時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
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100年安心だったはずでは?

2019年07月01日 | 時のつれづれ・文月 

多摩爺の「時のつれづれ(文月の1)」
100年安心だったはずでは?

通常国会が終わり、G20も終わり、7月に入っていよいよ参議院議員選挙モードに突入した。
ところがいま、金融庁が取りまとめた年金に関わる一つの報告書が大きな波紋を広げている。

その内容は、人生100年といわれる昨今
100歳まで生きようとすれば、年金以外に約2,000万円足りないというのだ。
野党の女性幹部は、報告書を5分も読めばその内容が分かると・・・ 担当大臣を追及していた。

夫が65歳以上で、妻が60歳以上、
夫婦だけで無職の世帯では毎月平均して約5万円が不足するらしい。
仮に老後の人生が30年の人生があるとすれば、
その月数に5万円を掛ければ約2,000万円足りないことになる。

そもそも、政府は年金(公的年金)は100年安心と言ってたが、
老後の生活が年金だけで安心とは言ってない。

この国の公的年金制度には、20歳以上の全員が入る国民年金と、
サラリーマンが加入する厚生年金があり、
この公的年金が、老後の生活設計の柱になっていることについては誰もが理解してるが、
老後の生活に、公的年金以外の預貯金などの貯えが必要なのことも・・・ 常識中の常識であり、
この期に及んで金融庁から言われなくても・・・ みんな分かっている。
早い話、当たり前のことを言ってるのに、なんでこんなに大騒ぎになるのだろうか?

年金に関して詳しいわけじゃないが、自分の理解はそうだったそれが間違っていたのだろうか?
ところが「今のうちから老後資金2,000万円を用意しとけ!」とは
いったい何事だと・・・ 野党が噛みついた。

なぜ、いつも、あんなに喧嘩腰でないと質問が出来ないのか、不思議で理解不能だが、
野党の女性幹部が「100年安心と言ったじゃないか!」と舌鋒鋭く攻めたてる。
本当なのか? 本当に年金は2,000万円足りないのか?
今年の8月で年金受給開始の65歳に到達する身としては、何を今さらって感じで、
正直なところ気が気じゃない。

そもそも、この国の公的年金制度は、
自分が掛けた掛け金を取り崩してゆく「積み立て方式」ではなく、
現役世代が掛けた年金で、年金受給世代を支える「賦課方式」である。

分かり易く言えば、現役世代が年金世代に仕送りをしているようなもので、
例えは悪いが・・・ 徴収した掛け金を、そのまま年金受給者に回す自転車操業みたいなもので、
幸いなことに掛け金の方が支給額を越えており、運用に回すだけの余力がある。

つまり・・・ 1人の年金受給者を支える現役世代の人数はバランスが取れており、
高齢化(年金受給者)と少子化(現役世代の予備軍)が、
これからシミュレーション通りに進んだとすれば、
年金財政が厳しくなる損益分岐点は100年先にあるということで、
これが所謂「100年安心の年金」だったと理解しているので、野党の論点がいまいち呑み込めない。

街中でインタビューを受ける若い人たちや、ワイドショーのコメンテーターなどが、
いくら年金をかけても、
自分たちが受給できる頃には年金が枯渇し貰えなくなるということを実しやかに言ってるが、
これも大きな間違いで・・・ 勘違いも甚だしい。

仮にその100年安心プランが崩れるとしたら、
高齢化と少子化のシミュレーションラインが、想定外に早くクロスしてしまうか、
商品の価格が激変する超インフレ状態になった時だろう。

高齢者と高齢者予備軍は、人口統計で把握できてるので間違いなく想定出来るが、
可能性としてあるとすれば、
小さな子供たちが罹患しやすく死に至りやすい疫病が蔓延することぐらいだが、
先進医療や予防医療が発達した現代社会で、このような疫病が蔓延することは現実的ではない。

