時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。

2020年06月15日 | 時のつれづれ・水無月

多摩爺の「時のつれづれ(水無月の9)」
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。

アメリカの白人警官が起こした、行き過ぎた取り締まりによって、
不幸にも黒人容疑者が命を落としてしまった事件は、
人種差別反対の運動につながり、アメリカから世界へと拡大したが、
時間をかけて落ち着きを取り戻しつつあるなか、
連日報道されるニュースをみると、今さらながらとも思える歴史の総括に矛先を変え始めた。

アメリカでは、アカデミー賞の受賞作品で南北戦争当時の、
南部を舞台に描かれた名作「風と共に去りぬ」に、奴隷制度があった当時の状況が美化されており、
黒人への偏見を固定化しているとして、配信停止が求められたばかりか、
アメリカ大陸を発見したコロンブスに至っては、先住民を虐殺したとして銅像が破壊されてしまった。

イギリスでは、ビートルズが地元・リバプールの通りをモチーフにして作った
名曲「ペニー・レーン」にイチャモンがつき、
奴隷船オーナーだった、ジェームス・ペニーに由来しているいう説が浮上して、
通りの名称変更が求められたばかりか、
チャーチル元首相が、かつて人種差別発言をしたとして、銅像の撤去が求められたりしている。

この際だから、溜まりに溜まった積年の我慢や鬱憤を、一気に晴らしたい気持ちは分からんでもない。
とは云うものの、歴史は勝者によって作られるし、歴史には功と罪があって、
根っからの悪党なら、映画にはならないし、地名にも、歌にもならないし、
ましてや銅像なんぞには絶対にならない。

功と罪を天秤にかけてみたとき、罪よりも功の方が大きく、価値があると認めたから、
当時の人たちが形に残るものとして、幾つかあった罪に目を瞑り、
功を称えた結果が今にあるのではなかろうか?

もちろん、人種差別は絶対にあってはならないし、
そのためにアピールや、行動を起こすことは、全く持って否定しないし、応援もしている。
とはいえ現在の行動で、未来は変えられるが、過去は変えられないことにも、気づかなきゃいけない。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。」という発想と行動は・・・ あまりにも短絡的過ぎるし、
映画の配給を停止したり、道路標識に落書きしたり、
銅像を引き倒し川に投げ入れる行為が文化的とは思えない。

どうしてもダメなら、民主的に話し合って、
賞を剥奪するなり、標識を変えるなり、廃盤にするなり、撤去すれば良い。
議論して決を取る・・・ それが、自由主義社会のルールだと思うがどうだろう?

我が国に置き換えてみよう。
有名な戦国武将は、度重なる戦で足軽の命を虫けらのように奪い、
宗教弾圧では神社仏閣を焼き、多くの命を奪ってきた。
私の記憶が正しければ、身分や、宗教に肝要だった戦国武将は、そんなに多くはいなかったはずだ。

にも拘わらず・・・ 地方に行けば、駅前や公園などには像が立ち、
大河ドラマになり、地域おこしに一役買っている。

多くの血が流れた古戦場は史跡とされたが、無名の足軽には墓石一つなく、
その場を訪れた人が手を合わせることもない。
また、比叡山の焼き討ち、百姓一揆、隠れキリシタンに至っては、
教科書に一行で記されているだけである。

しかし、この国には、あいつは人殺しだからと云って、あいつは宗教弾圧をしたからと云って、
岐阜駅前で織田信長の像を倒して長良川に捨てたり、
青葉城址で伊達政宗像を倒して広瀬川に捨てたりする者はなく、
大阪城や日光東照宮などで、落書きしたり破壊を試みようとするバカ者もいない。

戦国武将だけではない、純文学、歴史文学のジャンルを問わず、
文豪と呼ばれた作家たちが手掛けた作品には、読書感想文の課題になったり、
学生時代に読んでおいた方がよい良書として推奨されるものが数多あるが、
その巻末に目をやると・・・ 興味深い一節が記されている。

(要約) 作品中には、今日の人権意識からみて不適切と思われる表現が含まれていますが、
     作品が書かれた時代背景、および著者が差別を助長する意図で使用してないことを考慮し、
     文学上の業績をそのまま伝えることとし、作品発表時のままとしました。

そこには差別的な言葉は確かに使ったが、変えることができない事実として、
受け留めるとした肝要がある。
歴史を学び、事実を事実として客観視しするとともに、
一つの戒めとして受け止めることに躊躇(ためら)わない。

我が国の国民の多くは、こういった感性を持っているので、
自ら考えて今を生き、一つひとつの思いを未来に託そうとする。

差別という1点にフォーカスして、過激な行動すら厭わないアメリカやイギリスが、
世界をリードする先進国なのか?
全体を俯瞰し、事の前後を熟慮し、いとも簡単に妥協してしまう、
我が国はぬるま湯に浸かった後進国なのか?

おそらく・・・ どちらも正論なんだろうが、
今を生きる我々は、明るい未来を作るために、いずれかを選択して前に進まなくちゃならない。
そう捉えれば「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。」という発想と行動は・・・ 私にはできない。

差別は絶対にあってはならないが、法と秩序も必ず守らねばならない。
それもまた・・・ 自由主義社会のルールだから

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