いつもは時事問題をテーマにした内容ばかりですが、今回は自分が命拾いした交通事故恐怖体験を文章にしました、
最後までご拝読ください。
2年前の10月、沖縄本島に旅行へ行きました。レンタカーを借りて沖縄の観光名所等を巡りました。旅行2日目糸満市にある平和記念館に行った後、その周辺にある沖縄戦の洞窟陣地跡に向かいました。最初に行った糸数壕{アブチラガマ}は鍾乳洞ぽい洞窟で照明設備もしていないので管理施設からもらった懐中電灯を頼りに歩きました。ここで多くの兵士が立てこもり数多く死んでいたとは想像もつかなかったしピンと来なかったし実感がわかなかった。自分が想像してたより期待はずれで拍子抜けした気分になった。約10分ぐらいで糸数壕から出て見学終了、次に南風原町にある沖縄陸軍病院 南風原壕群20号に向かった。南風原壕周辺は陸上競技場、野球場がある。
南風原壕到着後、入館料を支払いそれからヘルメットと懐中電灯を渡され案内ガイドと一緒に南風原壕に入った、やっぱり中は暗闇で照明設備は無く当時の面影をそのままリアルティに伝えていた。ガイドさんから詳しい説明を聞きながら暗闇の中を歩き続けた。ここで多くの兵士が苦しみながら死んでいったとは想像も付かなかったし実感がわかなかった。朝鮮人が彫った名前はここだとガイドさんが教えてくれた後、私は好奇心から洞窟の壁に手を触れてみた、すぐにガイドさんから注意を受けた。てっきり洞窟の壁を改装していたのかと思っていたがガイドさんの説明では当時のままに保存、管理しているとの事だった。私自身軽率な行為をしたと反省している、この行為が自分自身命の危険すらあった恐怖体験に導く結果をもたらしてしまったと思い今現在でも後悔している。それから何事もトラブルも無く沖縄旅行を終え2日後の夜、札幌(新千歳空港)に無事到着後、自家用車で自宅に帰宅途中、道央自動車道高速道路恵庭IC付近を走行中、ルームミラーで後方を確認したらムチャクチャな走行をしている車を確認、これはヤバイと思った直後、追突され私の車は何百メートルも吹っ飛ばされた。私の車は何百メートル吹っ飛ばされた後、道路フェンスの壁に引きづりながらようやく停止した、あれだけの追突を受けたのに私はムチウチ程度でケガひとつもせずピンピンしていたし前方車両が走行していなかったのが不幸中の幸いだった前方車両が走行していたらケガどころか死んでいたかもしれない。警察が事故現場現着後、事故調査の最中、私は事故を起こした加害者に事情を聞いても何故、自分が事故を起こしたのか全然わからないようだったし気付いたら事故を起こしていたという感じだった。事後後の数日、警察署に事故の聴取、保険会社手続き、病院の通院等、数日はゴダゴタしていて、ようやく事故のショックから少し立ち直り落ち着きを取り戻した後、ひょとしたら糸数壕、南風原壕へ行ったのが原因でないかと思った。私の知人で霊能力を持っている方がいる、知人に事情を説明した。知人は沖縄戦で亡くなった霊に私はとり憑かれ、高速道路で事故死した霊と波長があって私を殺そうとしていたが私の方にも何か守る力があってそれで助かったのではと回答してくれた。その後も代車で借りたレンタカーで市内を走行中、信号待ちをして信号が青に変わった直後、信号無視の車が交差点に突っ込んできて事故に巻き込まれそうになったほんの数秒、車を直進していたらケガどころかへたをすれば死んでいたかもしれない。やっぱり糸数壕、南風原壕へ行って私が軽率な行為をしてしまった事が霊障となって現れたかもしれない。今、現在は何事も無く無事息災で日常を過ごしている。私の体験談を信じる信じないは読んだ人の判断に任せます。ただ興味本位で心霊スポット等に行く事はお勧めできませんし、心霊スポットで軽率な行為をすればどんな災いが起きるかわかりません。いつもは時事問題ばかりをテーマにしてますが自分が経験した貴重な体験を私のブログ読者に知ってもらいたいと思い文章にしました。自分の人生でもっとも貴重な命拾い体験だったと思います。
