何度も話している事だけど
人間は何気に不思議に思う事なくこの肉体を持って生きているけど
当たり前にも感謝する事なく
でも誰しも一度ぐらいは、「自分は何で生きているんだろう」「何のために生きているんだろう」って考えた事もあると思います
少なくとも私は何度か考えました
うんと子供の頃に死にたいって考えた事もありましたが、そんな勇気もありませんし、本気でもないし、きっと魂から拒絶されて生きろってなったんでしょう (^_^;)
この世に生まれて来る時に、生まれ変わりの魂は次の肉体を選び、育ててくれる環境を選び、生きる目的を決めています
楽しい事も辛い事でも悔しかった事も感謝も、
そんな感情の本質を知るために、もう一度思い違いを改めるために
体験をしようと生まれて来た
それでも親が育てているうちに、親の概念に脳や心は上書きされて行きました
そして自分の新たな我を育てて行きました
そして本来の魂の目的を見失っって行くんです
親たちも子供が自分たちを選んでくれたことによって、子供達によって育てているうちに自分達の目的も思い出すという事をするはずだったのに、そんな余裕もなく、子供も自分の所有物の様に育てるのを誤る場合も出てきます
歪んだ繰り返しが始まり修正する事が難しく絡み出しました
本来自分の為に生きる決心をして生まれて来たのに
親のため、子供ため、他人のため、会社のため…って、歪んで行ったんです
何も人の為に生きる事を否定しているわけではありません
自分を見失う生き方をしてはいけないという事です
自分の人生のため、人のお陰で気づく学ぶですから
そんな中でも必ずという程、自分の意識は所々に出現してきて、時にこだわりとなってカタチになる場合があるんだけど、
今世の自分がこじ曲げて蓋してしまう場合がある
ふと今でも良いから思い返してみるといい
幼い時の自分を思い出してみてもいい
今現在よりかは魂が決めて生れてきた目的を覚えていたかもしれません
もっと感じてたことがあるはず それが今こだわっている事と繋がる
こだわりすぎるから正反対な事に、裏目に出てきてしまう場合もある
幼い時の自分を思い出すと今の自分と繋がる事もある
今の自分と繋げられなくても
幼い時、学生の時、独身の時の思い出で、考えていた事、こだわっていた事で、そんな姿を思い浮かべてみて下さい
本当は自分が一番自分の理解者で味方なんです
そんな小さな時の自分に声掛けてあげてみて
大人になった今ならそんな子供にどう声を掛けてあげるでしょう
どう励ましてあげるでしょう
そう認めてあげるでしょう
どう慰めてあげるでしょう
「リトル私」に 「あ~そうだったのか」「そんな風に思っていたのか」「そんな事を考えていたのか」「そんなに悔しかったのか」「そんなに憎んでいたのか」「そんなに苦しかったのか」「そんなに辛かったのか」「そんなに頑張っていたのか」…
思い浮かべながら今になって言葉をかけるならどうやって言って欲しいか
その幼い時の自分でも何か魂の導きによって何かを考えやっていたはず、魂が望む事を。
子供の頃って無邪気でしょ
それを理解してやってもう大丈夫だよ、わかったよ、頑張ったね、もう苦しまなくて良いよ、頑張らなくて良いよ、もう恨んで苦しまなくても良いよ、自分を痛めつけなくても良いよ、そんなに嬉しかった事を伝えたかったんだ、そんなにいっぱいありがとうって言ってくれてたんだ
こんな風に「リトル私」の存在を認めてあげるんです
不思議でも無いんだけど、身体の中心からジュワーッと暖かい愛が溢れてくる感覚を味わうでしょう
愛、感謝、愛おしさ、
そんな「リトル私」の苦しみも悔しさも憎しみも寂しさも一瞬にして愛に変わります
自分に向き合うってこういう事だなって分かるはずです
私もある時、こんな事に気づいた瞬間、体全身が熱く痺れて小さく震える興奮を感じた事がありました、ある種エクスタシーのような、身体がビックバーンを起こしたような
その時に神様と一体化ってこんな感じなんだと思いました