人や場所に感化されるという話をしていました (^.^) それは意識していなくても気づかずに感化される。
その度合いも人さまざまで、
意識という認識も理解や意味合いも知らんという人多いと思う!!
なので、自分自身が知らない間に人や場所に感化されて不運に巻き込まれているとも気づかない人いるでしょうね (^^;)
昔から親に言われた事があるでしょうか、友達を選ぶの気を付けなさいよとか!
そんなグループに入って何してるの?とか!!
まあその言葉が一概に悪いという訳では無いし、親の偏見もあるけど、
その奥に自分はしっかりしなさいよという言葉の本質があったんだと思うのです。
自分自身しっかり精査できる意志を持ちなさいとかね (^.^)
政治家が元々政治家になろうとしていた時には志もあったやろうに長いものに巻かれて世界観までも変わってしまっている事が多々あるように!!
どんどん世界観が変わって行く。
どんな世界観に感化されるか分からない。
自分がどんな世界観を選ぶか、選んでいるか、選んでいる事を意識しているか!
近年、宇宙意識や地球意識が変わっているという話もしています。
パーソナルな個人意識を大切にして自由に生きる世界を選択するという流れだと!
その選択のために自分の中の必要でなくなった価値観を手放していると。
自分の中心、自分の筋、自分の価値観、自分の哲学
それを基に自分のまわりの世界観を選択し、繋がったり、離れたりしている。
それを自分中心にでも柔軟に!!
そのグループの単位は友達ひとりだってよくて、家族だけ、夫婦だけという人もいるでしょう。
夫婦なんて言うには意外と気づけないうちに感化され合いながら共依存状態になっている場合もあったりして、
二人の世界観に浸っているだけかも知れない。
自分がどんな世界観に浸っているか気づかないという
自分が宗教に入ってしまうのだってそれを求めて選択している、
初めはその世界観が自分にピッタリで癒され助れという気持ち良いかも知れないけど、組織の海に感化されるという (>_<)
今の若者が親の歪んだ愛から逃げたり離れたりしながら我を失い若者の集まる世界観に浸っているのも求めている選択なのかなと思う。
グリ下も、闇バイトも、オジ活も、パパ活も、
そんな闇の世界であっても、求めて選択して感化されてしまってそんな世界観の海に浸って、いつしか溺れて
そんな人間界の意識の格差が大きく分かれてしまっている。
我失う、感化される、
極端な世界観を観ている人には自分がどんな世界観に浸っているか気づかない人も多いです。
高齢になると病気や痛みの世界観に浸って溺れているとかね。
それがどんな海か見ようとも理解しようともせずに。
自分は安全だと思っているでしょう、溺れていないと思っている。
それは自分のまわりを観れば解るのかと。
どんな世界観の海かなと俯瞰できているかという事を !(^^)!
それは家族の夫婦であっても兄弟や親子であってもその共にいる世界観の海がどんな海か、自分の意識はどんな世界観か、
感化されずに自律しているか。
融合しても離れられるか。