ハヤテの追求ブログ

政治、経済、、社会、歴史、外交、芸能等の情報を検証、分析をテ-マに取り上げます。

ユダヤ国家アメリカ(ロックフェラー帝国)デフォルト寸前、気分転換にNHK朝ドラマおひさまを考察

2011-07-28 14:31:49 | Weblog
yahoo番組感想欄よりおひさま批判投稿

この投稿をした本人です。私は生まれも育ちもれっきとした信州人です。だからIDも、NGN****イコールNAGANOの略なのです。表現が多くの方々を示すことになってしまったのは、申し訳ないと思いますが、私はこのドラマは長野県の景観、自然の美しさを利用した、はじめからあまり内容のない普通のドラマだと思っていました。これが本当の感想です。美しく咲いた桜が散っている、そんなときに妻が亡くなった。あの時の「サクラ」のダジャレ、このドラマは一体何なのだと腹立たしく思いました。だいたい昔のあの年頃の子どもたちに「サクラ」の意味がわかるのでしょうか? 本当に興ざめのシーンでした。そして岡田さんは長野を舞台としているのに長野のことをよく取材していらっしゃらない。それにもがっかりさせられました。長野の戦前・戦中・戦後を甘く見ないで欲しい。陽子の初恋の人物は満州に渡りましたが、さらっと流しましたね。日本で満州に渡ったのは長野県人が一番多いのです。どうして人々が満州を目指したのかその描写があっても良かったと思います。とにかく浅いドラマです。私のような感想を持つ方もいらっしゃると思います。


昭和21年の交通事情は劣悪だったと聞きます。ダイヤとおりには動かないし、ぎゅぎゅう詰めだったところへ毎日赤ん坊を連れていけるものでしょうか?
そういえば、おひさまでは列車の描写が有りませんね。身重の身でもよく通えましたね。丸庵と小学校と和成の勤めている工場の距離がまるでわかりません。架空の物語だと言えばそれまでですが。
戦後の混乱期に現代のそこかしこにちりばめられていると感じるから違和感があるのだと思います。それに今は丸庵だけの範囲で話が進められているのでストリーに広がりが感じられないのが残念に思います。

始めて投稿します。前半は毎日夢中になってみていました。多少あれ?と思うことはあっても
それが気にならないくらいに登場人物やストーリーに魅力がありました。ドラマの中の世界が現実に存在して、放送時間にその世界をかいまみている楽しさがありました。
しかし、最近は全く鑑賞に堪えません。ドラマですから、有る程度のご都合主義は許されると思います。でも、妊婦が戦後に汽車通勤をしていた、とか生後二ヶ月の子を授乳のために汽車にのせてつれていくとか、嫁の友達が婚家に遠慮もなしに遊びに行くとか、果ては友達が学校までおしかけて話こんでいくなど、あまりにリアリティがない。放送時間のときだけセットを持ち出してやっているコントのようだ。老陽子が自分の普通のひととしての半生を
語る形でドラマをすすめるのであれば、もう少し、普通の人生としてあったかもしれない、と思わせる展開でなければとおもいます。

原作「ハルカ・エイティ」のキャラ設定が以下のようにスライドしています。まあ、なんて素敵な脚本なのでしょう。脚本家チームの作業風景が目に浮かびます。

主人公の友人「日向子」の名前→陽子の子供
「日向子」の駆け落ち相手→陽子の初恋の人と駆け落ちエピ
「日向子」の身分と従者→陽子のおばあさまと運転手
主人公の友人「由里子」の東京の大学への受験勉強→育子の上京
「由里子」の学業優秀→真知子の学業優秀
国会議員の有力者→安曇野の帝王(真知子の父)
主人公「ハルカ」の落語好き→良一の空想漫才
主人公「ハルカ」の明るさ→育子の明るさ

こんなパズルみたいな操作をしていたら、そこに魂が宿るはずがありません。

脚本家はすでに降板?
私もそんな感じがします。

もうすでに前半を書いていた方は降りてしまったのではないでしょうか。
盗作疑惑うんぬんの話が局内で出始めてしまったときに。
また、放送局からの依頼で「原作に近い作品を」、と依頼されたが
不倫描写のある原作が表現できずに局関係者と衝突らしきことがあったのかと。

内部告発もそんな感じのものが外部に知れ渡ったのでしょうか。


もしかしたら、感動の朝ドラか、と思わせてくれた。

しかし、もうすでにこの頃から、特有の「不具合」が見え隠れしていた。

親友ユキが奉公に出ることを夏子先生から聞かされた陽子が、教室を飛び出す。
「そうだ、陽子。早くユキに会いに行ってやれ」と陽子を応援したい気持ちでいっぱいになった。

しかし、どうもおかしい。
学校から誰も、教室を飛び出した陽子を、追いかけてこないのだ。
こんなことって、現実にはあり得ない。
このドラマは、感動的な場面を描きながら、リアリティが欠如しているのだ。

涙ぐみながらユキを見送る陽子の肩に、追いかけてきた夏子先生の手がそっと置かれる。
こんな場面だけでも入れてくれたら十分納得できた。
そして、成人した教師の陽子をどれだけ期待できただろう。

その後は「下見なしの登山」「葬儀のサクラ発言」「次兄へのキック」と、転がり落ちるように・・・。

あれから、ずっと星1だ。

勉強苦手な脚本家が、たとえ現代史でも歴史に関わる物語を書くと、脚本の粗さとお馬鹿さに耐えられなくなる。

図書館で借りて一読しました。問題の盗作疑惑について、私の感想は「限りなく黒に近い」です。舞台となる土地など、ディテールはもちろんちがいますが物語の骨格は極め類似しています。自転車に乗る女学生の絵もそっくりです。おひさまの脚本家が全くオリジナルと言い切っていますが、無理があります。小説の世界では裁判で盗作が決着することは稀で、大概は、原作者に一言詫びを入れか、原作者あるいは引用として表記することが現実的な解決策です。おひさまがパクリ作品という前提に立ば、おひさまが矛盾だらけで、不自然な展開になっていることが理解出来ます。パクリで書いた物語に細部に渡った構想が脚本家にあるはずが無いからです。万博ソングを当初オリジナルと言い切り、後で盗作を認めた某国のような醜態は見たくないです。

発熱した日向子を町医者に見せたらいきなり「肺炎です・・・非常に危険な状態です。」などと言われるが、これはおかしい。
風邪と症状が似ている肺炎は今でも町医者レベルでは診断がつかない病気です。

私自身肺炎をやりましたが、開業医2軒行って2軒とも「風邪」でした。熱がさがらず咳もひどいままなので病院で精密検査を受けるよう勧められ、病院でX線、ふつうはこれで分かるのですが、これでもわからず、ヘリカルCTを撮って白い影が写り、やっと肺炎と診断されたくらいです。
最終的に痰を培養して肺炎菌が検出されて確定診断となりました。
そんなに簡単にわかる病気ではないのです。

あの名作と言われている「ちゅらさん」も、エリィが小浜島で気を失って目が覚めたら東京にいたということがあったそうです。感動シーンを先に思いついて後でつじつまをあわせようとする(本当はつじつまあわせにもなっていない)のが、この脚本家の特徴です。根っこのテーマやその裏付けをするリアリティとそのための取材が欠落しています。しかも羽振りがいいせいか発想がますます浮世離れしています。この脚本で楽しむには、昨日のことや一分前のことをすっかり忘れて、ただ感動シーンにあわせて感動してやるのが、流儀のようです。

