緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

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濃厚接触者になって…

2022-02-05 | 日記
  コロナウイルスに関する事は始まった当初から度々記事で述べています
そして、もう先月ですが同居の息子が陽性になって濃厚接触者となりました

病気にしろ今回のコロナにしろいろんな見解で捉え解釈する専門家も一般の人間もいます
私は一貫して直接病気自体を直ぐに死と繋げたり、病気が怖いものだと思ったりしたことはありません
むしろ病気は自分の個性の証でもあり、こだわる事からの能力でもあり、神様や身体からのメッセージでもあると思っている私です

そんな事を元に今回のコロナ禍にその都度国の対応や対処、世の中の人の心理みたいな事を視点に自分に置き換えてみたり、どう考えたら良いのかなと考えてみたり、じゃあどうしようかなと思ってみたり…
きっとなった時には俯瞰できる自分でいようと思ってみたり、なってから考えようと思ってみたり
「人生の地図」のもろもろの記事の中にも書いていますが、必要のない体験はやって来ないし、必要を越え本質を解消した体験もやって来ないという事も話していたように…今のコロナは自分に必要ないのかなと思っていました

でも昨日までの記事に書いていたように、身内に陽性者が出て濃厚接触者となって、その時々の心理も話しました
少しは身近に迫って来て多少のドキドキは感じていたりしたと…それに付随する心も見えたりして (^.^)

そうなってみて、世間の話題の渦の全く関係ないところで考えを第三者的に述べるよりは濃厚接触者になるとまた見えてくる事があるもんだなと思いました

いざ、家族に陽性者が出るという事もですが、それが軽症でも発熱と咽頭痛で自宅療養となって、途中からは鼻水(うちの子の昔なら風邪の終わりかけと考えた症状)となって、いろいろなフローもする事によって分かったし、それぞれの対処する機関へ連絡する事によってもそれぞれの対応の仕方も知る事が出来て、いろいろな現実も把握する事が出来、仕組みも見えてきたのは有益な事でした(自分の哲学に繋がる事になるから)

そこから繋がる事、点と点が繋がる事も解ると大きな本質も見えてきます
詳しくどう説明したら良いか分からない私の感覚なので文章にしがたいのが残念だけど (^^;)
多分、これからの世の中にきっと膿で出て来るやろうし、反省となって次に繋げて行くポイントとして出て来ると思います

私が仕事の予約を断った人も「何で~」と、美容室なんてしたい時に直ぐ出来ないとなると憤慨もするだろうけど、すんなり受け入れてくれたり、その中でも「え~何で~」となったやろう人もいたと分かるけど、その人も後に家族が発熱し大慌てとなりました、その時に先に私がいた事により、いろいろ相談に乗る事が出来ました、その時にその方も「なってみないと分からんねぇ~」と言ってました、濃厚接触者の立場で検査の事、仕事の事、でもなにかに違和感や矛盾を感じる事、いろいろですねと… (^.^)

当初からコロナウイルスも「風邪と同じようなもんだ」と言ってる私ですが、
風邪も万病の元とも言っています
カラダを休める時でもあるし、ストレスが溜まり吐き出せていない事もあると
ゆっくり自分を見つめる時でもあると(~o~)

風邪も病気の一つだけど…「感染症」というキーワードです
コロナウイルスも「感染症」がキーワードとなっています
個人の病気なら他の基礎疾患とか癌でも良いけど「感染する」という事が必要だったんです
何かの企みでウイルステロという事も想像させたりしましたが、それが必要な所(国)にはそうなるでしょうが、必要でない所には来ないです
自信持てばいい、自信がないなら自信や誇りが持てるような国となれば良い
怖いものだと、蓋をしたり、押さえ込んだり、支配したり弾圧したりするだけのものでは無い
「感染症」という事の本質に向き合わないといけないと思います
もちろん医学側は重症者に対して尽くしていただき、使命感もあるでしょう
使命感の無い医師の姿も露わになってるところもありました
「感染症」だからと言って、その対応や対処に追われていたら本質が見えて来ませんし、見落とします

人間関係の人と人との間に生まれる「感染症」の意図や意味
一番問題の種となっていると言っても過言ではない親子間にもです
人と組織に関係する事、人と社会に生まれる「感染症」の意味

何故「感染症」が必要だったか、何故今だったか…その本質が見えてきていると思います
「多様性」と言われている世の中、言われているだけでは駄目で、認める受け入れるというところへ人類が進化しないといけないエネルギーで
その人間の心の多様性をいろんな視点で観れるか言葉だけが先に走っていますが、言葉だけじゃないということでしょう

個人、グループ、組織、社会…全ての単位で一斉に考えないと対処が出来ないようにするための「感染症」
ある意味災害と同じですね
一斉にみんなが考えないといけない
災害ならどこかの地域だけで他人事だったりして、同情や憐れみやと一線引いて考えてしまうけど、中には凄く共鳴して助けている人も勿論いますが、今回はみんな平等に考えてみようと一斉に投げかけられている感じですね
みんなで考えをシェアするきっかけでもある
全ての単位が次のステージに向かうためのきっかけでもある
シェアしながら認め合う、受け入れる、広げる、広がるという事を全ての単位で考える
そんな時には自分の考えや意思も必要です
親子間も認め合い信じ合う意志も必要です
組織の意志も必要です
社会の意志も必要です
自国の意志も必要です
自助共助公助という事もその本質です

こんな事が出来にくい個人や親子、組織や国となっているから、中々個人間も個人と組織間も個人と社会間も混ざり合い融合する事が難しい世の中になって
現に…家族のトラブルや、いじめや鬱や引きこもりや統合失調症や発達障害や…と軽い重い関係なしにストレスや精神的に病んでしまう世の中になっています

コロナがこの国に発症した頃には隣の人が感染したとか、親が医者だからとか、そんな事で人間の醜い差別だとかが出て来たり、出てなくても深層心理では持っていたりもしていました
第六派となって軽症だけど誰がどこでいつ感染するか分からない状況になったのも分かるような気がします
みんなが自分の深層心理と向き合わないといけないきっかけとなった
言葉では良い事並べては腹でどう思っているか分からないって言うように、それは自分の思考と腹の内の歪みです
人にとやかく言う、悪く言う、嫌味を言う、良い事並べるのも良いけど、腹の中もそうであると堂々とできていればそれもよし、

それでもそんなこと知らんという心理の人はそれも良し今回のコロナを良いエネルギーとして受け入れられなかったというだけで、その都度心理の最適化しバージョンアップして行く方がこれからの時代に融合できるのかなと、今の世の中の状況みるとそう思う私です (^.^)

コロナウイルスも私にとっては良いお勉強の課題となりました (^.^)
ちゃんと自分のこれからに落とし込んで行こうと思います (^_-)-☆




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