目に映る世界、見えている世界に住んで生きている人間ですが、
見えない部分も共に生きているという話を常々しています (^.^)
太陽に照らされて、脚光を浴びている人生ですが、それと同時に影の部分があり、照らされている部分が多きい分だけ影の部分も大きいという事です!!
その影の部分だって自分の一部分で自分の人生の一部、
自分には見えていないけど、魂や心や感情や性格にもヒントがあるような事だってです。
後ろの太陽から照らされ、ふと自分の前に影が映り、見てみるとそこにエネルギーや意識も感じたりします (^.^)
そうやって影にも映るように、見えてくるものによって、また表現されるものによって、自分を俯瞰出来たりもします。
たまたま体の歪みも自分で俯瞰出来たりするのです。
足に負担掛かってるよなぁ~とか、
足の下半身に負担がかかっているようなら、上半身の心や思考の方が重くのしかかってるのかなとか。
腰が曲がっているとしたら、背中でもある過去の自分を抱え過ぎているのかなとか、過去に縛られ生きているのかなとか。
そんな風に表面上にも映るし、じゃあその心はどんな感じか、どんな性格が邪魔しているから重くのしかかっているのか
そんな事も読み取れます。
自分の事で想像し読み取る時にもマイナスにとる癖とか、俯瞰する前にどんな感情が邪魔しているのかが大事になりますが。
自分が自分へベクトルを向けると段々そんな影の部分も愛おしくなってきます。
その影に映った自分も愛おしくなり、自分の影と対話するのも良いでしょう。
自分の身体にどれだけ負荷をかけてけて来たかも感じると思います。
意外と痛みや病気でしか表現できていない人は、自分の肉体にどれだけ感謝した事があるか、それも見えてきたりします。
病院行く前に自分の身体にまず謝り、感謝し、労わりの心を持ってみると意識は変わりますが、
そんな事をする人がどれだけいるでしょう。
自分の肉体だから当たり前に使って無茶して休む事すら与えずって人多いんじゃないかと (^.^)
その陰でどれだけ心やその表現の感情を傷つけているか。
そんなことも少しは観てあげてはどうか (^.^)
まあ自分の性格が好きで、自分の感情表現が好きでって人は大丈夫でしょうけどね (*^^)v
そんな人は病気や痛みとは無縁でしょうから
私の話なんかにも縁ないし、私の話も理解してもらえる事でしょう (*^^)v
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