どなたもご指摘にならないが、このドラマに関わっている方々のお名前の妙チクリンさに疑問をお持ちにならないのだろうか?
  いわゆる半島出身の方がお使いになるものばかりですよね。
   改めて演出陣の一覧を見て、本当に驚きました。
  登場人物の姓名、キャスト陣には当初から気づいていましたが、スタッフのお名前を見て絶句。。
 嘘で丸めこんだ視聴者騙しのドラマの謎が解けた気がします。
滅茶苦茶なストーリー展開、パクリ問題、見せかけ取材、いい加減な時代考証、ヤル気の無さ、セリフの下品さ、快挙にいとまがありません。
  お国柄ですね。このエゲツなさは。

陽子先生は結局“軍国教育”を担っただけで終わってしまった。戦後の教育にどう取り組むのか見てみたかった。
そもそも、このドラマは戦争をはさんで日本の社会制度が大きく変わった時代を背景にしていながらその辺の激動が伝わってこない。
校長が教育制度が変わるといったのは1947年の教育基本法制定のことだろうが、これは前年の天皇主権から国民主権へという憲法の大改正に伴うものものであり、こうした時代を画す出来事には触れておくべきだ。

また、戦前コメが配給制になると食堂は自由に営業できなくなり、「外食券食堂」で「外食券」というものを持っている人だけが食事できた。そば屋も然り。
これは戦後まで続くのだが、戦後になると食料事情はさらに深刻化、ヤミの横行に手を焼いた政府は1947年7月には飲食営業緊急措置令というものが出して外食券食堂を除く全国33万軒の飲食店に休業命令 を出し、そば屋も禁止された。
そば屋が営業再開するのは1950年5月になってからである。
「丸庵」も営業禁止になるはずだが、どうするのかな?

このドラマには当時茶の間でも話題になったはずの歴史的な出来事がほとんど出てこない。庶民の生活を直撃したハイパー・インフレ、新憲法についても学校では副読本まで用意して教えたのに憲法のケの字も出てこなかった。みんないつもお腹を空かせて必死に生きていた大変な時代であったのに、そうした空気が伝わってこない。
これからの見どころは、食料事情の深刻化に伴い昭和22年に出た飲食店の営業を禁止する「飲食営業緊急措置令」にどう対応するかだ。これは当時の食堂経営者にとって死活問題の大事件であった。このいわゆる「料飲政令」は飲食店従業員の大量失業という新たな問題も生み、国会でも論戦となった。昭和23年3月の国会議事録わ見ると「そば屋」の営業再開が大問題になっている。野党質問「そば屋というものはどういう方針でやるのか。・・再開させるのか・・。」、政府側委員「・・料飲政令が出たときからそば屋というものは、これを禁止するという建前がとられてきておりましたので、現在の料飲政令の解釈の範囲ではそば屋は再開が困難である。・・。」
 結局、そば屋の解禁は昭和25年になるのだが、はたして丸庵は如何に?

とにかく、この当時は何もかもが困難な時代だった。就職がまた困難だった。
経済は戦争で疲弊、戦地から復員して仕事がない男性があふれかえっていた。、そんな時代、女性の就職はさらに厳しかった。戦争未亡人など困窮した多くの女性が夜の街に立つようになっていったのも自然な成り行きだった。
 ところがドラマでは陽子はいつの間にか民間会社の経理に再就職が決まっている。しかも子連れで・・・。
 働く女性の応援という現代的意義を意図したのであれば、戦後最悪の就職氷河期にある今、戦後の就職難のなかで苦労して働き口を見つける過程を描くこともまた現代的意義のあることだと思うのだが・・。

 ついでに言えば、経理というのは専門知識を要する仕事であり、元教師がすぐにできるような仕事ではない。簿記などを勉強し、実務には指導担当者がついて決算まで最低1年は見習いといったところであろう。

本質ねえ・・・・・・

前半は、お手本となった他のひとの作品に酷似した設定で、なんとか「名作の予感」などと油断しまくることが出来ていたが、これが外れてしまってからはすっかり化けの皮が剥がれ迷走、きちんとした筋のあるドラマを構成できていない。

全体的に人物の描き方が設定含め薄っぺら。ヒロインの父親役でさえ役者として役作りを投げてかかっている旨、HPで語ってしまってるほど。

さらにとってつけたようなニッポン応援を震災後の思いつきで無理やり盛り込もうとした結果細部まで破綻、もはや手のつけようのない混乱状態に陥っている。無茶な応援エピみたいな付け焼刃みたいなことしないで、震災にも屈せず淡々と通常営業のドラマ作りを貫くスタンスのほうが良かったろうに・・・

ヒロインそのものの心理の深まりも、葛藤も描けず、ただただストーリーのなすがままに流されてテキトーな言葉を発しているだけ。脚本家、この作品を手に余して疲れ果ててる??

見るも惨憺たる状況になってきてるね。これが現在の画面からやすやすと読み取れる「本質」です。


先日の、コーラ初体験のシーン・・・・・・・・

瓶の文字、NHKらしく削ってたけど、紙やすりで手荒く仕事した、ガッサガサの跡が画面にくっきり。

ていねいに瓶をきれいに戻すとか、他の文字をそれらしく入れるとか、そういう細かいやる気が製作現場から失われていることの何よりの証拠。

悲しいね。すでに現場のみんなは、もう完全にやる気をなくしてる。

・頭が悪い上に勉強(調査等)が大嫌いである。(大河「江」の脚本屋とそっく り)
・歴史を全く知らない。(これまた「江」の脚本屋とそっくり)
・普通 この職業の方は控え目が通常であるが、出しゃばりである。(またまた 「江」の脚本屋とそっくり)
・自分自身を褒めるのが大好きである。(これまた「江」の脚本屋とそっくり)
・他人の原作を盗作しても涼しい顔をしている。(お前はパクリが常識な大陸人 か)
・視聴者をイライラさせる術は天下一品(これまた「江」の脚本屋とそっくり)
・男はへなちょこで、目付きは悪いが女が強いドラマが大好き。
・こんなストーリーで主婦に受けようとするバカ。
・自分で満足するシャレだが、視聴者にバカにされる台詞を役者に言わせる。
・行き当たりばったりなので、ドラマに整合性が無い。
・ベテラン女優(徳子)におかしな衣装、化粧について何にも言えない。
・書き出したらきりが無くなったワ。

たまたま今日一緒に見ていた父(昭和13年生)が「昭和25年頃はまだ白米が食べれなかったし、あんな綺麗な服着た人もいなかった。靴もないから高校に上がるまで、ずっと下駄だった」とポツリ。昭和9年生の義母も「高校入学に初めて革靴を買ってもらって履いていったら、その日に盗まれた」と周囲がどれほど貧しかったかを言っていました。ドラマだからフィクション有なのはわかりますが、浅田次郎さんの「虚構の小説だからこそ、時代考証や歴史にはきっちり責任を持つ」のが小説家としての心得と語っていましたが、このドラマは嘘すぎて共感できません。

(丸庵が焼けるのは、往年のアメリカの映画「我が道を往く」のパクリでしょうか。
(ビング・クロスビーが若い牧師をやっていた。淀川長治さんご推薦の映画))

いくらフィクションドラマとはいえ、時代を設定してしまうとそれなりの時代考証が必要となります。
一流の脚本家は衣装、小道具等がその当時に存在したか、
法律等はどうだったか、その地域の歴史は?
言葉使い、方言はどうだったか、
このような事柄を文献等で調査し、脚本されると思います。
その上で作られる作品は、ドラマを盛り上げるために、多少有り得ないと思っていても視聴者は納得するのです。
一方、この作品は脚本家の思いつき、自分の感覚で役者に言わせる寒~いダジャレ、今日が良ければ後は無かった事に~、
こんな考えで作るものだからクレームが花盛り。

本日の鳥肌が立った場面
和成と陽子が雨も降らんのに雨傘(あの時代にあんな傘あった?)でアイアイ傘
この時代、結婚5年も経った夫婦が子供をほったらかしてこんな事するかぁ?
いい年こいた、お花畑状態頭の脚本家が考えそうなストーリー。
今年の暑さで熱中症にでもかかったか?

