「餃子」というと、どうだろう。
昔、母親がボールに肉や野菜を混ぜ、捏ねた餡を市販の皮に
包んで、フライパン一杯に敷き詰め、適当な焼き具合に達した直後、
お湯を足して「ジューッ!」という音の響きとともに、それを出来上がり
間近の合図として家族が集まり、大皿ひとつに盛られた餃子を白飯
を片手にたらふく食べた、そんな幼少の記憶。
年月が経って、いつのまにか冷凍された餃子に変わるものの、
それでも好物がゆえに相変わらず白飯を片手にという、夕食の
定番メニューとして不動の位置づけは揺るがない。
社会人として、サラリーマンとして、自立して一人暮らしをしても
夕飯は馴染みの中華の店で「餃子ライス」。
大好物のひとつとしての餃子はいろんな土地でも食べてきたが
美味しいものあり、個性的なものありと思い出としての「餃子」
は数限りない。
ここ安曇野にも、以前からもの凄く気になりながらも、道順が思う
ように理解できなかったり、それ以上に美味しいお蕎麦やパスタに
一時心が移ったりと、近くにありながらも、なかなか行き着くこと
ができなかった餃子のお店が「安曇野餃子館」。
築100年を越す古民家を改装したお店とのこと。
思い描いていた多大な期待感もそれが過度となれば逆に不安が
少しずつ募ってくるのが初めて食する時の心境だが、17時半の
夕方の開店前にすでに店の入り口をお盆休みらしく何組かの家族連れ、
カップルたちが店前を囲むようにオープンを待ち構えている様子を
見てそんな不安もすぐに払拭されたような気がする。
「餃子定食」。
餃子10個に豚汁、キムチ、白飯(おかわり1杯まで無料)で950円。
これを注文。
昔、母親がボールに肉や野菜を混ぜ、捏ねた餡を市販の皮に
包んで、フライパン一杯に敷き詰め、適当な焼き具合に達した直後、
お湯を足して「ジューッ!」という音の響きとともに、それを出来上がり
間近の合図として家族が集まり、大皿ひとつに盛られた餃子を白飯
を片手にたらふく食べた、そんな幼少の記憶。
年月が経って、いつのまにか冷凍された餃子に変わるものの、
それでも好物がゆえに相変わらず白飯を片手にという、夕食の
定番メニューとして不動の位置づけは揺るがない。
社会人として、サラリーマンとして、自立して一人暮らしをしても
夕飯は馴染みの中華の店で「餃子ライス」。
大好物のひとつとしての餃子はいろんな土地でも食べてきたが
美味しいものあり、個性的なものありと思い出としての「餃子」
は数限りない。
ここ安曇野にも、以前からもの凄く気になりながらも、道順が思う
ように理解できなかったり、それ以上に美味しいお蕎麦やパスタに
一時心が移ったりと、近くにありながらも、なかなか行き着くこと
ができなかった餃子のお店が「安曇野餃子館」。
築100年を越す古民家を改装したお店とのこと。
思い描いていた多大な期待感もそれが過度となれば逆に不安が
少しずつ募ってくるのが初めて食する時の心境だが、17時半の
夕方の開店前にすでに店の入り口をお盆休みらしく何組かの家族連れ、
カップルたちが店前を囲むようにオープンを待ち構えている様子を
見てそんな不安もすぐに払拭されたような気がする。
「餃子定食」。
餃子10個に豚汁、キムチ、白飯(おかわり1杯まで無料)で950円。
これを注文。
髭面でがっしりとした体格ながらもその小気味良い動きとテノール
歌手張りに大きい声が妙に個性的で印象に残るお店のご主人
が餃子を僕達のテーブル上に置く寸前に
「見た目は少し焦げてるけど、ほんと美味しい餃子ですから」
と、その言葉と自信に満ちた視線に黙って頷きながら、
焼き餃子を一口頬張った瞬間、皮のモッチリ感としっかり詰まった
餡の食感、小籠包を思わせる肉汁のジューシー感が圧倒的に口の中
に広がり、野菜のシャキシャキ感とその香りが後味に際立つ残響を
残しながらも、お肉のコクはちゃんと主張しているといった、
素材を生かした癖のないオーソドックスさが飽きさせないという
秘訣もきちんと抑えた、抜群にバランスの取れた旨みを認めた時は、
「美味しい・・・」と蚊の鳴くような小さな呟きしか出なかった。
食後の脂っぽさも感じない、見事な加減にも驚いた。
食事のお店の名前に「安曇野」と付けた瞬間にその期待される
付加価値に、自信とは裏腹に相当なプレッシャーもあるとは思う
のだけど、ここの餃子の美味しさは「安曇野」の素材をそのまま
に表現しきった作品であるだけに逆に餃子に「安曇野」と付けな
ければいけないようなとそんな解釈も充分ありと思える一品だと
思った。
あえて、これに太刀打ちできる餃子があるとすれば、幼少の記憶
の中に留まる「おふくろ」の手作り餃子くらいだったのではと、
つい思ってしまうのは、過剰なノスタルジーに走り過ぎだろうか。
「見た目は少し焦げてるけど、ほんと美味しい餃子ですから」
と、その言葉と自信に満ちた視線に黙って頷きながら、
焼き餃子を一口頬張った瞬間、皮のモッチリ感としっかり詰まった
餡の食感、小籠包を思わせる肉汁のジューシー感が圧倒的に口の中
に広がり、野菜のシャキシャキ感とその香りが後味に際立つ残響を
残しながらも、お肉のコクはちゃんと主張しているといった、
素材を生かした癖のないオーソドックスさが飽きさせないという
秘訣もきちんと抑えた、抜群にバランスの取れた旨みを認めた時は、
「美味しい・・・」と蚊の鳴くような小さな呟きしか出なかった。
食後の脂っぽさも感じない、見事な加減にも驚いた。
食事のお店の名前に「安曇野」と付けた瞬間にその期待される
付加価値に、自信とは裏腹に相当なプレッシャーもあるとは思う
のだけど、ここの餃子の美味しさは「安曇野」の素材をそのまま
に表現しきった作品であるだけに逆に餃子に「安曇野」と付けな
ければいけないようなとそんな解釈も充分ありと思える一品だと
思った。
あえて、これに太刀打ちできる餃子があるとすれば、幼少の記憶
の中に留まる「おふくろ」の手作り餃子くらいだったのではと、
つい思ってしまうのは、過剰なノスタルジーに走り過ぎだろうか。
「安曇野餃子館」HP