昨日で母との最期が終わりました、
浄土真宗が告別式という言葉を使いません、お別れじゃないんですと式場のちょっと人生先輩のスタッフさんが教えてくれたので、私もお別れという言葉を使わないでおこうと思ってます (^.^)
昨日はうちに泊まっていた娘たちも今日に帰り、
ボチボチ落ち着いて日常に戻して行こうかと (^.^)
凄く多くの気づきや学びがありました (^.^)
自分の意志や考え、人生観と死生観は確立していますが、
人との融合で相手側のいろんな心理を学びながらも
理解を学んでいくという事は続きます (^.^)
自分の成長拡大のためです (^^;)
その中のひとつで、
「優しさ」というテーマ
優しさも奥深くて、表面的なものから自分勝手な優しさとか、
内側の弱さからの優しさとか、
本人も気づかない優しさとか、
強さから来る優しさとか、
本当に真理とか本質って奥深いなと。
それでも真の優しさって、
やっぱり「理解」やなぁ~と思った (^.^)
理解って自身も成長するし、
人へも心寄せて思いやりが持てるし、
無理に優しくしないでも、無理に心寄せることが出来なくても
無理に思いやりを持つことが出来ないとしても
他を尊重する事へは繋がるし、
尊重は他をひとりひとり一つ一つ自身が卒業することが出来、
尊重は心の執着も手放すことが出来るなと。
その「理解」ってこと自体ももちろん難しいし奥深い
人生の中での真理追及は奥深くて面白い
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