よく昔は親から「善い人間になりなさい」と言われたもんですよね。
「人に優しくしなさい」とか「人を助けなさい」とか「人の役に立ちなさい」とか (^.^)
うちの母親は「普通で良いねん!」「あんたは普通や!」と言っていました。
「あの人はああで、この人はこうで、でも普通が良いねん」と(^^;)
そうだと思い込みました、疑いもせず(^^;)
褒められることはなく、普通になるために駄目な所だけは怒られました。
普通を目指す?? (^^;)
人と違う事が駄目で、悪く目立つのも駄目で、
「そんな事言いなさんな!」「そんな顔しなさんな!」
そんな風に育てられました。
今考えたら普通って何?
普通のどの辺目指すの?
普通って誰が決めるの?
そんな風に言えるかもしれないけど、
未だに母親には言えません (^^;)
母親の普通の基準は母親の世界の中で決められ思い込んでいますから…。
こっちの方が間違っていると、鼻であしらいバカにされます。
ある時から肉体に関しても人間性に関しても
普通って何?という事が私の課題になったので有難かったです。
教えてもらった、気づかせてもらったと。
もちろん普通が一番素晴らしいという事にも気づかせてもらったようにも思うからです。
私の中では普通→イコール→「バランス」と捉える事が出来たからです。
普通ってある意味難しいって思ったし。
「良い人間」と一言で言っても
良い人間ばかりだとバランスも取れません。
良い人間ばかりだと、何が良い人間かも気づきません、
良い人間ばかりだと、悪い人間の定義も分からない、
本当は、良い人間と同じだけ悪い人間もいて良い。
良いとか悪いとか、全ては自分の中にあって、
在るから反映されている。
自分の事を良い人間だと思えば、目の前には反対の人間が観えるもの。
それを受け入れるために起こる現象。
自分の事を受け入れられない嫌な人間だと思えば、またその反対の人間を観てしまう。
それを受け入れるための現象が起こる。
全ては自分の中に在る。
その全てのバランスを取って行けば良いだけの事なのかなって思う。
無理に良い人間にならなくてもいい。
無理に悪い人間を好きにならなくてもいい。
全ては自分の中に在る事を知っていればそれでバランスよく生きていける。
目の前に起こる出来事も事象も全て自分の中に在るモノ
全ては自分のバランスを取るためのモノ
ただそれだけの事。
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