結婚では二人の価値観を縮めて行くという話でした
私の結婚時にはそんな価値観という言葉すら知らなかったという話でしたが。
どんな関係でもだと思います、仕事上の仲間でもです
人間関係に必要な事ですが、共同作業や共同達成は価値観を理解し合うのにどの世界でも必要ですね
結婚観の中で言ったように結婚という新たな家族を作る愛がベースのステージで繰り広げる課題では頑張れるから神様からも大きな課題も与えられるわけです
夫婦の間に共同作業というものが出てくるからです
結婚式では初めての共同作業ですなんて言われてケーキ入刀とか、キャンドル点火とかあるし、本当は式場選びとか式進行、席決めとかもですが、そこで気づく人はまずないですね
マリッジブルーとかになる人もいるけど、やっぱり好きが勝つし (^^;)
やっぱり一番は子供を持つという事なんでしょうね
あっ、もちろん子供を持たないという事も、その価値観を夫婦で話し合うんでそれもありですよ!
夫婦二人の意見が対立するのも子育ての事だったり
どんな習いごとさせるとか、どこの学校入れるとか、喧嘩して帰ってきた時の声のかけ方とか、あらゆる問題が出てくる、キリが無いぐらいだろう
その意見の相違をどうにか子供の為に、子供の事を考えたり、思ったりしてみんなで答えを出して行く
それでいつしか夫婦も喧嘩したり、真剣に話し合ったりしながら絆も深まったりするんですよね
子は鎹と言います
この鎹というのは二つの違った材木と材木を繋ぎ止めておく金具
子が、価値観が違う夫婦を繋ぎ止めるんですね
そんな事を無意識にやっているだけなんですね
それも、自分の価値観を広げるためのミッション
自分以外の価値観や概念を知るだけでもいい
人の考えを聞いて、
それは間違いだとか、無視するとか、反発するから苦しくなるだけ
頭の中もごちゃごちゃになるだけ
家柄も価値感も違う両親に育てられた者同士違って当たり前、
その両親ですら、もともと違う親同士の結婚により生まれているんです
先祖をたどればその繰り返しですよ
どこかで歩み寄り、ゴールテープを切るだけ、自分自身の目的も達成するだけなんですよね
ここまでを理解する事すら出来ない人は多いですが
一人ひとりが宇宙からこの地球にやって来て、それぞれの人生を宇宙と繋がって生きているんだというところまでを理解で来たらどうでしょう
人の概念すら知る事も、初めて知る事も、初めて体験する事も楽しいに決まってる
全部宇宙が手綱を引いてくれてるんだから… (^.^)
それなのに目の前に観えている現実だけを見過ぎていて心まで翻弄されているんです
夫婦なんかは特に現実に結婚というカタチに縛られているので余計に不自由に感じてしまうんですよね
私も昔に一度かなり夫婦の事で悩んだ時、ふと我に返った言うか、
「私はこの人と不幸になる為に結婚したんじゃない!幸せになる為に結婚したんや!!!」って叫んだ事があります
自分自身に叫んだんだと思います
その時にハタと気づいたんです
そうやんな!そうやんな!って
そう気づいた時に涙も出て来た
魂がやっと気づいたんか!と泣いて喜んでくれたと感じました
夫婦で結婚生活しながらでも自分の人生の価値観を磨いているんだと。
そんな時からは、何があっても自分の幸せに繋がると思いながらいろんな事を捉える様にしていったと思います (^.^)
そう思うと、その場から卒業があっても良いと感じるようにもなったし、
私が幸せになる為に居てくれた相手だと思うと、相手が幸せになる学びの為に自分も必要なんだとも思えるようになった
なので、長く夫婦生活も出来るんだけどね (^^;)
それでも夫婦の学びの歩幅は同じではないので、未だに大変なこともやって来ますよ (^.^)
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