多摩爺の「時のつれづれ(葉月の28)」
大笑いの西瓜記念日
先週日曜日の昼下がり、息子夫婦が孫を連れだって、
ちょっと早いが、私の誕生日(8月3日)祝いに、ケーキと西瓜を持ってやってきた。
「スイカ、スイカ」と言って、孫たちの喜ぶ顔を見ていると、
ちょっと言い出しづらくて、取りあえず「ありがとう。」と言ったものの、
私はもう・・・ 64~5年ぐらい、西瓜を食べていない。
正確に言えば、食べてないのではなく・・・ 食べるのを止めている。
息子には、詳しいことを喋ったことがないので、おそらく知らなかったんだと思う。
せっかくのプレゼントなのに、西瓜を食べようとしない私が、よほど怪訝に見えたのだろう。
嫁が「お父さんも食べてください。」と勧めてくれると、
すかさず女房が引き取り、「嬉しいんだけど、爺ちゃんは西瓜が苦手なのよ。」と軽く返してくれた。
すると息子が「えっ・・・ そうだったの?」と、バツが悪そうな声をあげたもんだから、
今度は私が引き取り「話す必要がなかったから話さなかったけど、いろいろあって」と言うと、
息子は嫁を気にして「いったい、なにがあったの?」と聞くもんだから、
2年前に記したブログ「西瓜にまつわるトラウマ」を、ブラッシュアップして話すことになった。
それは、小学校に上がる前だったから、
おそらく5~6歳の頃(昭和30年代の初め)だったと思う。
この季節が旬で、とっても美味しいフルーツといえば、なんてたって西瓜だろう。
ざくりと大きく切られた西瓜に、
がぶりと食いつく光景は・・・ まさに、夏そのものだと思う。
しかし、私には・・・ 西瓜を食べたという記憶がない。
アレルギー等があって、食べられないのではない。
自らの強い意思というか、一つのトラウマが原因で心が食べることを拒否している。
お盆に父や母の実家に、いとこたちが集まると、婆さんは必ず西瓜を切ってくれていた。
しかし、私には縁側に座って西瓜を食べ、
いとこたちと、種の飛ばしあいをしたという記憶が残ってないのだ。
当時、住んでた家の周辺は農地で、辺り一面が畑だった。
おそらくこの時季なら夏野菜や、西瓜などが作られていたのだと思う。
畑を含むこの辺りは、野菜を洗うため池があったり、
木登りできる程度の木があったり、小川が流れていたりで、
子供たちは秘密基地を作ったりする、かっこうの遊び場でもあった。
保育園から帰ってくると、年齢が近い男の子たち4~5人で、いつも遊んでいたが、
ある夏の日、仲間のひとりが、目の前にあった西瓜を指さして、
「喉が渇いたから西瓜を食べよう。」と言うと、
別の仲間が「西瓜を取って食べちゃ叱られるから、分らないように西瓜の汁を吸おう。」と言った。
「どうやって吸うんだよ?」と、誰かが聞くと、
一人の仲間が「ちょっと、待ってくれる?」と言い、家から割り箸とストローを持ってきた。
そして・・・ 4~5人の悪ガキたちは、次から次に西瓜に割り箸を突き刺し、
できた穴にストローを突っ込むと「美味い。美味い。」と言いながら、
西瓜の汁を片っ端から吸い始めていた。
何分ぐらいやっていたのか・・・ その記憶は殆どないが、
2~3日そんなことを繰り返していたのだろう。
結果的には、一つの畑に出来ていた西瓜の大半に、割り箸を突き刺す悪事を働いてしまった。
それから数日経った、ある日の夜だった。
何度か挨拶したことがある、ご近所の優しそうなオバサンが、鬼の形相で家にやって来た。
オバサンの後ろには、元気のない遊び仲間の母親と、泣き顔の遊び仲間もいた。
玄関に出た母は、びっくりして・・・ 「どうしたんですか?」と問うと、
「どうしたもこうしたもありません。」とオバサンが言うやいなや、
「あなたの子供と、この子たちが、私の畑の西瓜を全滅させたんです。」と捲し立てると、
いきなり大きな声をあげて泣き出してしまった。
あまりの剣幕だったことは覚えているが、
幼かったこともあり、そのような出来事があったことぐらいしか覚えてないものの、
その光景が記憶にあるんだから・・・ 事の顛末はそれで間違いないだろう。
その夜、母からこっぴどく叱られ、父からはゲンコツを食らったことは記憶にある。
母が云うには・・・ 割り箸を刺したところから腐り始めるので、もう売り物にならないらしい。
幼心に、とんでもないことをしてしまったことだけは、なんとなく分かったが、
