緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

オットの話(私は?)

2021-03-15 | 夫婦の事
  オットの話をずっとしていますが

そんな事言っている私はどんな奴なの?って思われそうですが

ただの悪口や、ただの愚痴でも言っているのか…

ただの事実です (^_^)

盛ってもいないし、大げさでもない

その事実に向き合ってきただけ

人のふり見て我が振り直せとか、反面教師だよとか…

そんな事言われますよね

そう思って頑張ってもきていました

一番に人を傷つけるのが怖いと思っていた人間…私

喧嘩や争いが怖い…私

こんな事言ったらこう思うだろうなとか、きっと傷つくだろうなとか、悲しむだろうなとか

潔癖症だった事も結構オットとの事で克服したリ

こんな風に思っていましたが、これもよくよく考えると、自分の事だと分かった気づきがありました

人を傷つけるのが怖いというのも、自分が傷つくのが怖かったんだとか

喧嘩や争い、言い争いも自分が負けるのが嫌だったり、怖かったりしたんだと。

潔癖症も自己強迫観念、それも私自身の克服

ある時、スピリチュアルの勉強会でセッションの練習する時があって、私がそのクライアントモデルになって、数人から同時に鑑定された時に

一人の人から、「あなたはタダの弱虫です」と言われた事があります

その時には、すんなりそうだなと受けとめましたが

その後にもどこか自分の頭の片隅に残っていて

自分は泣き虫だし、まあ優しいし、怖がりだし、実際に弱虫だしとは思っていましたが

それは表面的な事とも思っていました

本質的な弱虫ってどういう事かなって、ずっと気になって残っていたんだと思います

それからも精神的に自律するとか、自分に自信を持つとか、

自分自身を見つめて向き合って来ました

もしかしたらオットだけの感情に振り回されて小さなところで執着している自分を手放さないと本当の自律は無いし、自分に敬意をもって自分の人生を歩んでないのかなって思ったりしていった

人の人生は個人のもので、でも奥の魂と繋がっているという基本の真理を持っている私

人生の中で、常々の時代に出会いと縁があって自分に気づきと学びを与えてくれていると思っていて

親でも兄弟でも、友達でも恋人でも、社会の関わりでも、そしてパートナーでも我が子でも、その時に必要な出会いと縁

それが完結、完了すれば必要なくなる

なので、たまたまオットだったら

相手の性格は変わらずでも私の対処は変化が必要に迫られ変わって来た

若い頃は肉体も求めるし、寂しいと思えば心も求める

オットとしての役割も求め

子供の父親としての役割も求める

その都度悩み考え受けとめ、自分の捉え方を変え、そこから学び、気づき

歓びも感謝も味わった

自由にさせてあげようともしながらも、たまに不安になり何してるんだろうとか、浮気なんかも疑い、その度にカッコつけてほだされ、信頼しよう信用しようと努め

仕事も本当に忙しいのも分かるけど、私自身も仕事と家事、妻と母、それに関わる人間関係、地域の付き合い

でも私が仕事し過ぎると機嫌が悪くなるので仕事も程々に

昔から私にだけは負けたくない人、ましてや仕事脳になると誰にも負けたくないんでしょうね

私自身も仕事がどれだけ忙しいかも経験あるし、けど、達成感での程よい疲れも味わうと知ってる

子供が小さい時には肉体も大変

子供が思春期の時には心も大変

その都度オット、父親という役を求め、共有したいと思って話そうとするけど

人の話を理解しようと思わない、聴かない

挙句の果てに、俺はお前らの為に働いてるんやと一番言ってはいけない言葉も

それに何も言ってない私にどこからなのか、恩着せがましいという言葉も出るなんて…何に対していってるか分からん言葉、どこかで習ってきたのかなと (^_^;)

でも仕方ないな、仕事やもん、忙しいもんって、気持ちよく仕事させてあげたいなと思ったり、ベットの横で悩んでうな垂れてる人を観ると私の心を責めたり頑張ろうって思ってきた

そうしながら前にも言ったけど、オセロの黒コマを白コマに変えてきた

自分の体験としては凄いもんがあるぞと

こんな事人に言っても誰にも理解できないだろうな、不思議なオットをどう捉えるだろうと

人に言うのも恥ずかしいと思ったり、自分が選んだ事が恥かなと思ったり

世の中にはもっと大変なご主人を持つ人がいるのも知ってるし、もっと家庭を放棄したり、暴力を振るったり、借金問題抱えたりしている人も多いのも知ってるので

私なんかはまだまだ序の口だと (^_^;)

その辺は真面目だし、女性関係を持つほど器用ではないし、お金も使わないし、賭け事もしない、最低ライン暴力は振るわない、

言葉の暴力かと私が気づいたのもここ最近で…鈍感な私

それでもこんなオットと向き合う事によって…

夫婦って、人生を共有するもんだとか、コミュニケーションが必要だとか、信頼と信用は絶対無いと上手くいかないという思いにも気づき出した

それを打破してまで手放せないのはやっぱり私ってホント弱虫なのかなって、その脳裏に残っていた物が徐々に浮上

私の人生はもっと独立して生きないといけないのかなって

ここ数年、個人の魂の奥の奥があぶり出されるエネルギーが宇宙から出ている事は認識していて

周りを観ていても感じている事だけど

最近やっと娘たちにちょっとそんなオットの態度を観る機会を共有したので、少しずつ吐露する事が出来て心はホッとしたり、

ホトホトお母さんが未熟でアホやったと昔の自分を吐露する

子供達に正直な母の姿を見せれる事に涙が出てきたり、喜んだり

パパの悪口ではない、事実だと。

事実を客観視して、大人になった子供達にも判断してもらえば良いと。

子供達にも父親の性格は受け継がれていってるのも事実、もちろん私の性格もですが

何か人生の壁にぶつかった時には、自分を見つめ、これは父の性格だ、母の性格だと、認識すれば、後は嫌であれば克服していって欲しいと m(__)m

それも先祖供養

歓びであれば親や先祖に感謝すれば良いんじゃないかと。

後どれぐらい私の弱虫と闘うか分からないけど、あっという間にトリセツ入手して克服するか、あっという間に手放して離れるか

神のみぞ知る…ですね (^_^)




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