伊勢の祈り

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目からうろこ!神社という言葉は建物のことでない?

2017年06月19日 07時07分47秒 | 日記
神々と霊性が鎮まる聖地


タイトルをご覧になった方は、さぞ驚かれたことでしょう。

幼いころ親に手を引かれて行った神社、お祭りの時に友達と露天商の前に並んだ記憶の中にある神社、

今日改めて”神社”の言葉を通して、”神社”の意味を考えるきっかけとなれば幸いです。



自然と神々


神社は、もともと里山遠く離れた奥深い水源の森山や渓谷などの

自然の中に潜む隠れた霊性、カミ(神霊)が里山近くに鎮まるように迎えられた里宮となっています。

そのため、神社が鎮守の森と言われるように、あくまでも森に籠る神域を理想としています。



日本語をたどる


『延喜式』では伊勢の大神宮など十一社を「宮」(ミヤ)と読む以外は、

すべて”神社”の言葉が使われていて、”カムツヤシロ”と読まれています。

これは神ノヤシロ、つまり、神を祭るヤシロの意味です。


『万葉集』では、ヤシロについてこのように歌があります。


・ちはやぶる神の社(やしろ)しなかりせば 春日の野辺に粟蒔かましを

・春日野に粟まけりせば何時しかに 続ぎてゆかましを社(やしろ)とむとも


”社”のことを”ヤシロ”と読んでいます。


さらに、


・木綿(ゆう)かけて斎(いつ)くこの神社(もり)越えぬべく 思はゆるかも恋の繁きに

・山おろしの風な吹きそとうち越えて 名に負へる社(もり)に風祭せな



”神社”と”社”のことをモリと読んでいます。


なお、ヤシロは”屋代”のことで、屋舎が建つべき場所を意味しました。場所であり建物自体を意味していません。


神社と社の”モリ”は、もともと神の鎮まる森、こんもりとした神域を指しています。


つまり、自然に宿る隠れた霊性、神霊が鎮まるこん”もり”とした神域、

そこで神祭りを行う場所を”神社”と呼ぶのが、本当の意味となっています。



※地震や津波などで神社の建物が無くなってしまっても

自然に潜む隠れた霊性、神霊が鎮まるもり、神祭りを行う場所、

つまり、”神社”が残っていますので神事は行えます。

災害の被害を受けた神社の建物が無くなった地域でも、神祭りは行われるんだということをご理解いただければと思います。

お読みくださり有り難うございました。