多摩爺の「時のつれづれ(霜月の42)
大洋ホエールズだったころ
日本人選手の大活躍もあって、MLBのワールドシリーズを制したドジャースが、
約25万人のファンが集ったロサンゼルスで、ど派手な凱旋パレードを行った11月3日の早朝
目覚めからいきなり、興奮状態におかれた日曜日の朝だったが・・・ その日の夜には、
ブルーつながりのベイスターズが、下剋上でNPB日本シリーズを制したんだから、
ベイスターズファンは、ドジャースどころじゃなくなってしまった。
まず真っ先に述べておきたいのは、私はNPBのクライマックスシリーズには反対である。
興行的には盛り上がるのだろうが、半年かけて戦ったリーグ戦の結果を覆すような、
クライマックスシリーズなんていう、わけが分んない興行については、
開いた口が塞がらないぐらい・・・ シラケている。
メジャーリーグのプレーオフは、3地区の勝者と2位以下で勝率の上位3チームによって争われるが、
地区優勝チームより、他地区の2位や3位のチームの方が、勝率で上回ることもあるので、
勝率を重要視すれば・・・ 致し方ないかな思うものの、
NPBのクライマックスシリーズは、リーグ戦の結果を覆す興行であり、あまりにもバカげている。
まっ、そこら辺りに屯する、カープファンのしょうもない爺さんの戯言であり、
ベイスターズに恨み辛みがあるわけでもないので、
終ってしまった興行に、イチャモン付けるほどのことでもないと思うものの、
私の思いに同調していただける方は、けっこういらっしゃるんじゃなかろうか?
閑話休題
ところで・・・ 大洋ホエールズっていう球団があったことを知ってる人は、
いったいどれぐらいいるのだろうか?
古い話になって恐縮だが、私が幼少期から学生時代を過ごした山口県の下関市は、
今年の日本シリーズを制した、横浜ベイスーズの前身である大洋ホエールズが誕生した町であり、
下剋上を別にすれば、ベイスターズに親近感がないわけでもない。
関門海峡を挟んで、下関の対岸にある北九州市の門司は、大陸貿易で栄えた港町だが、
本州の最西端に位置する下関は、いまでこそ「ブランド河豚」で有名だが、
かつては捕鯨船を中心にした、遠洋漁業の船が多く入港する漁港で、
鯨や魚を加工する工場などで栄えた港町だった。
いまはマルハニチロという社名になってるが、その前はマルハという会社で、
前の前は大洋漁業、前の前の前は林兼商店という社名だった会社に、
ベイスターズの前身となる・・・ 実業団の野球チームがあったのである。
その後、セリーグとパリーグの2リーグ制になったのを機会に、
球団名を大洋ホエールズに変更すると、ホーム球場だった下関市民球場から、
紆余曲折を経て川崎球場に辿りつき、横浜スタジアムの建設を受けて現在に至っている。
私と野球との出会いは、小学校3~4年生ぐらいで、学校から帰るとランドセルを玄関に放り投げ、
日が暮れるまで、友達と真っ黒けになって遊んだ三角ベースだった。
当時の人気チームは、断然ジャイアンツなんだが、地場産業との関わりのある大洋ホエールズと、
九州に近い土地柄もあって、西鉄ライオンズのファンがけっこういた。
打者の一番人気は、一本足打法の王貞治選手で、
二番人気はミスタージャイアンツの長嶋茂雄選手だったが、
なんと三番人気は、特徴のある天秤打法で人気だった、大洋ホエールズの近藤和彦選手だったし、
同じく大洋ホエールズの松原誠選手や桑田武選手、近藤昭仁選手も人気があった。
ピッチャーなら、西鉄ライオンズの豪腕・稲尾和久投手と、
地元出身で甲子園の優勝投手だった、同じく西鉄ライオンズの池永正明投手だが、
アンダースローの豪腕、大洋ホエールズの秋山登投手の真似をする子どもたちがけっこういたし、
カミソリシュートの平松政次投手も、子どもたちの憧れの的だった。
また、ホエールズの外国人選手で・・・ 真っ先に思い出すのは、
ボサボサの髪と、長いもみあげと髭が特徴で、ライオン丸と呼ばれ人気があったシピン選手だが、
スーパーマリオのような髭をたくわえた、強打者ポンセ選手も印象深かったし、
バッターボックスでの構えが可愛らしかった、ミヤーン選手も忘れられない選手だった。
当時は空き地のあちこちで、ピッチャーが「おれ秋山ね。」とアンダスローで投げれば、
バッターは「じゃ、おれは近藤だから。」と言いながら、バットに手を添えた天秤打法で構えると、
だれかが「同じチームどうしが、投げて打つことはないじゃろ。」と野次が飛んでくる。
他愛もない光景だが・・・ それが昭和30年代の子どもたちだった。
そういえば、大洋ホエールズが横浜DeNAベイスターズになって、
随分経ったような気がするが・・・ なん年経ったのだろうか?