直後に父が発した、厳しい厳しい一言が
その後、60年経っても消えることがない・・・ トラウマになってしまった。
「お前は一生かけて食べるぐらいの西瓜を腐らせたんだから、もう二度と西瓜は食べなくていい!」
きつい一言が、雷とともに・・・ 頭の上から落ちてきた。
その一言が、西瓜嫌いというか、西瓜を食べないようにしてしまうのだから、
言葉の力は、ホントに恐ろしい。
あれから60年経つが、私は一度も西瓜を口にしていない。
我が家の食卓に、西瓜が上ることがなくなったんだから、ちょっと極端すぎるが、
これは本当のことで、けっして作り話ではない。
結婚して、子供ができて、女房が西瓜を買って来ても、
それは子供用であり、私が口にすることはなかった。
あの事件から数年が経ち、小学生になってまもなく、我が家は引っ越すことになり、
当時の遊び仲間とは離れ離れになり、西瓜畑を毎日見ることも無くなった。
小学校の高学年になった、ある年の夏休みだった。
遊びに行った母方の実家で、祖母が従弟たち皆に西瓜を切ってくれたが、
見向きもしない私を不審に思い、祖母が母に訊ねた場面を・・・ いまでもハッキリ覚えている。
母と祖母の会話はこうだった。(これは、よく覚えている。)
西瓜畑のオバサンは、戦死されたご主人の年金と、西瓜や野菜などを作って生計を立てていて、
ダメにした西瓜を、みんな(悪ガキ仲間の親たち)で弁償したという話だった。
この話も・・・ 大きな衝撃だった。
当時の私は、中学生になったら、西瓜の復活宣言でもしようかな?なんて、
軽く考えてた矢先に・・・ この話である。
これは拙い。
小学校の高学年といえば、ものの分別が分からない5~6歳とは違う。
母と祖母の会話で、事の顛末を改めて知ることになり、
父の雷以上の強い衝撃に打たれてしまった。
とんでもないことを・・・ していたのである。
私(たち)は、とんでもないことを・・・ やらかしていたのである。
それが、父からの叱責を超えた、自らの自覚というか、一つのケジメとして、
「もう西瓜は食べない。」と決めた瞬間だった。
そんなことがあったなんて、女房も知らないし、子供たちも知らない。
親父は既に亡くなり、卒寿を過ぎたお袋だって・・・ もう忘れているだろう。
ただ、このことについて、喋る必要がないから、
喋ることがないまま・・・ 気がついたら、60年超の時間だけが過ぎていた。
そんな、西瓜にまつわるトラウマ話しが終わったころ、
息子が面白いことを言ってきた。
「爺ちゃん(親父のこと)は、もう死んじゃったから、義理立ては終わったんじゃないの?」と、
ニコニコしながら話しかけてきた。
これは義理ではなく、私のケジメだから、そういう問題じゃないんだが、
あえて反論しないまま「まあね。」と言って返すと、
傍にいた女房が・・・ おもむろに席を立って台所に行き、
冷蔵庫から孫のために買っておいた「ガリガリ君スイカバー」を持ってくると、
「これ食べたら、トラウマが無くなるかもよ。」と言うではないか。
「なんて、奴らだ。」、人のトラウマを、笑いのネタにしやがって、
ホントに、ホントに「なんて奴らだ。」なんだが、
咄嗟に口をついて出た言葉は「いやぁぁ・・・ まいった。まいった。」
「誕生日が、西瓜記念日になっちゃったよ。」と、私も負けずに、ボケを一発かましておいた。
くそ真面目な性格のくせして・・・ ときどき、ボソッと面白いことを言い、
笑いのツボを、けっして外さない出来すぎた女房である。
昨年の今頃は、コロナうつで大変だったのに、どうやら完全復活したようだ。
この歳になって、こんなことを言うのは気恥ずかしいが・・・ 惚れ直したかもしれない。
結局、本物の西瓜を口にすることはなかったが・・・ 家族ってありがたい。
孫まで含めて、皆が大爆笑しながら「スイカ、スイカ」のコールで盛り上がるなか、
スイカバーでの慣らし運転を・・・ なんとか済ますことができた。
家族のみんな、本当にありがとう。
おかげさまで・・・ なんとか68歳になりました。
俵万智さんの「サラダ記念日」をパクって申し訳ないが、
婆さんが「スイカバー」を食べろといったから、今日は「西瓜記念日」にしようと思う。
ちょっと早かった68歳の誕生日は・・・ 大笑いの「西瓜記念日」になったが、
来年の誕生日は、いったいどんな祈念日になるのだろうか?
