昔から科学者や物理学者や天文学者…どんな専門家でも必ずと言っていい程、興味関心はそこに通じるし繋がって行く…「数字」。
それが宇宙のエネルギーだからでしょう
宇宙の始まりを捉えるにも数字で表す事となるし…
宇宙の元は素粒子や微生物や…となるけど、それを証明するにも数字が必要で、数字で表現します
その数字が出来るまでにはと考えると、私の説明の範疇を超えますが (^^;)
宇宙は光であったり、波動であったり、エネルギーの基であったりします
私が昔にスピリチュアル的研究会で教えてもらった時に、
宇宙も全ても何も無いところから始まっていて、何も無いということは「絶対」という事で教えてもらいました
何も無い「無」と同じで「絶対」以上のものは無い
この世で口癖のように「絶対は無い」と言いますが
そうなんですこの世に生きている限り全てに於いて絶対は無いんです
だからこの世に生かされているんです
その「絶対」から分離が始まりエネルギーが存在して行くと…意識の始まりでもあると…
なので、その「絶対」にはエネルギーも何も無いので凄い力だと
私がお祈りする時は最初に「絶対様」「創造神様」「宇宙神様」…と始まる
いろんな所を浄化する時にも「絶対様」の力を借りてやっています
まあまた話は余談でしたが…、
どんな専門家も探究や研究を進めて行くのに数字にメッセージを込めて行きます
そう!数字にはメッセージがあり、意識がありエネルギーがあります
その数字により表現され証明される事もあり、伝える事も出来ます
そうやって未知の宇宙創生も人類創生も探究されてきました
未だかつてこれからもです
現代では私達も当然のように使っている数字にそんなそもそも論があるなんて考える人がどれぐらいいるでしょう
ただのお金の計算だったり…
人間の優劣付ける手段だったり…
色んな意味で対象と比べる割合、比値だったり…どこに所属するか決めつけられる値だったり…
病気の数値だったり…
今リアルなコロナ感染者の数字や重症者数、病床使用率もですよね
そこに確実性がどれだけあるかその意図は?根拠は?嘘は?
その数字の中にはこんな確実性や信憑性、意図や根拠や嘘までも表現されてるという
だからこそ自分の意思や意識という事が必要となって来るのかなって考えている私
例えば、いつも言ってますが体の機能に関しての数値でもですが
最近では検査機能も機器も精密で進化しているので、速やかに詳細に表現されます
身長体重もですが、体内組成計の数値、心拍数、心電図の波形、癌のマーカーも血圧・コレステロール・中性脂肪…もです
これらが駄目だと言っているわけじゃなく、私ももちろん助けてもらった事があるんですが、『参考にしながら自分の意識を変えて行く』というメッセージとして受け取るという事だと思うんです
私も妊娠2か月の時に原因も発見できず3日3軒目の医師に至ってから緊急での血液検査で白血球の数値が高い事で、何かと体が闘っているという事が判明し、お腹を切ってみましょうとなりました
その時には母子ともに命の保証は無いという事でしたが、無事に済みました
数値は手術に踏み切るきっかけで、切って診れば原因も分かり処置も出来て助かりました…もちろんお腹に傷は残りましたが全然私は気になりませんでした
昔なら親から頂いた体に傷をつけて申し訳ないという事も言われていましたが、それ以上に傷つけている人間もいますよね、そんな時に帝王切開なんて人にどんな言葉を浴びせるのかもありますよね
父親の肺がんの時の癌マーカーについても違和感でした
癌の数値が在るだけで組織検査もする必要も無いと言ってるのに抗がん剤や放射線で試してみようとか、闘いましょうという根拠もない抑圧、大学病院のそんな検査や処置に耐えられなくなった父親の心理
自ら闘いをやめて覚悟を決めていろんな執着を絶って行った一年半の父親の姿でした
ブログの記事にもしていますが、一年半は自由に生きましたが最期の二週間だけ寝込み、そのホントの最期の時には家で自ら寝ている姿勢を整え印を組み自然と呼吸整え変えて意識が肉体から離れて行った…そんな瞬間を私に見せてくれた
命を終える時には肉体から魂が抜けて行くという、肉体はただの借り物のこの世の姿だという証明をしてくれた
ここ数十年、いや、昭和に入ってから病名が付けられる事が始まったというか…生活習慣病
昔は(64歳で亡くなった私の祖母の時)ひっくるめて脳卒中と言われていた事もそれが普段の生活に密接にかかわっているからだろう生活習慣病とされた
血圧、コレステロール、中性脂肪なども生活に関してのメッセージだと思っている
ダイエットでもそうだけど、体重の数字を露わに示されると悩むし
生活習慣であっても病気と紐づけられるとその数値にも悩みますよね
でもその数字だけに焦点合わせて、治療や投薬となり、ダイエットでも極端な手段を取り、普段の生活習慣を見直そうとしたリ、自分と向き合い自分の癖とかを認める事をしないでいたりする
医学への依存、医者や薬への依存です
今の病院は全てとは言わないけど、「薬出しておきましょうね」と数値だけで稼いでる、上お得意様をもっていたら安泰です
だからこんなコロナ禍で困る医師や動かない医師が浮上した…何のための国家医師免許なのか
血液と関わると思うと怖いかもしれないけど、親との関わりも先祖との関わりも血で繋がっている…ただの遺伝だと言ってしまっているけど
そこからのメッセージでもあるかも知れないというのに…
そんなエネルギーがある数字には意識も在ります
人の心にも影響を与えるほどです
恐怖心も不安感もです
迫りくる恐怖、迫りくる不安、そして心配になる…
見えないものだったモノが数字で現わされて迫って来たり、突き刺さったりして慌ててしまう
最初は慌ててしまうのも当然です、正体が分からないから…驚いて慄いても良いんじゃないか!
でも冷静に、落ち着いて、俯瞰する事も忘れずに…
その見えない正体を知る
しっかりその数字の意味やメッセージを見て感じて向きあえば自分で対応できるというのに…
自分以外に(医学や医師や薬に)任せていると覚悟も出来ない
自分より医師や薬を信じるのか?
その信じている自分の事は信じているのか?
自分の人生も肉体も人任せで責任とる事もしない、それで良いのか?
数字は意識を持っている、数字はメッセージ、数字は表現
それはその意味を知るバロメーターできっかけである
ただそれだけ (^.^)
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