予想はしてたけど、育子の言葉は今までで一番酷い。
「順調に落ち続け・・」って言葉は冗談で成立するのか? 茂樹の受験てそんなに軽いものなのか? 春樹の遺志を継いだのではないのか? こんな酷い言葉に全員が笑顔なんて本当に「おひさま」は別世界だ。私が茂樹の親だったらこんな娘とは付き合わせない。

名作と言われていた前半だって今思えばどうなのか。多くの人に不評だった房子の存在も脚本家にとっては勝算有りだったのだろうから、もともとそういうセンスの人なのじゃないか
そんなKYさが毎度のからかい場面だったり、常識外れの台詞になっているのではないか。普通の人を描こうにも、作家に常識が無いから無理なのだ。意外性ばかり狙うから実の無い薄っぺらな物になってしまう。
名作だと自画自賛しているようだが、実は最初から穴だらけだったのではないかと思う。
視聴者が良心的に見て見ぬフリをしてきただけなのだ。


ドラマはすべて虚構と言えなくもない。確かに創作であるから当然である。
しかし、そこには一定のルールをもってリアリティーの追求と社会常識に反しないことが前提となっている。
スーパーマンやスパイダーマンに於いてさえ、これは守られる。かれらの超人的な能力のみSFだが、善悪の基準、人間の感情、生命と糧、距離や時間等のリアリティー・常識が通用する。でないと話が滅茶苦茶になってしまうから。

ところが「おひさま」の世界ではこれが通用しないのである。
・首もすわらぬ乳飲み子を毎日汽車に乗せて仕事場へ
・授乳は一回だけ
・子育て未経験者の他人に子を託す
・老幼の序も無視

あり得ないし、倫理性すらない。

初めて投稿します。朝ドラはおもしろいものは録画してでも毎日見るファンです。
今回も、前半は昨年のゲゲゲの女房と同じくらい楽しみにして見ていましたが、戦後はあまりにも時代考証がひどすぎて見るのをやめてしまいました。
私の両親は四国出身で終戦の時に父が13歳、母が10歳でした。戦中戦後の物不足の話はいやというほど聞かされていて、特に配給すら無くなった戦後の方がひどかったということです。
父は17歳(昭和24年)の時、製鉄所に就職するために福岡の独身寮に入りましたが、昼食は黒パン1つだったそうです。60倍の倍率でせっかく入社したのに、あまりのひもじさに同期の方は次々と辞めて国に帰って行ったそうです。
母が18歳で就職した時(昭和28年)は初任給でブラウス一枚しか買えなかったそうです。

延々と続くお土産配り、茂樹くん・さんのドタバタ、受験生へのからかい、ひやかし。つまらないと言うより、怒りを覚える。
丸山一族が卓に座り、面白くもない事柄で笑うのは不快だ。

このドラマは現代のバラエティー番組の制作手法と同種の臭いがする。
視聴者は面白いと感じないのに、笑い声を無理やり聞かされて、ほら笑いなさいとばかり強要する。ある種の思想統制に近い。
バラエティー番組も然りだが、こんなドラマが続くと、かつてテレビ草創期に言われた「一億総白痴化」を危惧しない訳にはゆかない。

出演した俳優達が、脚本家大先生を気味が悪いくらい持ち上げていた。どこかの国の将軍様のようだ。撮影現場で脚本がおかしいと誰も指摘出来ない雰囲気が良く分かる。
俳優やNHKは気をつかう相手を間違えている。
脚本家ではなく視聴者に気をつかって質の高いドラマを作るべきだ。

おひさまの製作陣は汗の描写が嫌いらしい。
汗を流して必死にお金を稼ぐとか、
汗を流して必死に類焼を止めようとするとか、
汗を流して必死に子供を守ろうとするとか。
皆一切汗をかかずして涼しい顔の演技ばかりじゃないか。

ゲゲゲや仁を比較に出して申し訳ないが、
役者さんの必死な姿を参考にしてほしい。
みんな汗だくでやってるじゃないか。

役者さんも苦労しているな、
下手かもしれないけど一所懸命演じてるな、
っていう感じがないから全然訴求力がない。
胸に響かないのだ。
飯田小太郎とオクトパスなどとおちゃらけている場合じゃない。

結局は駄作でしたね。
期待を持たせられた分さらに腹立たしい。
原案あった前半は取り繕えたが、なくなった後半とたんに馬脚を現わし地金がでた。
書きやすい場面は長々だらだらと執念をもって引き延ばすが、構成推敲に少しでも面倒な場面は必要有無に関係なく極力飛ばしに飛ばす。
仕事への情熱はほんとうにあるの。
力量の全く感じられない、やっつけ仕事を見せられて非難ごうごうとなるのは当たり前です。

・この脚本家の得意なせりふ
 「怒るよ!…」
・この脚本家の得意な場面
  からかい、真似っこ、おふざけ、お芝居
・この脚本家の不得意な場面
  真摯な会話、丁寧な描写、ウィット、状況の整合性
・この脚本家の特技
  自己賞賛、独尊

やれやれ……
表面視聴率では品質が表されない典型例ですね。

江戸両国橋西詰の 芝居小屋では 春先から
半年の長興行の芝居が掛かっていた。 演目は「おてんとうさま」
 入り口での口上や派手な幟旗、瓦版のせいもあって、初めのうちは
江戸町民の評判は上々で、入り込みは良さそうだったよ。口コミで
新たに出かけた人もいたそうな。

 芝居の中身は続き物で、段々変ってゆくんだが、どういうわけか、
途中からおかしくなっちまった。筋書きがちっとも面白くねぇし、役者も
観客を無視して悪ふざけはするわ、特定の役者をいびるわで芝居がハチャ
メチャなのよ。

 木戸銭がたんまり入った(視聴率はとれた)興行主は芝居がウケてると
勘違いしているらしいが、現実の舞台に向かってまばらに拍手があるだけで、
殆どの客は、帰りゃしねぇが舞台を観るのを止めておしゃべりしてるみてぇ
だぜ。 客席のあちこちで居眠りが始まったり、不満の野次(Booing)
が盛んに飛んでたな。『木戸銭(受信料)を返せ!』ってね。

そういえば和成が出征するときに上等兵の軍服を来ていたので(襟に星が三つ付いていた)
母が「上等兵?」と驚いていました。
二回目の出征でも、普通は一等兵(星二つ)だそうです。
NHKに問い合わせたら、和成は優秀だからだそうです。
(そんな話聞いたことない。あの頃から、このドラマは結構いい加減だったのでしょう)