よって、深刻に問題意識を持たなきゃいけないのは、
少子化が急速に進むことぐらいだろう。

一方で超インフレになるとどうなるか?
貰う年金の額は変わらないのに、昨日まで100円で買えていた野菜が、
今日は500円になっていたらどうだろう。

これはもう生活が成り立たなくなってしまうが、
一方で賞味期限間際の食品を処分するニュースを度々目にするのも事実
さらに食料品には、消費増税が据え置かれる軽減税率の導入も決まっており、
超インフレも現実的ではない。

可能性として残されているのは・・・ あってはならないことだが、
大規模震災や半島からのミサイル攻撃ぐらいだが、
仮にこういったことが起こっても、これは年金問題とは別に対処することになる。
心配と言えば心配だが、これを年金問題と結びつけることは筋が違う。

そもそも、100年安心のキャッチフレーズは、100歳まで安心ということでなく、
シミュレーション通りにことが進めば、
100年間は現行の公的年金制度は破綻しないという意味であって、
今回の騒動は100歳と100年が、都合よくすり替えられていることに気がつかなきゃいけない。

年金は生活に直結しているだけに、追及したい野党の気持ちも分からんでもないが、
必要以上に煽り立ててたら、事の本質(少子化対策)を見失ってしまう。

勿論のことだが・・・ いただける年金は多いに越したことはない。
とは言うものの、年金だけで現役の時のような生活が出来ると考えるのは、
都合が良すぎるんじゃなかろうか。

ところが、ワイドショーやニュースで放映される街角インタビューでは、
「えっ、そうなの?」、「そんなこと知らなかった。」などと、
平気で「知らぬ存ぜぬ」と言ってるんだから・・・ 開いた口が塞がらない。

ましてや・・・ 10年前に政権を取ってた野党の時代から、
年金の仕組みは変わっていないことを踏まえれば、
君たちはあの時、いったい何をしていたのかと問いたい。

消えた年金問題をきっかけに、あれほどの支持を得て政権交代しておきながら、
君たちは何をしていたのだと問いたい。

年金に不安が生じている根源は二つ、一つは高齢化スピードと少子化スピードの読み違え、
もう一つは30年ぐらい前に遡るが、
この国の給与が、あっという間に年功序列主義から成果主義に切り替わり、
頑張っても、頑張っても給与が増えなくなってしまったことなんじゃなかろうか?
給与が上がらないんだから・・・ 年金の掛け金も増えない。(当たり前のことである。)

成果主義が別に悪いと言ってるわけじゃないが、成果主義の正当性を煽るがごとく、
「24時間、働けますか?」なんてテレビコマーシャルが、
堂々と放映されていた時代があったことも事実

世の中のサラリーマンを「勝ち組」だの「負け組」だのと格付けし、
給与が増えなかった時代に、与野党ともに「働き方改革」に着手せず、
30年経った結果が今日この頃である。

終ったことを反省する暇があるなら、
どうやって失われた30年を取り戻すのか、真摯な議論をすべきじゃないのか?

100歳でも、100年でも・・・ 本音はどちらでも良い。
年金の在り方、老後の生活の在り方について、これを政争の具にせず真摯な議論で前に進めてほしい。
こういった制度に100点がないことは百も承知
しかし、子、孫、曾孫の時代には、どういった年金が良いのか・・・ 真摯な議論に期待したい。

そして、こういった生活に直結するセンシティブな課題については、
報道の在り方も、A案・B案並記の中立であってほしい。
「公的年金」と「私的年金」についてキチンとした説明をして欲しいし、
公的年金は「積み立て方式」じゃなく、「賦課方式」だということもしっかり説明してもらいたい。

国会中継と、ニュースやワイドショーの視聴率を比べたら、どちらが高いかは誰にでも分かる。
だからこそ、高齢者や高齢者予備軍は、マスコミが垂れ流す報道に影響を受け易く洗脳され易い。
必要以上に不安を煽ることは、いい加減にしてほしいと申し上げたい。

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