最後までご拝読ください。
2年前の10月、沖縄本島に旅行へ行きました。レンタカーを借りて沖縄の観光名所等を巡りました。旅行2日目糸満市にある平和記念館に行った後、その周辺にある沖縄戦の洞窟陣地跡に向かいました。最初に行った糸数壕{アブチラガマ}は鍾乳洞ぽい洞窟で照明設備もしていないので管理施設からもらった懐中電灯を頼りに歩きました。ここで多くの兵士が立てこもり数多く死んでいたとは想像もつかなかったしピンと来なかったし実感がわかなかった。自分が想像してたより期待はずれで拍子抜けした気分になった。約10分ぐらいで糸数壕から出て見学終了、次に南風原町にある沖縄陸軍病院 南風原壕群20号に向かった。南風原壕周辺は陸上競技場、野球場がある。
南風原壕到着後、入館料を支払いそれからヘルメットと懐中電灯を渡され案内ガイドと一緒に南風原壕に入った、やっぱり中は暗闇で照明設備は無く当時の面影をそのままリアルティに伝えていた。ガイドさんから詳しい説明を聞きながら暗闇の中を歩き続けた。ここで多くの兵士が苦しみながら死んでいったとは想像も付かなかったし実感がわかなかった。朝鮮人が彫った名前はここだとガイドさんが教えてくれた後、私は好奇心から洞窟の壁に手を触れてみた、すぐにガイドさんから注意を受けた。てっきり洞窟の壁を改装していたのかと思っていたがガイドさんの説明では当時のままに保存、管理しているとの事だった。私自身軽率な行為をしたと反省している、この行為が自分自身命の危険すらあった恐怖体験に導く結果をもたらしてしまったと思い今現在でも後悔している。それから何事もトラブルも無く沖縄旅行を終え2日後の夜、札幌(新千歳空港)に無事到着後、自家用車で自宅に帰宅途中、道央自動車道高速道路恵庭IC付近を走行中、ルームミラーで後方を確認したらムチャクチャな走行をしている車を確認、これはヤバイと思った直後、追突され私の車は何百メートルも吹っ飛ばされた。私の車は何百メートル吹っ飛ばされた後、道路フェンスの壁に引きづりながらようやく停止した、あれだけの追突を受けたのに私はムチウチ程度でケガひとつもせずピンピンしていたし前方車両が走行していなかったのが不幸中の幸いだった前方車両が走行していたらケガどころか死んでいたかもしれない。警察が事故現場現着後、事故調査の最中、私は事故を起こした加害者に事情を聞いても何故、自分が事故を起こしたのか全然わからないようだったし気付いたら事故を起こしていたという感じだった。事後後の数日、警察署に事故の聴取、保険会社手続き、病院の通院等、数日はゴダゴタしていて、ようやく事故のショックから少し立ち直り落ち着きを取り戻した後、ひょとしたら糸数壕、南風原壕へ行ったのが原因でないかと思った。私の知人で霊能力を持っている方がいる、知人に事情を説明した。知人は沖縄戦で亡くなった霊に私はとり憑かれ、高速道路で事故死した霊と波長があって私を殺そうとしていたが私の方にも何か守る力があってそれで助かったのではと回答してくれた。その後も代車で借りたレンタカーで市内を走行中、信号待ちをして信号が青に変わった直後、信号無視の車が交差点に突っ込んできて事故に巻き込まれそうになったほんの数秒、車を直進していたらケガどころかへたをすれば死んでいたかもしれない。やっぱり糸数壕、南風原壕へ行って私が軽率な行為をしてしまった事が霊障となって現れたかもしれない。今、現在は何事も無く無事息災で日常を過ごしている。私の体験談を信じる信じないは読んだ人の判断に任せます。ただ興味本位で心霊スポット等に行く事はお勧めできませんし、心霊スポットで軽率な行為をすればどんな災いが起きるかわかりません。いつもは時事問題ばかりをテーマにしてますが自分が経験した貴重な体験を私のブログ読者に知ってもらいたいと思い文章にしました。自分の人生でもっとも貴重な命拾い体験だったと思います。