多摩爺の「時のつれづれ(如月の9)」
コロナ禍ゆえの葛藤
先週末の金曜日、時刻は23時ちょっと前だったと思う。
既に布団にもぐりこんでいたが・・・ 突然、オフクロから電話が掛かってきた。
先月下旬から、オヤジの容体が芳しくなく、点滴治療が続いていたので・・・ 大よその察しはつく。
血液中の酸素濃度が90まで下がったので、酸素吸入を始めたというものだった。
最悪の事態ではなかったが・・・ いわゆる、危篤状態である。
既に喪服は送っていて、帰省するための準備もできており、
翌日の状況次第で戻るとだけ話して電話を切った。
こんな状態でも、コロナに感染してるわけでもないのに、地元の親族以外は面会をさせてもらえない。
私は東京だから・・・ コロナ禍での帰省を嫌われるのは致し方ないが、
妹は福岡であり、隣県に住むのに面会をさせてもらえない。
確かに緊急事態宣言がでており、県をまたいでの移動は自粛せねばならないのは理解してるが、
なんでこんな時代になってしまったのだろうかと、
いまさらながら、自粛警察の目が恨めしくもあるし、暮らし難くなったものだと痛感する。
そして土曜日、妹が医師に確認したところ、
血中の酸素濃度は99まで回復し、呼びかけに反応してるという。
オフクロからは、すぐさま面会に行き、声をかけると、うっすらと笑みを浮かべたと連絡があった。
本人は苦しい思いをしたのに・・・ 数日か、数週間の延命を、素直に喜んで良いのだろうか?
複雑な気持ちだが、ホッとしたことだけは間違いなく、土曜日に帰省することは止めることになった。
この後、オフクロから一つお願いをされ、前々から決めていたことを再検討することなってしまった。
我が家は曾祖父の代(明治)までは、小作人を何人も雇うような大きな農家だったらしいが、
明治40年に第一子の長女で生まれた祖母は、働き者の使用人(祖父)を婿に取り分家したことから、
同じ姓を名乗りながらも・・・ 本家とは別に、墓を作らねばならなくなっている。
そこで30年ぐらい前、オヤジと伯父(弟)が共同で、
中国山地の山懐にできたばかりの霊園に墓を購入し、
祖父母の遺骨を寺から移したまでは、親孝行な子供たちであり、なに一つ問題はなかったのだが、
30年もの歳月が、環境を大きく変えてしまった。
私や息子は東京に住んでいて、伯父の二人の子供は娘で、近隣に暮らすものの嫁いでおり、
春秋の彼岸や、盆の墓参りなどに不自由が生じる事態に陥ってしまい、
今後、墓をどうすればいいのか・・・ といった難題が生じてしまったのである。
難題とはいえ・・・ 我が家の墓は、私から二代前の祖父母から始まっており、
古いしがらみが少ないこともあるものの、
今後のことについて、早めに整理しておくことは極めて肝要であり、
2~3年ぐらい前から、このことについて両親と話し合っていた。
私から両親に話した提案は、遺骨をダイヤモンドに変えて自宅に置き、
戒名も墓も、両親の代から持たないという・・・ ちょっと、大それた選択だった。
あなた方(両親)が亡くなった後は・・・ 値段には幅があるが、
50万円ぐらいで、骨から炭素を抽出して、ダイヤモンドに加工する技術があるので、
ダイヤモンドにした後は、暗くて冷たい土の中ではなく、
我が家(東京)の仏壇の中で過ごしてもらいたいと提案すると、
両親からは、死んだ後のことは任すと言ってもらえたのだが、今回ちょっと状況が変わってしまった。
オフクロが、オヤジの骨を二度焼きして、ダイヤモンドにするのは、
あまりに忍びないと言ってきたのだ。
焼くのではなく、熱処理するのだが、高熱で処理することは、二度焼きと大差はなく、
いまさら・・・ と、一瞬だけ思いもしたが、
あえてオフクロの言葉に、異を唱える気持ちにもなれず、
「分かった。」と一言返すのが・・・ 精いっぱいだった。
妹たちが住む、北九州に墓を買うか?
それとも、ダイヤモンドか?
とっても良いところだが・・・ 祖父母が待っている、遠すぎる墓園に入ってもらうのか?
悔しいが・・・ 東京に墓を買うだけの、財力がないこともあり、
近いうちに、三つの中から結論を出さねばならない。
今秋92歳を迎えるオヤジに、取りあえずというのも申し訳ないが、
今回の危機は、なんとか凌いだが・・・ 近いうちに本当の別れがやってくることは、
もはや、免れなくなっている。
生きてるうちから、あれこれ根回しするのも、いささか不謹慎だと思うが、
コロナ禍における弔事ゆえに・・・ 息子夫婦や孫たちは帰省させないことにし、
親の兄弟など、付き合いが深い近い親戚には、土曜日のうちに状況をお知らせするとともに、
もしもの時は、お知らせだけはするが、葬儀への参列については、丁重にお断りをさせていただいた。
東日本大震災から10年目を迎える今年、土曜日の深夜には大きな揺れを感じ、
何気にもやもやとした、寝不足気味の朝を迎えた。
被害にあわれた方々には、心よりお見舞いを申し上げたい。
とはいえ我が家では、地震の揺れも気になるものの
電話のベルがいつなるのか・・・ そちらの方も、気がかりでしょうがない。
コロナ禍で毎日のように、目の前で繰り返されている、厳し過ぎる現(うつつ)の出来事
しばらくは、その狭間で感じる、どうしようもない小さな我儘に・・・ 葛藤する日が続くのだろう。
既に90歳を超えてるし、順番で逝くわけだから、
なるように、なるんだろうなと覚悟してます。