もうお腹いっぱいかなこの話、観念と覚悟……と思いますが (^^;)
私はたまたま虫垂炎と腸閉塞になって手術をしましたが、
これもたまたまの事故だと思っているのですが、
凄い痛みが先だったので、その時には何も考える事も出来ませんでした。
まあそれでも割と冷静で、
虫垂炎の時には妊娠2か月だったので、最初は流産かなとか考え産婦人科へ、便秘かなって思ったりしてそう話した。そして、母親の感かこれは赤ちゃんちゃうなと思い内科へ、そこで数日後の採血予約。
そうこうして3日後に猛烈な痛みで夜中救急車呼んでもらおうと思ったけど我慢して朝に病院へ。
虫垂炎から5年後、その時の繊維だったのかが腸を縛りつけた腸閉塞。
その時にも前日のBBQの焼きそばを食べ腐ってたかもと、
それか胆石かとか、何度も近くの病院で痛み止めの注射してもらい、
最終夜中にモルヒネ打って1分経っても痛みが消えず即入院。
両方とも痛みから始まり、不安になり、色々頭が巡り、
でもどこか冷静に痛みと戦い、検査に時間かかけて。
そのうち観念する羽目になったんやろうね、
なんでやったんやろうと考えているうちに……、
置いてきた子供の事も考え、仕事の事も考え、死ぬことも考え、
両方とも切ってみないと分からんと言われたんです。
横で主人は色々サインしてるし、
あれだけ子供の頃から注射と病院大嫌いだったのに、
手術なんや!と。
でも痛みを我慢している間に痛みもどうでもいいようになって、
大嫌いなんて言ってられなくなって、
どうでもしてください!!と。
後の事も誰の事も考え無くなってました。
そうなると手術室入ってメスが入る瞬間まで意識があるもんですね。
まあ実際はその少し前に麻酔が効いてきてるんですが、
虫垂炎の時は電メスの感触わかりましたから (^^;)
俎板の鯉ですね、
観念して、覚悟したとなると開き直るんです。
その後です、
死ぬ事や生きる事や死後の世界を考えるようになったのは、
もちろん命を延ばしてもらったんでしょうけど、
しっかりその世界を知れば意外と捨てるのも怖くない。
通や葬儀、火葬、散骨、法要、供養、お墓、仏壇、仏様、神様、
そんな事を丁寧に一つずつ考えて理解して自分の意志を確認して答えを出していきました。
なので、今は自分の考えを子供たちにも伝えています。
こんな事の一つでも些細な事でも自分の中に不安や心配や怖れがあると観念すらも覚悟だって出来ません。
もちろんどこでまたあがくかも分かりませんが、多分大丈夫。
またそんな時に冷静に覚悟へ向き合いたいと思っているからです。
きっと普通に高齢者になっても普段に徐々に覚悟へのプロセスで時を費やすのでしょう。
そこには病気だったり痛みだったり、
それもプロセスだったりなんでしょう。
もちろん若くして命と向き合う事をしないといけない場合があるけど、その周りの人へ伝える役目だったりするんでしょうね。そんな時は本人の方が早くに覚悟している場合があって周りの人にはもっと時間が必要になるという課題でもある。
そして、覚悟があるから生きることが出来るというのも真実です。
普段から観念するという生き方でですね。
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