私のコメント

B層脱却テレビ洗脳を解く基本としてNHK連続テレビ小説朝ドラマおひさまを視ていた人の投稿をYahooの番組感想欄からすぐれた批判投稿を引用した。
2006年作品のNHK連続テレビ小説純情きらりをレンタルDVDでたまたま借りてみて多少の欠点はあるにせよ戦前、戦中、戦後と昭和激動期を忠実に
再現していたと思う、原案を参考にしてドラマ化していたのでより良かったのではと思う。おひさまが昭和初期の戦前、戦中、戦後の長野が舞台になるとの事で
純情きらりの再現、面白さを期待していたが脚本が岡田惠和ではどうかなといやな不安があった。10年前に放映されたちゅらさんでヒットしドラマ利権の象徴とも
いえる存在になった岡田だがちゃらさんの時から脚本の矛盾、これはありえないだろうというシーンはいくつかあった。
矛盾無茶苦茶の代表的な例が小浜島でヒロインの恵理(国仲涼子)がガジャマロの木の前で倒れ息子の和也が島民に助けを求めるが
いつのまにか舞台は東京の病院になっていて恵理(国仲涼子)はそこで気づく、いったいどうやって東京まで恵理を搬送したのか、その過程が
無視されてしまっているのである。離島で病人が出た場合は小浜島だと自衛隊、海上保安庁のレスキューヘリが設備が整っている石垣島の病院へ運ぶか
沖縄本島まで搬送するのが常識だと思うが、その過程を無視していきなり東京の病院からでは視聴者も?と思っただろう。
ちゅらさん4でも小浜島から何も準備なしに恵理(国仲涼子)がいきなり東京へ行きいつのまにかいきなり東京のシーンになっている。
航空券の手配はすぐできるものなのか?石垣島からも東京直行便は出ているがその過程は無視、視聴者も?になっただろう。
平気で一般常識過程を無視した脚本、演出をする岡田だから私のいやな予感は的中した。私もおひさまは終戦シーンまで見ていたが、
ヒロインの井上真央が国民学校の教師になったあたりから面白くなくなり視るのも苦痛になって視るのはやめた。
純情きらりの再現を期待していたがまったく裏切られた。
他人の作品を盗用、参考にして作ったのが今回のおひさま、当然原作から盗用できなくなると脚本、演出、時代考証の矛盾が出てくるのはは必然である。
NHKブランドと過剰な宣伝によってB層視聴者(主婦層)向けに制作しているから視聴率はそこそこいいだけである。
ドラマ利権にどっぷりと浸かっている岡田だから視聴者は何も分からないし視ればすぐ忘れるからだと見下し馬鹿にしているのだろう。
CIA支配下NHKも視聴者を馬鹿にしてきたがネットによって作品の矛盾、時代考証のいい加減さが暴かれてきた。
NHKにもおひそまの盗用問題苦情は来ているようである。
ヒロイン役の井上真央は在日朝鮮人のようだ。もっともNHK朝ドラマに出ている俳優には帰化者も含めて在日朝鮮人が多い。
B層脱却の基本としてドラマ脚本の矛盾、時代考証のいい加減さを指摘、ネットで調べる、
興味がもてば裏社会の一員であるマスゴミ報道情報の矛盾、在日朝鮮人が多い芸能界のタブー部分に興味が沸いて
そして世界の闇構造の真相までたどり着きリチャード・コシミズ氏の言説に触れ覚醒する私はそう期待したい。


ユダヤ国家アメリカはデフォルト寸前、3.11人工地震テロ、原発偽装事故テロ、インチキ放射能パニックで日本の評価を下げ何とか溺死寸前の
ユダヤ国家アメリカを延命させてきたが連中の思惑通りにならずリチャード・コシミズ氏を初めとするネット有志の情報拡散によって
何とか3.11人工地震テロの再発を阻止できたと思う。しかしまだ油断はできない悪魔以上の連中は何をするか分からない、
引き続き人工地震テロ、偽放射能パニック扇動等の警戒、監視は怠らない事である。

次回の更新には芸能界は裏社会シリーズをやります。松浦亜弥(李亜弥)つまり在日朝鮮人等お楽しみに!!






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NHK連続小説朝ドラマ おひさまはB層女性(主婦層)の受け狙いを狙った駄作3

2011-07-27 10:02:45 | Weblog
妻は産後2ヶ月ほどで職場復帰し、夫は仕事を休んでまで授乳のために妻の職場にやってくる・・・・・・。
働く女性の姿と育児に協力する男性を、現代にさきがけて描こうとしているんでしょう。

でも、3ヶ月目の乳児の授乳回数って、1日何回くらいなのか知らないんですか。
そのうちのたった1回のために、真冬におそらく1時間以上かけて安曇野へ乳飲み子を連れていくほうが、
どれだけリスクが大きいのか、脚本家さんにはわからないんでしょうか。

一つの感動エピソードを描こうとしても、無理や矛盾がいくつも先に出てきてしまうため、
しらけてしまって素直にドラマを楽しむことができなくなりました。

夫が授乳のため会社に昼休み時間を長くもらい、隣町に電車(汽車)で子を背負い妻の職場に毎日訪れる?。現在でも??なのに戦後の慌しい時代にそんな余裕のある会社があったのかなぁ??。時間的にもどう考えてもあり得ないよなぁ。陽子の学校と和の職場が100m以内ならそれもなくはないが。和より徳子のほうが比較的暇だろうに。それではドラマとして面白くないのか。
授乳が昼休みだけ?の問題ではないよ。あり得ない常連の前作に挑戦状かい。ドラマだから多少の無理のあるのは承知の上だが、ここまでくるとまったくアフォらしくて見てらんね~な。そのアフォらしさも愛嬌か?。

なんかこれ・・マジで製作してるドラマですか? 赤ちゃんて毎日お昼に授乳すればいいような都合のいい存在じゃないですよ。大人じゃないんですよ。途中でオムツが汚れたらどうするんですか? 移動中にオムツ替えですか? 汽車の中でするんですか? 周りの人に気を遣いながら?ほっといたらおむつかぶれおこしますもんね。 
それに授乳中にどうして夫が外で待たないといけないんですか?なんでそんなに気を遣うんでしょう。おかしなことばかりです。陽子は和成のことばかり気にしてるけど一番先に考えないといけないのは赤ちゃんのことでしょう。大人の事情に振り回される子供が一番可哀想。 「他に方法が無い」わけないでしょ、どうしても仕事したいんならせめて一年は子育てに没頭しなさい。丸山の人達はあまりに物分りがよくて気持ち悪いです。

これに限らず、水木しげるやコシノジュンコクラスの大物関係が原作のドラマ、または商売で戦略的互恵関係を結べる漫画原作のドラマ以外では、テレビに出てこないマイナーでも実力のある小説家の作品がドラマ利権屋の標的になるのが日常茶飯事であるようです。創造力や矜持よりもカネとコネが優先されるドラマ利権。そんな存在を意識してしまったら、もう素直にドラマは楽しめなくなるので、ここでも火消しならぬ超好意的解釈を寄せる人が多いのでしょう。気持ちはわかります。残念ながらこのドラマは法律的にはクロでなくても、倫理的にはもう十分にクロです。限りなくクロに近いグレーです。

(ラインの工場でなくても)チームで働くということで、ひとりだけ、早出したり、残業したりしても、仕事にならない。
脚本書いている人は、工場で働くという意味が分かっていない。
(やったことないんだろう)
以前から、リアリティが無いドラマだと思っていたが、酷いもんだ。

これから、もっと酷くなる予感がする。

ここに来て、急浮上したおひさまパクリ説。この感想欄での投稿を読み調べて見ました。やはりよく似ています。時代的に似てしまう事はありすがこの両者は、もはやそんなレベルではないと思います。まず本の表紙、自転車に乗る女学生の姿と陽子が酷似している事に驚きました。両者の職業も教師、おしどり夫婦の舅と姑、真知子や育子のような存在の友達、そして何より驚いたのが陽子の赤ちゃんの名前日向子が小説の中では友人の名前として合致していました。姫野さんご自身のブログでも確かに以前朝ドラのオファーが有ったとありました。しかし色々な条件で実現していなかったと…そんな中で始まったおひさまを見てびっくりしたそうです。確かに全部が同じでは無くとも、自分の書いた作品に共通点が多いとなれば気づきますよね。それも岡田さんの作品として堂々と放映されているとなれば心中穏やかではないでしょう。私は、このドラマが大好きだったので残念です…この影響か、戦後編は、急に内容も薄くつまらなくなりました。

