先日の中山美穂さんの入浴事故の事で、ネットでは、 入浴事故が交通事故の2倍起こっているとあった!!
普段から高齢者の事故や自殺の報道でも興味も持たないと知らないところでどれだけ起こっているか分からないもんですね!
昔、自分が妊娠した途端に、周りで妊婦をよく見かけるようになったという事がありました。
意識がアンテナを張るんでしょうね
それをどう精査しながら進むかでしょうけど。
そんな感じでしょうか (^.^)
私も数年前にはよくお酒を飲んで入浴の最後に掃除をするため水抜きならが2時間ほど寝ていたという話をしました (^^;)
バカな事してそんな事故に遭うのもアカンなと思い直したと (^.^)
まあそれでもどんな状況で自分の寿命の最期を迎えるかは分からないので、結果でとやかく言われるよりも普段からそうならない生き方を心して置くという話をしていました (^.^)
そんな私、昔から自己肯定感低かったといつも話しています、自尊心も低いと!!
今ではそんな自分も認め、自尊心も高め、どんな自分をも好きになり肯定していく努力をしていると !(^^)!
よくよく考え「どんな自分でも」という事は、善も悪も、良いところも悪いところも間違ってしまった自分も認めるという事を知って、価値観を育てようとして来て。
陰陽の世界観の中でバランス取ろうとしている訳で (^.^)
真反対の世界観の海に浸かったとしても精査して抜け出したり、認めて両方良しとしたり、その世界観を広げるという。
大きな海にしていくという。
そうなると自己肯定感低かった自分を愛おしく思うようにもなってきて、
自己肯定感低い事すらも認めようと !(^^)!
そんな自己肯定感低い自分は、なんにでも自信が無かったので、
全てにおいて用心深かったんです。
何でも先にこうなったらどうなるんだろうと、想像力もあって。
その想像力が悪いように怖がりで現れることもあったけど、
用心が身を守るという事も多かったんです。
先に意識する事が多いという事でもあったんです!!
たとえこんな入浴の事に限ってでも
思ったより寒いなぁ~、
思ったより冷たいなぁ~とかって、先に意識する事で
用心が働く。
毎日、日常、普段、意識をして生きるという話をしていましたが、
思考じゃなく、意識はその用心が働くなと思うのです。
自己肯定でも自己否定でもどちらでも、その本質を考えると同じで、共通していて、繋がっているので、
思考ではなく本質の意識、
そこに到達すると、どちらでも良いのだと。
自己肯定感低かったお陰で、自信ない私は人の方が断然すごいとか、人の方が出来るとか、そう考えるので、謙虚な心も最低限あった、
それでも自己否定とか、自虐とか、自分を傷つけることは止めようと。
謙虚とはプライドで、誇りでもあり、
誇りを持つと謙虚な心にも成れると。
それは自尊心も育つし、他者も尊重できると思えた。
今となっては自己肯定感低かった自分が誇らしくも愛おしくも思える。
感謝です。
不思議な世界ですね人間界って (^.^)
理解し出すと面白い (*^^*)