時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

街の灯りが一つ消えた。

2021年11月27日 | 時のつれづれ・霜月 

多摩爺の「時のつれづれ(霜月の22)」
街の灯りが一つ消えた。(商店街のコンビニ閉店)

今週の半ば、街の灯りが・・・ 一つ消えてしまった。
私がこの町に終の棲家を構えてから、早い者で20数年が経っている。
この間、ずうっと利用してきた、商店街のコンビニが閉店した。

閉店の前夜、すっかり商品が少なくなった陳列棚から、翌朝のパンを二つ取ってレジに並ぶと、
いつもの店員さんが「袋は要りますか?」と、毎度お馴染みの言葉で問いかけてきた。
「大丈夫です。」と返し・・・ 「さみしくなりますね。」と言葉を繋いだ。

「長い間、ありがとうございました。」と頭を下げた店員さんの目が、
コロナ対策で、昨年から設置されているビニールのカーテン越しに・・・ 潤んで見えた。

この町には大学や高校が多くあって、
リビングの窓を開ければ、朝に夕に子供たちの元気な声が聞こえてくる。

言葉を交わした店員さんは、最近になって見かけるようになった方なので、
おそらく大学生のバイト店員さんだと思うが、
感情移入されていた顔を見ると
きっと、良い職場(バイト先)だったのだろうと推察することができる。

本当に寂しくなったと思うが、24時間営業のお店が閉店すると云うことは、
防犯上の観点からみたら・・・ けっして、好ましいことではない。

東京郊外の北多摩地域とはいえ、私鉄沿線であり、人通りもけっして少ない方ではなく、
たまには・・・ 痴漢がでたという話も聞くし、大声で騒ぐ酔っ払いもいたりする。
商店街には街灯があって、監視カメラも随分と増えたが、なにか気になることがあると、
すぐに駆け込むことができるコンビニは、いまや社会生活に欠かせないものの一つになっている。

女房のお友達からの情報によると、コロナ禍によって昨年から学生さんの自宅学習が増え、
売り上げが大きく落ち込んだことが原因らしい。

残念だが、商売をやってる以上、採算が取れなければ淘汰されていくのは自然の流れであり、
外野から支援がどうのこうのと云っても、直ぐに解決できるほど簡単なことではなく、
コロナ禍のような窮地に陥っても、
持ち堪えられるだけの体力があるか否かが・・・ 総ての世界なんだろう。

巷の噂では、緊急事態宣言が長引き、行政から受けた支援金によって、
お店を閉めていても、逆に儲かった飲食店が、この街にもたくさんあるらしい。

とんでもない逆風だったはずが、
気がつけば、濡れ手に粟の追い風に転じていたのである。
不条理だと思うが、これがメディアを通して声高に政府に求めた補償の帰結である。

それもこれも・・・ 市場経済なんだと捉えるならば、
大企業に向けて、内部留保を吐き出せといってることには逆行して、
補償の対象にならないような中小の店舗は、常日頃から内部留保という形で蓄え、
体力を温存しておかねばならなかった・・・ ということになってくる。

大きなお金ではなく、日銭をメインに商売を回転させていた街の小売店が、
いみじくも・・・たった1年で、その体力を使い果たし、閉店に追い込まれてしまったのだ。

商店街や駅前の小売店に・・・ 新陳代謝があることは世の常だが、
24時間営業しているお店の灯りは、防犯上の駆け込み寺として、町のホットスポットとして、
365日、一晩中休むことなく、無形の社会貢献をしてくれていたとを思えば、
灯りが一つ消えただけだが・・・ 残念で堪らない。

さみしいなぁ・・・ ホントに寂しい。
個人的な好みで恐縮だが、大好きで・・・ 三日に1度の頻度で朝食にしていた、
「もちっと食感の北海道メロンパン(税込み128円)」が、
自宅の近くで・・・ もう、買えなくなっちゃった。

追伸
コンビニの灯りは、明かりと表記する方が正しいのかもしれないが、
灯りという言葉には・・・ 光源という意味があることから、
街の光源(灯り)として、長い間貢献してくれていたことに敬意を表して、
あえて・・・ 灯りという表記にすることにした。

因みに街は、商店やビルなどが建ち並ぶ通りなど、狭義に使われるが、
町は街を含む住宅などの居住地など、広義に使われるので、
使い分けは、おそらく間違ってないと思うが・・・ もし、間違っていたらご容赦願いたい。

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