井上真央の授乳シーン、無理がありすぎだろ!それも2回も!本人さえも、どうしてよいのかわからず、その狼狽ぶりがありありと伝わってくる。そもそも、何のために、わざわざ松本から、幼子を電車に乗せて、安曇野まで連れてくる必要があるのか。それも、たった数分の授乳のために、これでは、和成より赤ん坊の方が負担が大きいのでは・・知恵を働かせば、いくらでも対処法はあるはず・・それを授けるのが姑の役目だと思うのだが、この姑、あれだけ姉御肌で、安曇野に知り合いは腐るほどいると思うのだが、肝心な時は、知らんぷりを決め込む。自分が楽しいものは人を押しのけてでも率先するが、厄介な面倒事には関わりたくない、という徹底した自己チューが目に余る。

物語がつくられるスタート段階が間違っているのでは、
いいドラマとなるはずがないです。
無理が生じています。

和成が子供の授乳のためにという設定も
和成は一体何の仕事をしているのか(私にはお店の中でふらふらしている印象しかない)陽子が優先されるのには違和感があります。
よくわからないのですが、その当時は学校の先生は特別だったのでしょうか。
和成には、しっかり働いてくださいと言いたいですね~。

丸庵では、きょうもお客さんがいるのに、
店の中で家族が話をしています。気になります。

この物語は、現代を生きる人と昔の人が同居するドラマです。

何故陽子はすぐに教師に復職するのか、ずっと不思議に思っている。子供が産まれたら母親業に専念しろとか そういう事を言いたい訳ではない。教師は確かに女性が続け易い職業だし 復職のハードルも他の仕事に比べれば低い。でも 和成さんねんねこ姿の展開はないだろう。一年育児に専念して松本で復職したっていいし そっちの方が時代背景的にも普通の女性の感覚としても納得できる。陽子が復職しないと生計が立たないとか 家族が協力せざるを得ない説得力ある理由が示されていれば応援したくもなるが 今の陽子は自分が周りに甘えていることにも気がついていないように見える。「学校が好きだと思ったわ」なんて理由で育児と仕事が両立できたら 少子化になんかならないでしょ。育児と仕事の両立という女性にとっての大きな問題を扱っているという意識があるのか疑問だ。
共感できる内容なら それがパクリであろうがなかろうが評価したいが 最近の展開や設定 人物の描き方は本当におかしい。「おひさま」を見て不愉快な気持ちになるとは 一ヶ月前は想像もしていなかった・・なんか 残念。

本当に残念です。初回からずっと感動して見続けてきただけに、こんな日が来るとは。

てっきり、職場復帰するなら、頼りになるのは遠い親戚より近所の人たちで、姑さんがもらいお乳をしながら、乳兄弟に揉まれながら日向子ちゃんは大きくなっていくのかと思いきや、なぜダンナがイクメン? 私も育児と仕事を両立してきましたが、生まれた後どうするか、迷惑をかけないよう段取りはしっかりやりました。生まれてから慌ててもどうにもならないのです。子供に振り回され戦争です。準備は妊娠中に行っておかなければ。

実はこの物語、別に原作があったという説が浮上していますね。てっきりその作家さんの売名行為かと思いましたが、そうでもないようですね。原作に沿った部分までは面白く、原作から離れた部分から急激に面白くなくなったとしたら、残念ながら私としては最早見る価値のないドラマとなりました。
なぜなら、今後の展開は、更に悪くなるということだからです。

今まで感動したことを自分の中に残しておきたいので、私はおひさまの視聴はやめます。
さようなら。

有資格者であることは、子育てが一段落しても仕事復帰が可能なことを裏付けるありがたいものではないでしょうか?
だいたい、あんなに子供好きなら、学校の子供たちより、一番に考えなければならないのはわが子のはずです。現代のように保育園や粉ミルク、紙おむつが一般的な時代ではないのですから・・・・・
子育てを経験したことがある人ならだれでもわかっていること。それは、わが子をおろそかにしたら、かならずしっぺ返しがくること。
あまりにも戦後の時代に合わない、陽子中心主義の劣悪などらまにしか思えないのですがね。
ドラマの称賛者には失礼ですが、何も僻む必要もないし、斜めに見る必要もない。ただ、面白いドラマを期待しているだけです。

パクリの種本がある戦前戦中まではすこしは見るべき点もあったが、盗作が出来なくなった戦後は醜い物語になった。馬脚を露したくだらないドラマです。

最近、前半と後半の物語が違うということが話題になっていますが、それは震災の影響だという方もいる。事実は、この物語が盗作であったことが判明したため、内容を変更せざるを得なかったようだ。

当事者であるの姫野カオルコさんもこの件についてブログで述べている。朝ドラ記念作品であり、岡田恵和さんの作品であると信じて多くの方が賞賛してきただけに裏切られた気持ちです。

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NHK連続小説朝ドラマ おひさまはB層女性(主婦層)の受け狙いを狙った駄作2 

2011-07-26 18:02:21 | Weblog
セットや大道具、小道具、服装などはハード面は昭和21年秋になってはいるものの、
脚本や演出、役者の演技などソフト面はまるで現代、せいぜい平成といった感じです。
陽子の「産んできます」のネタふりに、茂子と安子が気づかないボケは吉本新喜劇か?。

その前にハードも実はボロボロで、あるはずのないテーブルや椅子、食器などが使われていたり、
11月2日の丸庵も産院も安曇野も外は緑緑で、窓を閉めていたとはいえ服装はシャツ1枚とか、
とにかく何とか役者の演技に集中しようと思っても、アラだけが先先に見えてしまいます。

しかし、陣痛が始まってあっという間に生まれちゃったんですね。
初産の場合、普通は半日はかかると聞いていましたが、観光からのお帰りにも間に合った。
すべてにおいて合目的的脚本です。


うるさすぎやしませんか?子供産むのに「おかぁさん助けて」は無いでしょ…日向子って使うあたりも「ハルカ・エイティ」のパクリですね。
「ヒロインを意地悪という人が意地悪」って理論はもはや嫌味でしかありませんね。私は井上真央の演技も若尾文子の演技も意地悪そうだと思います。井上真央は最近の節々の表情が気になります。まぁ、ぶりっ子にだまされる人、気づく人実際もいろいろいるから気がつかない人もいるのかもしれませんね。
ちなみに、みんなから、妊娠して「おめでとう」と言われて、みんなの希望の子なんだワ~と思うのは少し傲慢ですよね。「おめでとう」と言うのは当たり前ですし、みんなに祝って~といわんばかりに手紙出したじゃないですか。
あらすじ見ましたが、和成との喧嘩ヒドイですね。学校まで乳飲み子連れて行くって…赤ちゃん弱りますよ。和成の仕事、そんなに甘い職場なんですかね。あの時代に。

初めの頃と比べると、雰囲気も映像も、同じ作品とは思えないほど違いがあります。
盗りたいトコだけ盗って好評得た後は、面倒なことにならないよう、つまらないオリジナル部分をくっつけたのですかね。

単なる推測に過ぎないが・・・・
本来の筋書きでは、春樹が無事に帰還し、茂樹は名誉の戦死
という事だったのではないのかな? 理由は、陽子の結婚の知らせを
茂樹が「受け取ったかどうか解らない」と言っていた。

真知子と結婚し「須藤医院」を開業して、丸山家と医院を描くはずが
何らかの理由で、茂樹君が帰還する事に「変更命令」が出て
脚本家は全く筋書きが混乱してしまった。

だから何だか皆へらへら笑って、どうでも良い話題に間延びした演技に
なってしまっている。タケオ君達が自作農になり豊かになって行く過程や
製糸業の過酷な背景など、須藤医院を訪れる患者達との話も
用意されていたとか?

