〇 企業のDX(デジタルトランスフォーメーション)は確実に進んでいる。ITユーザー企業の団体、日本情報システムユーザー協会(JUAS)の『企業IT動向調査報告書 2023』では、DXを推進できていると思うと回答した企業は2割以上に達しており、成果も出てきたところだろう。
ただ、DX推進にあたっては課題も多い。この調査報告書では、DXを推進するうえで最も課題になっていることも尋ねているが、実に48.3%と半数近くの企業が「人材・スキルの不足」を挙げており、DX推進においてかなり大きな壁になっていることがうかがえる(図1)。
では、DXをうまく進めている企業は、どのように人材・スキルの不足という大きな課題に取り組んでいるのだろうか。今回は、DX時代の業務改革で避けて通れない、デジタル人材の育成・確保をテーマに取り上げ、筆者の視点で取り組みのポイントをまとめてみたい。
技術寄り・ビジネス寄り両方の人材を育成・確保。
デジタル人材不足への対策は、おおまかにいうと3通りある。(1)内部の人材を育てる、(2)外部から人材を獲得する、(3)外部のリソースを活用する──である。これらの対策を組み合わせることもあるだろう。いずれにしても、どのような人材がどれくらい不足しているのかを経営陣に伝達できる形で明確化することが、人材の育成・確保に向けたアクションをとるための大前提となる。
IT人材の育成などに取り組む情報処理推進機構(IPA)は2022年12月、DXを推進する人材の役割や習得すべきスキルを定義した「DX推進スキル標準(DSS-P)」を策定した。同年3月に公開した「DXリテラシー標準(DSS-L)」と合わせて、個人の学習や企業の人材育成・採用の指針となる「デジタルスキル標準(DSS)」としてまとめている。
DSS-Pには、DX推進に必要となる標準的な人材類型とそのスキルセットが定義されている。具体的には「ソフトウェアエンジニア」「サイバーセキュリティ」「データサイエンティスト」といった技術寄りの人材類型に加えて、「ビジネスアーキテクト」「デザイナー」といった業務改革を企画・設計する役割を担う人材類型を定義した(図2)。
ビジネスアーキテクトは、業務改革を通じて実現したいことを設定し、関係者をコーディネートして目的を実現する人材である。デザイナーはビジネスの視点などから製品・サービスのあり方をデザインする人材だ。いずれもビジネス寄りの人材類型といえる。
実際、デジタル技術を活用した業務改革をうまく進めている企業では、ビジネスアーキテクトやデザイナーに相当する人材像を定める企業が多いと感じている。以下がその例である。
ある大手製造業の企業では、AI(人工知能)や、あらゆるモノがネットにつながるIoTなどの専門知識・経験を持つ「デジタル技術スペシャリスト」に加えて、「DXプランナー」と呼ぶ人材を定義して育成している。DXプランナーは、現場の課題を発見し、その課題をデジタル技術の活用により解決する施策を立案する役割を持つ。現場の実務者だけにデジタル技術の活用を任せるのではなく、DXプランナーが客観的な視点から、実務者では見つけられない課題を抽出するというコンセプトに基づいており、DXプランナーはDSS-Pにおけるビジネスアーキテクトやデザイナーに近い人材だといえる。
別の大手サービス業の企業では、「DXコア人材」という人材像を定義している。これは、ビジネスモデルの変革を起こせる人材であるとともに、自らの組織でDXをリードして実装する人材だと定義されている。このDXコア人材は、やはりDSS-Pでいうビジネスアーキテクトやデザイナーに近い役割を持つと感じる。
このように、DXを推進できている企業では、デジタル技術の知見を持ち、業務を俯瞰(ふかん)的・客観的に捉え、あるべき姿を描ける人材の育成・確保が進んでいる。もちろん、デジタル技術自体やデータサイエンスに明るい人材、並びに技術的な安全を担保するサイバーセキュリティに明るい人材はDX推進に必要だが、そのような人材と柔軟に協業しながら、業務改革を進められるビジネスアーキテクトやデザイナーに相当する人材像を定義し、育成・確保することも同じぐらい必要なのである。
実務人材のOJTによる育成が意外な近道。
では、ビジネスアーキテクトやデザイナーといったビジネス寄りのデジタル人材を育成・確保するにはどうするのがよいだろうか。
