緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

対話の中で

2019-10-29 | 日々気づき
  対話しながらイメージ力と想像力が働く

本来はみんなそうでしょう

脳が満タンだったり、忙しいと働くのに待ち時間があるでしょうが

そのイメージ力や想像力が大きくなれば
自分の事だけではなく人の範囲まで働く場合がある

それでも人に影響されたり、人に関係ない事まで影響を与えたりしては不味いので
如何に自分をクリアにし、客観的になるという訓練をしないといけません

自分の事なのか、人の事なのか
自分でも冷静で客観的でないと判断できませんよね

でもたまに対話してて私のマイナスなところなのか、
それが神様からの使命なのか
悩んだ時期があったりした事がありますが

人の事でも自分に裏があった昔の時期には
人にも僻み妬み忖度し、変に気を遣いこんな事がベースな偏見の眼で対話していた時期もあったかと(こんな時期でも無意識でしたが)

自分のベースをクリアにしてからその無意識に気づき、
もっと理解や解釈も視野を広げて行かないといけない事に気づいて
そうじゃないと自分のためにも人に対してもだと気づいたので

自分のベースを整え、クリアにし、バランスを取ってきたので
この世の善悪や正誤や美醜といった事までもクリアに考えています

起きる出来事全てが必然な事でその各々にとって全てが必要な事で

だからたまに物事をストレートに口走る事があったり、

悪いとも良いともという事でなく、必要な事として

セッションの時には前もってそのように伝えますが

普段からでも対話の時にふとイメージは頭の中で出来ていて

その人の裏も表も分かってしまっていて

最初の数回とかは遠回しだったり、
その人の耳に差し障りの無いようにだったり言ってるんだけど
何回か会っている間に同じ事だったり、変化もなかったりすると
ついダイレクトに突っ込んだり、(それでも言葉を選んだりするけど)

便秘で言うところの出口の塊みたいなもので、
これさえ出してしまえば、後はするする出るだろうにというもの

そんな時に普通の人や理解が浅い人にとったら善悪もはっきり意識しているので
ダイレクトに心に刺さってしまうのです

自分でも褒めたり、讃えたりする事も人にとっては必要だと思っているけど
そうしていてもいつまでも気づかないでいる人も多いです(今世それで終わる人もいるけれど)

いつまでも3次元にドップリ浸かり、愚痴や不満を口に出したり、
言っている事とやっている事がバランス取れていないと
つい私の本心が出てしまう

ある時からはもしかしたらそれは魂の声だったりするのかもって思い
そんな事に自分自も向き合ったりしました

で、勝手に出てしまう言葉とかは
きっと必要な言葉

それによって私自身も学ぶ事もあります

先々に読めるという事も
俯瞰できるという事も
元々視野が広いという事も

人の能力の一つ
ベースが次元低いと理解も解釈も次元低いだけ

そんな気づきも大切ですね


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