そうでも思わないと、余りにも結婚までのどらまと、今のドラマが
違い過ぎて受け入れられない。

急に脚本がおかしくなった理由は、前半は姫野カオルコさんの小説のパクリで後半は策がないからですよね。前半、他にも色々と真似てできたた作品だったようですが、独自の勝負となったらこうなってしまったのですね。もう、おかしなことをして隠しておくことはできない時代ですね~。

虎の威を借る狐みたいなことを天の上から言うよりも、底辺で感想をぐだぐだと述べたほうが性に合っているので、ぐだぐだ書くだけですよ。

脚本家は朝ドラでは一度ちゅらさんで一山当てた人ですよね。そして続編も作って自分のラジオ番組も持っているらしいし。テーマ曲に歌詞もつけて、歌っている人も別の動物番組で歌い上げていますよね。そういう過去の実績があっても、これは変だと感じる人は明らかに多くなっているでしょ。権威主義とは関係ない素朴な疑問は大事にしたいですね。疑問を押さえてほめあげても何も見返り無いし。

いつの時代にも、大物女優の扱いには手を焼く。それなりの出番と存在感を演出するために、脚本家は、ストーリーの変更さえ余儀なくされことがある。さもなければ、大物女優はへそを曲げ、他者の演技者にもプレッシャーが及んでくる。舞台が丸庵に移った頃から、もっとも頻繁に顔をだし、多くのセリフを口走ったのは、他でもない樋口可南子だ。毎回、必ずといってよいほど、彼女の出番が創られている。彼女を際立たせるために、独特のセリフ回し(ザマアミロ、ババア等)が繰り込まれている。まるで、主人公が入れ替わったみたいだ。おひさまに影を落としているのは、この大物女優のような気がしてならない。

おひさまが始まる前に番組宣伝がありましたが、そこで使われた映像は茂樹の出征の時まででした。つまり、2ヶ月分は放映前の3月末までには収録を終えていたわけです。

視聴者の「房子うるさい」の苦情に応じて房子がおとなしくなったのは6月以降です。ロケがなくなってきたのもそんな頃です。今では収録が1ヶ月先までは進んでいる(通常クランクアップは終了の月はじめ)はずです。

そうなると、大震災でロケが少なくなった影響はあったとはいえ、大震災が原因で7月以降の脚本が変わってしまったというのはつじつまが合いません。脚本が別人のようになったのは、実際には5月以降です。

予定通り半分は書いていたものの、なんらかの事情で残りを書き換えた、にしてはあまりにも作風が違います。むしろ、今の方が従来の脚本家の作風です。それでは前半は何だったのか?前半がしっかりしていたのは原案みたいなものがあったのではないか。後半はその原案が使えないから脚本家自らが書いている。そういう考えもなくはないだろう。この謎はもっと注目されるべきであります。

何人かの方が書いておられる姫野カオルコ「ハルカ・エイティ」が原作である、ということで、現代の陽子の年齢にやっと納得できました。たしか、陽子は昭和7年の時に10歳のはずでした。私の母は昭和6年生まれで現在80歳です。母より11歳年上の陽子の現在が若尾文子であることに、???でした。現在ならば、陽子は91歳のはずです。若尾文子が登場する場面が、今より10年前のことなのかと思いきや、斉藤由貴が乗るマーチは現在のものです。「ハルカ・エイティ」は2005年のノベルで主人公の生年は1920年とあります。これで納得。そのままの年齢で展開しているので、若尾文子の年齢がおかしいわけです。どう見ても90歳には見えません。無理がある。原作とかけ離れていく後半の展開は、どうするのでしょう。

リアルタイムの電報。
あのころの電信、電報の状況をイメージするとありえない。
松本から安曇野のネットワーク、ホットラインなどなく
上位階層の逓信局からの伝達になるでしょう。
配達もリアルタイムではない。そんなことしていたら人間何人いても回せない。

学校は週6日制のはずなのに、陽子はいつも家にいる。
家で宿題添削や教材作成などをしている場面は皆無。

結婚したら仕事をやめるのが常識だった時代に、
わざわざ教師を続けさせる不自然な設定にした理由が、何も見えてこない・・・。

学校ほったらかして空襲直後の東京に行く時wですら、
放り出す職務責任のことを気にするそぶり一切なかった・・・
「週に一コマ国語を教えにいってる非常勤講師」くらいが妥当。

教師はもとより、嫁として家事はしてるのか?
洗濯機すらない時代のはずなのに、オール電化されてるような世界だよな・・・。
「仕事と家事を両立する嫁」の姿が、さーーーーーっぱりみえない。

戦中から戦後は、農家に着物もって頭さげて野菜もらたり、闇市行
かないとなかなか食糧手にはいらなかったと思うけど。
そういう食糧難も、食事シーンの台詞だけで説明してるから全く伝わらない。
タケオに対してもあんなに上から目線なんてできないよ。農家の知り合いなんて食糧貰う
有難い存在なはず

松本という土地でも、農家や農家に親戚にない家は
やはり竹の子生で家財を売り払ってでも食糧と交換していたり、
闇市に買い出しに行ったり・・・
その苦労して入手した食糧も移動の列車内で押収されたり
かなり苦しいはずだよね。
餓死者や栄養不良で病気になる人もいた時代。

ドラマ内では若尾・陽子の妄想ナレでその辺をもっともらしく
「ほんとうに大変な時代だったワ」って説明するけど、単にそれだけ。

子どもたちにはノミやシラミが湧いてDDTかけてたりもしたのに
まあみんな身綺麗にしていることだ。
「朝からそんな辛そうな場面は」・・・とか、
「朝ドラはそういうことを映像化しないよ」
って擁護派は居るのだろうけど、
やはり相変わらず超甘甘の世相設定だとしか言えない。

先週の回の野菜持ってくる回、大根の葉が綺麗にカットしてるの見て
うちのばーちゃん実家が農家だったから「大根の葉切るわけないだろ!」ってすげー文句言ってたw
つかそんな時代検証も小道具も用意できないほどレベルが落ちてんだな連ドラ


ゲゲゲは、あのオタクの中のオタクである漫画オタや比較的高齢の朝ドラスレ
の同時代住人達を一応満足させていたな。
戦前後みたいな古い時代をやってるのにこんな調子じゃなあ。
混乱期に子爵のばあさんが松本に居座るなんて検証的に言えばキチガイ沙汰だよw

昭和21年なら、多くの華族も生活に困ってた時期だよなぁ。
宮家の夫人たちでもお屋敷の庭でカボチャやサツマイモ育てたり、
旧徳川御三家の夫人がモンペ着て働きに出てたり。
子爵家のくせにいい御身分すぎるお祖母さま。

燃料不足の時代なのに松本までの車の燃料を調達できたのも超理解不能。
実はGHQとつながっているとしか思えん裕福さ

本当に時代が描けない脚本家だねえ。ため息が出る。

「コクリコ坂から」は,見事にオリンピック前年の横浜の雰囲気を醸し出していたぞ。

脚本家さん、参考になさったら。

あの桐野夫人は最初の時も車で登場したし(あの時代に車で東京から
松本まで来るというのはおかしい、せいぜい都内か近郊まで)この度
の登場もとても戦後混乱期に長距離移動をして来たようには見えない
当時の中央東線は甲府まで電化されていたとはいえ山岳区間が多くて
甲府以遠はSLで煤煙も厳しかったろうし、普通しかないので時間も
掛かる、当時は二等車といっても戦中の酷使で荒れ果てていた。陽
子が育子を救いに東京行った時みたいな感じになっても良いのになん
であんなにパリッとした服着てるのか。