それを楽しみに・・・ お金はないけど、
皆が元気で、笑いが絶えない1年でありたいと願ってやまない。
コメントを頂戴しありがとうございました。
もう何年も前から、そろそろと思ってましたが、西瓜を食べたいという気持ちが強くなかったのでいまに至っています。
よって、ご心配をいただいた罪悪感は、ありませんので大丈夫です。
今後、機会があれば西瓜に挑戦してみようと思っています。
そういえば、幼かった時に
姉が桃を盗もうとして桃農園に忍び
私は見張りをしてました。
でも主人に見つかって
姉が逃げろーと私に叫んだのでしたが、
私は義理で逃げずに、
あの主人が姉を引きずってきて
父にむごいことを言ってました。
で、あの日は
姉と私、拷問のような何時間のバツを受けたのです。
桃を見る度にその思い出が蘇りますが、
まあー桃は食べてますね。
酷い仕打ちを(その主人と父、継母から)受けた本人の姉は、
あまり気に止めていなく、
20代の時に
あの時のことを姉に、どんなに辛かったか聞いたのでしたが、
覚えていなかったです。
それにはびっくりでしたね。
私には一番辛かった記憶でしたからね。
もう、ご自身を許してあげるのはいかがでしょう。
罪の報いは随分、十分にできたと思います。
子供だったから、それが理由にはなれませんが、
もう罪は償えたと思います。
それほど一本気でもないと思いますが、
もしそうだとしたら、女房が巧く煽てて操縦してくれているのかもしれません。
安心して手のひらで踊らしてくれる、自慢の女房です。
笑いが絶えない家庭もさることながら、お金がある家庭も捨てがたいと思っていますが、
既に年金生活ですので、こればっかりは手遅れのようです。
読ませていただいて涙が出ました
昔気質の一本気な方なのですね。
素敵なご家族ですね。
よく誉めて育てると言いますが、躾は息子夫婦に任せて、老夫婦はもっぱらそちらを担当してます。
思うようにならないことの方が多いですが、孫との付き合いには体力もいるので、ボケ防止にはもってこいかもしれません。
お誕生日おめでとうございます🌻
素敵な1年になりますよう!
お孫さんとのエピソードは、
いつもほっこりしてます。
近くにご家族がいらっしゃるのは
何よりです。
コメントを頂戴しありがとうございました。
女の子は、こんな悪さをしないと思いますが、男の子って、なぜだか想定通りに悪さをしてしまうような気がします。
幸い我が家の近所には西瓜畑がないので安心ですが、うちの孫は、私の血を受け継いでますので心配しています。
台湾の夜のクラブで小姐が付けた。
飲み過ぎで、お腹が西瓜🍉ように丸い。
以前のブログ名は、西瓜老板日記でした。
確かに、子供の頃、西瓜をみんな盗んで
林に隠れて食べた。
当時、悪餓鬼は、するんですね!
いま考えても、とんでもないことをしたものだと反省しています。
お誕生日おめでとうございます。。
読ませていただきました・・・・・
年に数回のことですから、そんなに気にもしてませんでした。
いまとなっては、そんなこともあったなぁと思いつつ、
ケジメだなんて、意地を張る必要もないかなとも思っていて、
いつか笑い話になればと思っていたら、それが、たまたま今回だったんです。
ホントに笑っちゃいますが、拘りの強い変なやつで申し訳ないと思っています。
スイカを駄目にされたおばさんも気の毒ですが、そのトラウマでスイカが食べられなくなった多摩爺さんがもっと気の毒で…。昔の人は真っ正直ですね。多摩爺さんもですが、多摩爺さんのご両親も…。
今ネットで人を誹謗中傷して殺しても平気でいる人達に聞かせてあげたいお話です。