感謝を知るといっても頭で知るわけでもなく感じるもので、湧いてくるもので、溢れて来るもの
でも何度も何度も認識しないといけないものでもない
生きている事に感謝
食べれる事に感謝
住める、寝れる事に感謝
人にも感謝
魂にも感謝
一度何か大きなきっかけがあり心から湧いてくる感覚を味わうと
自分の中にそんな熱く感じる湧いてくるほどの存在を知る事の方が感動なもんです
例えば…子育ての時には夢中で感じなかった事でも、孫を抱いている時や子守りをしている時に孫を可愛いと思うでしょうが、
その可愛い、愛おしいと思う心を感じている我にふと感じる
こんなに自分の中から愛が溢れるんだと…
私ってこんなに愛溢れる笑顔の表情を出せるんだ
誰しも自分の評価に厳しかったり、照れ臭かったりするけれど、
「孫って可愛いな」と、眉毛も垂れて言ってる「自分」を感じて欲しい
「孫って可愛いでしょ」と言われ、「可愛いよ」と言い、「当たり前やん」なんて言い、そんな会話は当たり前のようにするけれど
ふとそんな自分を心の奥から感じてみて
「えぇ~自分の中にこんなに愛が在ったんだ」と感じると
愛を与えてる感覚を知ります
愛を与えてる感覚を知って行くと、今度は自分にそんなに愛が在ったと感謝が湧いてきます
見えない気の流れを感じる事が出来ます
自分の奥からの愛や感謝に気づいて行くと
見えない世界の宇宙や神様やご先祖様(人類の基)からの愛が与えられていると感じるようになります
自分の中に愛や感謝がある事にもっと感謝が湧いてくる
言葉にしないと無いわけではない
言葉にするから在るわけではない
理由も無く在る事に気づく
いつも自分の母親から良いも悪いもいろいろ学び、例え話で出しますが
うちの母親は与えるのは得意ですが受け取るのは下手くそです、物でも、言葉でも、感謝も愛も…
色々見てきましたし、接する中で感じてきました
その度に最初は何でか分からなかった事も母の事を理解しようと思ってからは本質的に理由が在るのが私には分かってきました
母自身には中々分からい事なので、何だかんだ言って来ますが、それは個人それぞれなんで仕方がない事
そんな時に思ったんです
自分に愛が在る事を認めればどんなに簡単な事かと
私の母親も頑固で自分の概念だけで生きている人ですが
ホントに大きな愛が在る人で優しい人です
でもホントそれを自分で認めないんです(気づかないんです)
時に…孫が小さい時によく面倒見てもらって帰る時にも私が「ありがとう」って言うと、「言葉だけじゃ伝わらんわ!」って言って来ます
時に…お出掛けや贈り物でもすると…「物貰っても感謝は伝わらんわ!」って言います
どうやったら伝わるのか一生懸命考えたりしました
何をしても、何を言っても、ひねくれて返ってきました
私も何度もへこたれました
でも期待しても求めても駄目なら自分が納得する事が先だと私は自分の意識を変えて行きました
そうすると、段々理解もできるようになりました「あぁ~自分の事を認めていないんだな、自分の事に向き合っていないんだな、自分の事に気づいていないんだな、自分に愛が在る事を認めてないんだ、自分の中に感謝があるという事に気づいてないんだ」
感謝せなあかんよと人に言うけど、人が感謝している事に気づけないとか受け取れないって事は、自分の感謝に気づけていないんだと思います
感謝感謝と言葉でいうけど、言ってる次の瞬間それとは違う事を言ってる
こんな事も自分で気づかないとどうしようもない
それぞれの人生だから
その事を教えてもらっただけでも私には感謝しかない
私の哲学になっただけでも有難い
生まれて来ただけでも本当に感謝で神様から命を与えてもらっただけでも奇跡で、生きてるだけで有難い
魂と神様の愛を感じています (^.^)
本日は満月でもあります
満ちていく心も満タンになり、全てが自分に備わっていて、全て自分の中に在って、全て自分の中から溢れ出すという事を知るだけでイイ
この満月の日に自分の中には全て在るんだという事を感謝すると目の前が開けていくと思う
どう引き出してこようか、どう活用しようか、
それを見失っていたり
忘れているだけ
見えないところから満ちていく
満月の日はそんな事教えてくれているのかな
感謝ですね (^.^)
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