ドラマだから、で許される部分とそれではいけない部分があると思う
戦後の苦しさを表現できないようでは敢えてこの時代を描く意味がない
苦しい時代をできるだけ明るく乗り切ろうって、
台詞で説明してるだけで役者の演技や小道具に説得力が全く無い
あの時代に生き本当に苦労した人たちを冒涜するようなもの

出席簿以前に、戦前の尋常小学校や国民学校では
小3になると男子組と女子組に分かれていた。ソースは79歳の母。
大人の事情で男女混合クラスにしたんだろう。

岡田と同年代だけど、昭和ひとケタ生まれより年齢が上の女性の先生は
男子生徒のことも「○○さん」とサンを付けて呼んでいた。
戦前に教育を受けた女性の先生はそうだった。

嫁のお祖母さんなんだよな。陽子を娘として扱うというなら、
ばあさんは徳子の義理の母。
このドラマの一番問題なのは、そういう基本的な部分が抜けてるところ。
だから、戦前から戦後初期の雰囲気を全く感じさせないんだよ。

終戦から1年ちょっとの東京に若い娘が行くのは無謀なのに、社会状況が頭に無いね。
進駐軍がいるし、戦勝国側のアジア人が跋扈するし、混沌としていたと思う。
普通の家庭の娘が娼婦に身を落とす事もあるのに
(歌謡曲「星の流れに」や清張の「ゼロの焦点」にもある)
当てもなく東京へ行って何するんだ?

自分も「東京にきたら吃驚するわよ」には吃驚した。
Pや岡田、どこまで馬鹿なんだろうか。

防空壕の穴で暮らしてた『君の名は」の真知子さんや、
都心の駅には空襲で家や親を亡くした子どもがさまよい
生きるために「夜の女」に泣く泣く身を落とした女性たちが
必死で生きてた時代なんだけど
「なんちゃって華族」の目には復興した東京に見えたのだろうか。

華族の家屋敷で空襲の焼亡から逃れた家の多くは
米軍に接収されてた頃だよね。
「加賀百万石のお姫様」の酒井ミーコ様みたいに、
屋敷を米軍向けの倶楽部にして稼いでしまいました・・・
みたいな強者は少ないはず

育子はどこで赤い服に着替えたのか。
東京からあの格好で来たのか。

陽子の結婚が即村中に広がるほどなのに、
丸山母がもんぺではない着物のまま須藤家に来たことを
あげつらううわさがおこらなかったもんだ。

私服に戻った後に床屋のおばちゃんとはじめましてと挨拶してたけど、
一体誰が婚礼時の陽子の髪のセットをしたのか。

結婚式で陽子の旦那が国民服で真知子はもんぺなのに、
他の人たちの衣装は一体・・・

本当に不思議な物語だ。

憲兵にしょっぴかれないんだろうか?
「この御時世に花嫁は贅沢な白無垢を着ているしお友達は敵性品を着ているし
丸山さんのとこの嫁は非国民でないかね?」
と松本じゅうの噂になっていることだろう。

去年のゲゲゲでは姉ユキエの結婚式のとき
源兵衛「娘の祝言に紋付きも着れんとはな」
ミヤコ「派手な事はいけんて町会からのお達しですけん」
という会話があった(源兵衛は国民服)
実話が元になってるのだから本当だったのだろう
島根の安来でそうなのに安曇野ときたら・・

自分も含めてだけど、今までの不満が噴出してきたって感じだねw
おひさまはいいところもあるから多少のことは脳内変換したりして正当化してきたけど
最近はそれもね。
例えば、一人で家事は大変だ。お手伝いがいないのはおかしいっていうレスがたくさんあったけど、
自分の場合、近所の人などをやとって洗濯や掃除の手伝いをしてもらってたことにしていた。
でも、最近の見合いの話みたいにありえないエピソードばかりで擁護のしようがなくなると
脚本家や制作陣は実は何も考えてなかったんだろうなって思うようになった。
時代などを無視した見合いなのか恋愛なのかわからない感じは、某○河ドラマを彷彿とさせるよ

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NHK連続小説朝ドラマ おひさまはB層女性(主婦層)の受け狙いを狙った駄作1

2011-07-26 18:00:05 | Weblog
姫野カオルコのブログ見て、なぜおひさまがつまらないか納得。なぜ若尾文子のようなけばけばしい人が現代の陽子なのかわ納得。要は女学生時代は原作がしっかりしていたわけだ。こういうのが世の中なくなればいいなぁ。「ハルカ・エイティ」か。なるほど。

はじめのころは録画して欠かさず見てた。次の回が楽しみでたまらなかった。
でもだんだん録画は早送りするようになり、今ではテレビを消すようになった。
なにも悪人を出せとか大事件が起きろとかおもろいキャラクター登場させろとかいってるのではない。多少なりとも共感をもたせてくれないものか。あまりに現実味のない、絵に描いたような気持ち悪いほどのいい人ばかりの、どーでもいいだらだら話に付き合えるほど暇ではない。

「朝ドラの王道」に戻した狙いは、自信のなさをカモフラージュする為と気づくべきでした。
 ハッキリ言って「逃げ」の姿勢です。
 ここでも指摘されているように戦争を扱えば不謹慎な言い方ですが、動かし難い史実の前に視聴者を納得させてしまうことが可能となる筈でした。が視聴者の目は節穴ではありませんよっ。
 完全デジタル化、また朝ドラ50年の節目には、無難に「ちゅらさん脚本家」を用意し、画像的には美しい安曇野を選び、キャリア充分な井上さんをヒロインに据え、ついでにイケメン男優を取り巻きに添えて。そうそう、歳の重ね方に定評のある若尾さんをワザワザ画面に出す(ナレだけでも聞くに堪えないのに)。
   ところがこの脚本家、なんと戦中戦後にも「ゆんたく」しか描けなかった!
  須藤父、飴や、そして大女優おばあさまは拝み倒しで出演依頼交渉。
   若手売れっ子たちは、仕事のかけもち状態。
  丸庵の夫婦は長期間拘束可能、準主役扱いということで。 
 こう書いてくると逆に「ゆんたく物」しか収録が可能にならないかも?
   だから岡田脚本が妥当というのに、変な納得をしてしまいます。

前半と後半の脚本家が別人に変わったかのような、その謎の真相がわかったような気がします。前半は事実上原作付、後半はちゅらさん劣化版。脚本家の実力は現代の2、3年を描くことしか本当はできなかったのだ。なぜ現代人がコスプレで演じているように思えたのかは、事実上の原作者の意図から合点がいきました。ただ残念なことに、ドラマ制作陣に大事なものが欠落していたのですね。

スタートした頃は格調高い感じがあり、久々の本格派かと期待感をもって見ていたが、戦中結婚するあたりから段々トーンダウン、戦後にいたってはよくある下町舞台のコメディーと化し、完全にズッコケた。
今や樋口可南子が主役のように見える・・・。
和成はいい人、でもただそれだけ・・。
そもそも構想に無理があるから苦しくなる。
華族制度廃止など絡ませているが、遡れば公家、大名であった旧華族は今でも親睦組織をもつほど家門の誇り高い人々であり、いくら失意でも当主夫人が蕎麦屋の店頭に立つなどありえない。”武士は喰わねど高楊枝”なのである。
終戦後しばらくはまだ貧富の差は極めて大きく、サラリーマンでも財閥系大企業だと課長になれば女中が置けた。旧子爵ともなれば職能別に使用人がいたはず。この当時自動車運転手は高度技能者で社会的ステータスは今よりずっと高かった。運転手が厨房に立つなどあり得ない。執事であればなおさら。
婿養子を取るほど老舗の丸庵に使用人が一人もいないのは不自然な気がする。
歴史が絡むドラマは歴史教育の側面もある。若い人が間違った時代認識を持たぬよう注意してほしい。