懐かしいな。
大洋ホエールズだったあのころが・・・ 懐かしい。
追伸
ベイスターズファンじゃないんだから、余計なお世話かもしれないが、
優勝パレードは・・・ いつ、どこでやるんだろうか?
古いチームをご存じで嬉しくなりました。
南海ホークスは、ダイエーホークスになって、いま福岡ソフトバンクホークスです。
大阪のミナミ(難波)に大阪球場があって、そこがホーム球場でした。
毎日オリオンズは、大映オリオンズ、東京オリオンズを経て、いまは千葉ロッテマリーンズです。
ホーム球場は南千住にあった東京スタジアムで、仙台の宮城球場、川崎球場を経て、千葉マリンスタジアムだったと思います。
南海フォークスだったし毎日オリオンズ歳がばれるわ(爆)
私も山下公園辺りから日本大通りを経て横浜スタジアムに入るルートだと思います。
そうじゃなかったら、桜木町の駅前から日本大通りを経て横浜スタジアムに入るルートかもしれません。
来年はカープに頑張ってもらいたいんですが、ベイスターズが日本シリーズで自信を付けたことは大きいと思っています。
日本大通りか山下公園に近い道路しか思い浮かびません。
余談ですが、クライマックスシリーズは反対です。
そうそう、国鉄スワローズもありましたね。
その後、産経アトムズを経てヤクルトスワローズになったような・・・ 記憶があります。
亡くなったオヤジは国鉄職員だったのに、タイガースファンでした。
私はアンチ巨人ですが、やはり川上選手でしたね。風呂屋の下足入れは16番ばかりでした。
テレビでは巨人戦中心でしたので、顔と名が一致するのは、やはり巨人でした。
国鉄スワローズ時代も思い出します。
私も子どものころはパは西鉄、セは阪神(オヤジがファンだったので)の応援をしてました。
中西太選手がバッターボックスで、お尻をプルンとさせる仕草が大好きで真似してました。
タイガースでは、山口県出身で眼鏡をかけたスラッガー遠井吾郎選手のファンで、
投手ではピンチの場面でも、超スローボールを投げる渡辺省三投手の強心臓に見惚れてました。
ベイスターズはホントに勢いがあって強かったですね。
私はクライマックスシリーズに問題ありと思ってるだけで、ベイスターズにはなんの文句もありません。
日本シリーズ優勝、おめでとうございました。
僕は中1まで向かいの小倉に住んでましたので、熱烈な西鉄ファンでした。中西、稲尾、豊田、高倉、三原監督。日本シリーズ3連覇して強かったですね😃そうそう、近所に地味ですが、城戸選手一家が住んでいて、「城戸兄ちゃん」と応援したものです。
今は関西生活60年ですから、すっかり虎吉ですが(笑)。
大洋ホエールズ知ってまーす。
(58歳)
しかし、下関生まれとは知りませんでした👀
シピン、ポンセ
知ってます〜。
父が野球を毎日テレビで観ていたので、私も意外といろいろ知っています。
やっぱり我が家は巨人応援でした。
私もリーグ優勝したチームが泥水を飲むこの制度、反対です。
が、今回のベイスターズ優勝は嬉しかったな。