
気づかないうちに心うちで解消して流せている事もあれば、
流せていると思っていても心の奥で流せていないまま淀んでいる場合もあるという事でした。
それが地球レベルになると、地球レベルで気が重くなり気が淀み自然災害と言われるような流す出来事となっているという話。
その地球レベルの時は地球表面上だけではなく、地球の内側からのエネルギーも大きく振動するのでもちろん人類にも影響は出て、人類の魂や心の奥とも繋がって振動が起こり流す出来事が起こっているという事です。
そうやって気づかないうちにも流しながら循環している。
それが痛みや病気という表現となっている場合があるという事。
その時に肉体の心も一致させると良いのだけですよね。
やっと出て来ようとした。
流せる準備が出来た。
解消する準備が出来た。
肉体の心より魂の方が準備できたという事です。
魂が押し出してくれた。
魂の意識(古代からの)がやっと解消しようと気づいた。
そんな時に肉体の目や耳、目に見える世界の肉体の感覚だけでなく、
魂と心と体を一致させて流せればいい。
何か起これば身も委ねて、いったん心も委ねてみる。
魂の奥から水に流そうと起こっている事なのかもしれないからです。
大概は気づいた時が始まりなんですが、それは解消に向かうからで。
反対に考えれば、気づいた時がおしまいの時。
流そうと出て来た時がおしまいの時。
その気づいたものや出て来たものと少し葛藤があるかもしれないけど、
もう終わったんだと言い聞かせる時。
感謝して終わらせるとき。
グズグズ考えている気持ちが先へ続く道を閉ざしている。
そのグズグズしている気持ちがまた先への道を閉ざしたまままた新たなマイナスを引き込んでしまうのです。
まあ私も60までグズグズ考えていたことがたまに癖の様に出てくるときがあるんだけど、その先へ行きたいと思う気合でいつも飛び越えようとする。
60年って今生では長いようだけど、魂でいえば何千年かも知れないし、それを思うと一瞬かも知れないなと思うようにしている。
痛みの様に抱えていたかも知れないし、今抱えているかも知れないけど、
流す出来事がこの一瞬で終わるとすればそれに委ねようと思えるのです。
そうすれば出てしまえば終わり、そのカタチは切り取ったり、まき散らしたりの対処は色々になるかもしれないけど、心はもう戻らない。
完璧に流せればいいのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます