた「朝が来る」には涙が溢れて止まりませんでした


そして、2021年 これからの10年20年、まだまだ沢山の魅力的な映画と出会えることを信じて、まったり正直に生きていきます
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