戦後になって男たちの扱いが軽い。
女が強くなったとでも言いたいのだろうか。
何が起きても葛藤も批判もなく受け入れる父良一、年下の育子におちょくられる茂樹、マザコンの和成、徳子の尻に敷かれる道夫・・・。
あの時代一家を支える男たちは本当に大変だった。とくに食料の確保は大変だった。超満員鈴なりの買出し列車に窓から乗り込んで農村に行き、物々交換で米、野菜を調達したり、ヤミ市ヘ行ったり、そうしたことは男の仕事だった。その時代を生きた母からは「お父さんがいてくれたからあの時代を乗りきれた。」とよく聞かされたものだ。
このドラマからはそうした時代の空気、男たちの苦労、女たちの感謝が伝わってこない。

これが三谷幸喜脚本と浜田雅功主演の「竜馬におまかせ」みたいに最初から割り切っているなら、まだわかるんですよ。朝ドラみたいにらしさが求められる枠だと、時代物は時代物らしくやってなきゃ、見てる人は私も含めて頭が固いからなんじゃこりゃですよ。別人のように変わった脚本家の今は、ちゅらさんを彷彿とさせるダラダラ展開だからこの脚本家らしさが存分に出ていますが、時代物失格です。大河ドラマと同じですね。もしかしたら脚本家が前半は弟子にゴーストを任せていたんですかね?それだったら弟子の方がよほど優秀ですよ。はやく弟子やめて別口で才能出した方がいいです。

以前は星5個でしたが今は駄目です。岡田、なにやってんだか・・

戦前の女が主人をにらんだり謝らせたりありえない(怒)

ちゃらしい今風になって情けない・・女にこびた視聴率優先ですな・・・

それとどなたか書いていましたが参考にした
原案本があるようですね
純情キラリの時は最初から解っていたので、
ドラマと原案本とどこが違うのかが探すのが
楽しみでしたが---
この作品は創作の女性一代記?と思っていました。

http://only5.himenoshiki.com/

誕生生された頃松本で中学生だった男です
配給米や親の工面した食べ物だけでは空腹の毎日外で食べようにも
蕎麦屋や飴屋等の飲食店は皆無
大人は朝から夜遅くまで仕事で精一杯とても
妻の出産に立ち会う暇はない 大和撫子の
妻はいくら苦しくてもじっと我慢した
周りの人は母子共に元気な姿をみてホッとして喜ぶが
あんな大騒ぎはしない
ドラマだからといえ
こうした時代錯誤の場面を観るのが辛い

私は団塊世代、地方都市のサラリーマン家庭で育ちましたが
小学生の時にはまだ物がなくて、お肉なんて手に入らずカレーにはお肉の代わりに油揚げが入ってました。
下着や衣服は母の手作り、それも古着をほどいてリサイクルした物でした。
丸庵の光景は明らかに不自然です、
リアルが良い訳ではありませんが
どうでもいいような日常の会話を描くだけでは視聴者の共感を得る事はできません。
物の無い時代にどのように陽子が逞しく生き抜いたかを描いて欲しいです。
それが被災地の人達を元気付けたり、現在の閉塞感を生き抜く力になるのではないでしょうか?
今後は日向子ちゃんを中心にしたチマチマした日常が描かれるのではないかと心配です。
私も妹も母が栄養失調の為に未熟児でした、厳しい時代は厳しく描いて欲しいと思います。
厳しい中にも希望が有り、皆が前向きな時代だった事を伝えて下さい。

村上キヨの「戦争は終わったんだよね」のセリフがその当時の本音だと思います。
冒頭のナレーションにもあったように、物資は不足していて戦争の傷跡はまだ大きかった。
なのに、丸山家は少なくとも戦後10年以上経過していたかのような雰囲気にしか見えません。

さて、安曇野を訪れた陽子ですが、11月2日生まれの日向子はようやく生後2ヶ月。
真冬の寒さの中、そんな首がすわるかどうかの子を抱いて出かけることに危険を感じないのか?。
実際、仮に現・穂高あたりとしても電車に乗って30分以上、そこから歩かなきゃいけないはず。
にもかかわらず、陽子はまるで車でチャチャッと来たみたいに涼しい顔をしていました。

今週は和成が授乳を頼みに小学校を訪れるそうですが、町内に出かけるのとはわけが違います。
かと思えば、出産をわざわざ電報で知らせる。道夫さんあたりが電車で走ったほうが早くない?。
みんなの期待を一身に集めて生まれた、“太陽の陽子の子”なんですから。

松本~安曇野の距離を都合よく長くしたり短くしたり、まったく都合のいい脚本です。

ハルカ・エイティ、姫野カオルコさんの作品です。

『おひさま』はこの作品のパクリだと
本日判りました。

今までこの物語に
感激して涙していましたが。
本当にガックリです。

後半に入りこれが同一の脚本かと
疑いたくなるほどだったので。

この脚本家が病気にでもなったのかと
心配していましたが。

私が愚かでした。

この数ヶ月に渡り
絶賛してきた私が恥ずかしい。

やはり本は読まねばと反省しています。

出演者みなが健康的で血色良すぎ、幸せそうに演じていて、
敗戦直後の食糧難・物不足のすさんだ時代という感じがまったくしない。
長野が別天地だったというわけではないだろうに。

あと、初対面の和成と茂樹の会話。
復員したばかりの元軍人どうしは、どこの戦地のどんな部隊にいたとか話したがるんじゃないの?
戦中は軍事機密で話せなかっただろうからなおのこと。
タケオは大陸の戦地からなんとか生還した感じが出ていた。
茂樹は特攻できず死ねずに脱け殻状態なのかもしれんけど、
和成は軍服もきれいだし一体どこで何をしていたのかイメージが湧かない。

なんか、旦那復員してトラウマっぽい描写あったのに、直ぐに妊娠発覚とか、、
この脚本家人に対する想像力が決定的に欠如してるよ。
本当に脳内妄想乙ってかんじ。。
小学生レベルのストーリー展開なんだもん。。


台詞も陳腐だよなあ。
会話もそうだし、何か話した時も大抵どーゆー反応するか想像つく。
本当にびっくりするほど面白くない!!!!


夏子先生が陽子の尻を叩こうとして止める描写、あれはいらないだろ。
妊婦は体を守るために、相手の反応に非常に敏感だよ。
目の前で手をあげられてどれだけ緊張するか。それをうっかりでも、やろうとする先生。
夏子先生もいい人!というイメージにしたかったのだろうが、逆効果だよ。

学校は週6日制のはずなのに、陽子はいつも家にいる。
家で宿題添削や教材作成などをしている場面は皆無。

結婚したら仕事をやめるのが常識だった時代に、
わざわざ教師を続けさせる不自然な設定にした理由が、何も見えてこない・・・。

学校ほったらかして空襲直後の東京に行く時wですら、
放り出す職務責任のことを気にするそぶり一切なかった・・・
「週に一コマ国語を教えにいってる非常勤講師」くらいが妥当。

教師はもとより、嫁として家事はしてるのか?
洗濯機すらない時代のはずなのに、オール電化されてるような世界だよな・・・。
「仕事と家事を両立する嫁」の姿が、さーーーーーっぱりみえない。

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