良い人材を外部から獲得できればそれに越したことはないが、デジタル人材不足はどの企業でも課題で、冒頭に示したとおり、適合する人材を獲得できないところが多い。ここは「急がば回れ」であり、内部で人材を育成することが遠いようで近道だと考える。
ビジネスアーキテクトやデザイナーに相当する人材を育成する、ある製造業の企業では、座学よりも、実践的ないわゆるOJT(On the Job Training)へ主体的に取り組んでいる。
まず、全社的なDX推進部門に、ビジネスアーキテクトやデザイナーに相当する人材を配置しつつ、それらの人材が先遣隊として特定の事業部門に入り込む。そのうえで、事業部門側の実務者とともにデジタル技術を活用した業務改革を数カ月ほどかけて企画・構想する。こうした形をとることで、DX推進部門が事業部門における業務改革の企画・構想を練りつつ、その実戦経験を通して、現場の実務者にデジタル技術を活用した業務改革の企画・構想の経験を積ませる。
このような取り組みから成功体験が生まれることで、DXの推進を担った現場の実務者を新たなビジネスアーキテクトやデザイナーとして育成できる。そのうえ、DX推進部門のビジネスアーキテクトやデザイナーに相当する人材が他の事業部門に対して、実績のある業務改革の企画・構想を横展開することが可能となる仕組みだ。将来的には全社的にビジネスアーキテクトやデザイナーが増え、DX推進の加速につながるという成果が期待できるだろう。
OJT自体は珍しくないが、DXに取り組み始める段階では、人数が限られるビジネスアーキテクトやデザイナーを有効に活用できる点に注目したい。加えて、強調しておきたいのは、個人の頑張りなどに頼らず、組織的に人材を育成する仕組みを実装することが、継続的なDX推進を実現するポイントの1つだといえることである。
全社的・継続的な人材育成の仕組みづくりが重要。
これまで述べたように、DX時代の業務改革を推進するデジタル人材は、その人材像の定義と育成を通して確保していくことになる。これは一般的なIT人材の育成・確保の進め方とその考え方は同じだ。人材像の定義やスキルセットが異なるだけである。
とはいえ、デジタル技術の進歩は早く、デジタル人材の人材像やスキルセットの定義は短期間に、それでいて技術の変化や自社の要求を踏まえて体系的に進めなければならない。また、人材の育成・確保は、自社内でDXを推進する体制が広く整備できるまで、中長期にわたり継続的・確実に取り組まなければならない。
これは決して容易なことではないが、その一助として「デジタルガバナンス・コード」の考え方を採り入れることを提案したい。これは経済産業省が2020年、デジタル時代において経営者に求められる対応をまとめたものである。その2年後には、改訂版「デジタルガバナンス・コード2.0」が公開されている(図3)。
デジタルガバナンス・コードでは、「1.ビジョン・ビジネスモデル」「2.戦略」「3.成果と重要な成果指標」「4.ガバナンスシステム」という4つの柱立てがある。経営層が全社で計画・方策を定めて進捗状況をモニタリングしながら、各部門が着実に実行することで、DXが全社的に推進されていく──という考え方をとっている。それぞれの柱でDX推進を企業組織で行う際の指針が「柱となる考え方」として、具体的な行動については「取り組み例」としてまとまっている。
人材育成に関するものとしては「2.戦略」の中にある「2-1.組織づくり・人材・企業文化に関する方策」というサブ項目が参考になる。ここでは、「デジタル戦略推進のために必要なデジタル人材の定義と、その確保・育成・評価の人事的仕組みが確立されていること」「人材育成・確保について、現状のギャップとそれを埋める方策が明確化されていること」といったデジタル人材の育成・確保に関する取り組みの方向性が盛り込まれている。これらを自社に採り入れ、経営層がデジタル人材の育成・確保に対して全社的取り組みとして継続的にコミットすることで、DXを一段と推進しやすくなる効果が見込める。
今回は、DX時代の業務改革を進めるうえで必要となるデジタル人材の育成・確保について取り上げた。人材像の定義や育成方法については、人材確保一般の話と通じるものがある。ただ、「デジタル技術を活用した業務改革を全社的に行うこと/行える状態にすること」をDXと定義するならば、デジタル人材の育成・確保は、他の人材の育成・確保と分けることなく、一体で行う状態が最終形とも考えられる。もちろん、その状態へ一足飛びには行かないものの、そこに向かう過程で、今回述べた取り組みや考え方を採り入れることを検討してはいかがだろうか。