予防の話で、病は気からという心の肉付けをして行くという話をしていました
普段からの意識の持ち方、食事や睡眠や運動というところを意識する事と
その本質を知るという事、心を鍛えていく事
そして、体の中で働いてくれている細胞や組織と会話しながら信頼関係を強くする事と感謝する事
そんな話をしていました
いつも記事にする時には私が気づいたきっかけ話も付け加えるのでついつい長話になりますが
いつも要約するとこんな感じかと (^_^;)
ついつい書く事に乗ってくるとどんどん長くなる(笑)
まあ本質というのは端的ですよね
それを確証に導いたり、信じて行くのに肉付けがあったり繰り返しの上書きがあったり繰り返しのトレーニングがあったりするだけです
普段から自分の身体と信頼関係を結んでいると、何かあったとしても信じる事が出来るでしょう
信頼関係が弱いと何かあったら自分が信じられなくなるんですよね
そして他者を頼ってしまう
信頼関係が崩れるとそれも病気や痛みに発展すると思います
昔、O157が流行った時も、今のコロナ禍みたいに国民がめちゃ神経質になり、消毒薬やアルコールに頼る事が強くなった時がありました
地域の活動にも影響が出たり、飲食にも…
うちの母親も台所でよくアルコール消毒使っていました
そんな時でも私はあまりアルコール使いませんでした
なんかそれ自体もアルコール臭くて、まな板なんかに振りかけるのが嫌でした
元々、潔癖にも近かったので、調理中でも都度手を洗いますし、一回一回まな板も洗っていました
それで今まで何ともないんだから大丈夫だという自信がどこかにあったんでしょう
まあそんなもんだと時は過ぎました
そんな時も普段の自分を振り返り、客観視し信頼関係なのかなって思っていました
かと言ってストイックに過剰になり過ぎるのもバランスが崩れますので信頼関係の糸が太いか細いにかかって来ます
人間関係でも信頼関係が太く結ばれていると多少の冗談やお遊びも許されるのと同じですよね
まあ自分自身は冗談やおちょくりやからかいの方が敏感でいくら信頼関係でも苦手だったりしますが(^_^;)
根強い信頼関係です、それをどうやって結ぶかは信じる事しかないと思います
そして理解する事
前に防災に関してもこのように話していました
防災は心構えも必要で、それは心が前だという事です
防災グッツを揃えるのも必要だけど、先に、前に、「心」なんですよね
覚悟もです、極端な話、生きる覚悟、死ぬ覚悟もです
生きる上でも、死ぬ間際でもいろいろ支度も必要なように
心の支度も必要なんです
それが心の免疫となり、疫神厄神から免れるという事に通づると考えています
流行り病の疫病や災厄っていうのもなぜ起こるか、いつ起こるか分かりません
でも見えない世界では因果応報、何か心に伝えたい事があるのかなって思っています
心の免疫は見えない世界を知る事にも通じるのかなと…。
あまりに、「石橋叩いて渡る」「用心し過ぎる」というのも度が過ぎると良くないけど
何か心構えがあるだけでも用心はして悪い事ではないのかなって思います
現実の顕在意識の見える世界はタダの体験で楽しんでイイもの、光の世界に向かうモノだと信じているとそんな見えないトンネルも突っ走って行けるかと (^.^)
見えないトンネルというのは今のコロナ禍の事だともいえますよね
何でものど元過ぎれば…と言われるけど、本質を知って心構えが整っていないと、また、心の免疫が整っていないとまた同じ体験の繰り返しとなるんでしょうね
現に、コロナ感染者の数値が減り、何も無かったように紅葉を観光している人々…めちゃ並び、めちゃ密になり…ってどうなのかな (^.^)
混雑してても引き返し帰る事も無く
ステイホーム、リモートワークや自粛といった経験から休みの取り方も学んだりしたはずなのに、また一気集中出来るんだ…そんな気持ちはどこから来るんだろう
自分との信頼関係からだと良いけど…
それなら感染者がまた増えたとしても慌てないで堂々とした対処も出来るんでしょうと期待しちゃいますよね
人間の一喜一憂する繰り返しだとすると中々心の免疫は強くならないような気もしますね
一つひとつの体験は心の免疫をつけて行くもんだと…私は思っています (^.^)
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