『ピアニストを待ちながら』
鑑賞日時:12/1(日)18:00~
鑑賞映画館:シモキタエキマエシネマK2
瞬介(井之脇海)が目を覚ます。そこは真夜中の図書館の階段。外に出ようと自動ドアが開いて先を進むがなぜか出ることができない。どうしても館内に戻ってしまう。途方に暮れながら館内をうろうろしていると男女4人に出会う。うち二人はかつて演劇仲間であった。集まった5人でなぜか芝居の稽古が始まる。
彼らは芝居の稽古を続ける。ピアニストを待ちながら。さてピアニストとは一体誰のことなのか?ピアニストはいつ来るのか?行人(大友一生)は言う。「今日は来ない。でも明日は来るかもしれない」と。しかし夜が明けないことには明日はやってこない。図書館にいる限り夜が明けることはない。待っていてもピアニストはいっこうに来ないだろう。そうなると私たちは図書館から出ることもできず、ひたすら芝居の稽古=人生を続けていくしかない。メビウスの輪よろしく迷宮ループが延々と続く。
作品の重要なテーマにコロナ禍の世界と以降のSNS、コミュニティのあり方への社会批判がメタファーとして表現されている。私自身2022年8月にコロナに罹患して2週間の外出禁止の隔離状態を経験した。それは自宅を出ようと思えば出ることができたのだが、なぜか出られなかった。出てはいけない社会意識に囚われていた。しかしコロナが5類感染症に移行したとたん、あっけなくまるで無かったことのようにされている。考え方にもよるが、相当不条理な現象ではないのか?つまりこの映画作品が醸し出す「不条理」よりも実は私たちが今を生きているこの生活世界で起きる現実の方がよっぽど不条理に満ち満ちているのだ。
良い作品だった。鑑賞後の満足感が激しい。暗めの映像と不協を奏でる音響から滲みでる不穏さの雰囲気と役者さんたちが不思議な振り付けが、爽快な一体感を感じさせる。素晴らしかったのは夜の図書館の静寂に抗うように突如展開されるダンスシーン。瞬介(井之脇海)の吹替なしの即興ピアノ演奏と行人(大友一生)と貴織(木竜麻生)のシンクロは完璧である。見応えがあった。貴織が「はなればなれに…」とセリフを言った時に、あのダンスはやはりゴダール映画作品のアンナ・カリーナとピエール・ブラッスールの胸躍る場面だと確信した。