多摩爺の「時のつれづれ(霜月の38)
どうする・・・ 大阪万博
1970年、「人類の進歩と調和」をテーマに開催された「大阪万博(EXPO70)」から、
半世紀と5年を経た2025年、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに掲げた、
「大阪・関西万博(EXPO25)」が開催される予定だが・・・ ここに来て建設費の高騰に加え、
世界が巻き込まれた物価高騰で、参加を辞退する国が出てくるなど、逆風が吹き始めている。
まずは建設費が、当初計画していた1,250億円から、2倍弱の2,350億円に膨らみ、
その差額を大阪府・大阪市(開催地)、経済界(出展企業など)、国(税)が負担することから、
批判と非難が集中し、勇気ある撤退を求めるなど、極論に近いような声も出始めている。
また、ここに来て・・・ メキシコやエストニアが参加を辞退したことが判明し、
それを捉えて「大丈夫か?」との声も挙がっているが、
一方で、デンマークやフィンランドなどが新たに参加を表明したことも明らかになり、
現時点では、160の国や地域が参加することを表明している。
参加する国や地域が、どれくらいあれば良いのか、その目安が分からないが、
万博はオリンピックとは違って「参加することに意義がある。」ってもんじゃないから、
160という数値が・・・ 良いのか、ダメなのか、その基準が分からないが、
ただ、ロシアやイスラエルが参加表明していたらどうなるのか・・・ それだけは気になっている。
建設費が膨らむと云うことは、国民負担が増えると云うことであり、不安があるのは当然だが、
忘れちゃいけないのは、万博は入場料で投資額を回収することが出来る、
官民が合同で手がけるビジネスモデルである。
それでも、建設費が想定外に膨らんだことは、ある意味で誤算ではあるものの、
2,350億円の建設コストを、入場料収入(7,500円)だけで回収しようとすれば、
開催期間トータルで3,100万人の延べ入場者が必要で、1日当りにすれば17万人となってくる。
1970年の大阪万博の時は、延べで6,400万人だったが、そこまでは行かないとしても、
現時点での計画が3,000万人だから、中高生以下に割引があるものの、
入場者数が計画通りにいけば、会場内での販売収入もあり・・・ 的外れな目論見とは思えない。
よって、心配ないと断言するには至らないと思うものの、
期間は半年(184日)あり、オリンピック・パラリンピックより遙かに長いことを踏まえれば、
入場者数次第になるんだろうが、2兆円を超える経済効果があるとの試算もあり、
これを公共事業と同じであるかのように論ずるのは・・・ 間違っていると云わざる得ない。
心配するとすれば、大陸から新たなウイルスがばら撒かれるか、
温暖化の影響を受けて、シベリアの永久凍土が溶け、未知のウイルスが出てくるかだと思うが、
それがジョークにならない二か国だけに、そこんところに心配がないわけでもない。
メディアや野党は、建設費が倍になったことと、参加辞退の国が出ていることを厳しく責め立てるが、
万博というものは、各国のパビリオンを比較して評価するイベントではないし、
1970年当時の大阪万博と比べれば、展示物に大きな変化があることを見逃してはならない。
注目すべきは・・・ 時代がハードウェアを中心とした、形あるものの進化を競う博覧会から、
AIや3Dなどを駆使して、体内など見えない世界のリアル化であったり、
遅延が殆どない高速通信とロボットなどを組み合わせた、工事現場や医療現場での遠隔操作であり、
さらには収集したデータを高速で演算して、気象情報を早期に提供するシステムなどで、
ソフトウェアの進化で、社会性や公益性を競う「未来社会のデザイン」に変化していることだろう。
リアルなハードウェアの進化にフォーカスすれば、
ドローン技術を活用した空飛ぶタクシーや、ロジスティクスが注目され、それなりの設えが必要だが、
ソフトウェアの進化は、大型コンピューターや、パソコンとかモニターの中にあることから、
それを展示するパピリオンに派手な設えを施すことは、あろうがなかろうがどうでも良いのである。
各国が凌ぎを削って作成した、ハードの姿や形に未来を想像していた、
1970年の「大阪万博」や、1985年の「つくば博」当時とは大きく変化していることに、
まずは、頭の中を切り替えるべきであろう。
極論すれば、展示会場は東京ビッグサイトや、幕張メッセの拡大版であれば、なんら問題なく、
強いて云えば、万博後に着手が予定されている統合型リゾートに利活用が可能な、
インフラ部分の整備(先行投資)が、副次的というか便乗効果として重要な役割があると思っている。
また、350億円かけて建設されるという、1周約2キロもある木製の巨大リングについて、
夏場の日よけ対策だと担当大臣がトンチンカンな答弁をしたが、
維持費にはコストがかかるだろうが、民間の知恵を借りて、統合リゾートに引き継ぐことができれば、
1970年の「大阪万博」でシンボルとなった太陽の塔のように、
2025年「大阪・関西万博」のレガシーになると思うが・・・ 如何なものだろうか?
大阪湾や瀬戸内海を一望できるスカイウォークまで作って、
万博終了後に、木製の巨大リングを壊すという発想は、どう見たって間違ってると思うし、
是非とも残す方向で検討していただきたいと願ってやまない。
そして、国民負担が増えることについて、異論のある人もいるだろうが、
いま世界に目を向ければ、侵略や民族間の対立で、取り返しのつかない殺戮と破壊が繰り返されたり、
屁理屈を展開して、領土領海の拡大を試みる大国があるなか、
温暖化という気候問題が、沸騰化に進化し、平和だった暮らしに影響を及ぼし始めている。
そんな時代に・・・ 「未来社会のデザイン」をテーマにして、
世界の英知が知恵を絞った展示物を披露し、新たな価値を生み出そうとする万博が、
再来年この国の大阪で、予定されているのである。
年金暮らしのジジイが物申すのは、いささか出しゃばりだと思ってはいるが、
ソフトパワーの重要性を認知させ、進化させる旗振り役を、この国が担っていると捉えるならば、
いつも「この国が出来ることを考えろ。」と云ってる・・・ 野党議員や評論家たちは、
応援するのが本筋であって、批判するのは本末転倒なんじゃなかろうか?
目先の損得で捉えることなく、先々を見据えた中長期的な視点を持って、
世界市民にとって、この先役に立つ・・・ 「未来社会のデザイン」の具現化について、
「大阪・関西万博(EXPO25)」の場で、リーダーシップを取れるということは、
またとないチャンスであり、極めて大きな意味があると思うが・・・ 如何なものだろうか?
下手すりゃ、赤字になるかもしれない思いがないわけでもないが、
先々を見据えたら・・・ 「損して得取れ。」という言葉もあるぐらいだから、
ここは一つ、天下の台所で辣腕を奮ってきた、大阪商人の末裔たちが、
ここ一番で、どのような手腕を発揮してくれるのか・・・ 期待するしかないだろう。
私は大阪維新を支持しているわけではないが、個々の政策には賛同できるところもあり、
令和の廃藩置県(公務員のスキルと配置の調整)の先駆けとすべき「大阪都構想」には大賛成であり、
この国の技術の進化と、社会の公益性に寄与するであろう「大阪・関西万博」には、
「やってみなはれ。」の精神で・・・ 応援したいと思っている。
ただ一つ・・・ イチャモンを付けさせてもらうなら、
公式キャラクターの「ミャクミャク」が・・・ 可愛くなくて、
孫が「嫌い。」って言ってんだけど、なんとかならないものだろうか?
長々と綴ってしまったが・・・ ここで述べたことは、あくまでも個人的な思いであって、
コメントを頂戴しても、議論するつもりはないので、ご理解をいただければありがたい。
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