特に今という事に意味は無いけど、気分です (^.^)
もっと自分らしく、自分と近くにブログがあるなぁ~と気持ちを込めて (^.^)
ふと変えてみたくなりました
「たおTAO」って言うのは幼い時からのニックネームです
「多賀子」って言うんだけど、自分で自分の事を「多賀子ちゃん」って言ってて、舌っ足らずで「多賀子ちゃん」って言っている間に、「たおちゃん」ってなったんです
未だに幼い時からの友達とも会いますが、そう呼ばれています
さすがに高校生になった時には「ちゃん」は外され「たお」って言われてましたが (^_^;)
「名は大意を現す」と言われますが、後々こんな事にも気づきました
私の名前は母方のおじいちゃんが付けたと言われてて、滋賀県のお多賀さんと言われている「多賀大社」からもらったと…。
多賀大社はイザナミノミコトをご祭神とする神社
日本神話を知るようになり、そこからの神々を知り、自分との縁も感じたりしながら行きついた多賀大社
イザナギ・イザナミは人類を生みだしこの世を作って行ったという神様
その人類そのものというものに興味も湧き、日本神話から教示を受け、心からの感謝も湧いて来たという
そこへ繋がった道にも感謝です
幼い時にはそんな事もピンとこなかったけど
人生を振り返ると、そんな道を歩くんだよとつけられたように感じます
40歳過ぎて、深くスピリチュアリティ(霊性的に)に生きるようになって、
この「たお」って言うのが中国哲学では「道」と言うんだよと知って
もっと自分の名前や愛称が好きになりました
「たお」、道とは中国哲学上の用語のひとつで、人や物が通るべきところであり、宇宙自然の普遍的法則や根元的実在、道徳的な規範、美や真実の根元などを広く意味する言葉…。とありました。
「道」とは哲学だと…。
今から思えば、名前をつけてもらい、そのように生きている、それを目指して生きている
それが感謝で幸せに感じます
もちろんその歩んでいる途中は色々あるでしょうが
そこには絶対意味があったと気づけたことも幸せです
人間、誰しもが名前を持っていて、一度や二度はその謂れとかを聞いたり考えたりしたことがあると思います
昔、スピリチュアル界の江原啓之さんが言っていましたが、
親が勝手につけたと思っているでしょう、実は天からこんな風に生きるんだよと神様がつけたんだよと言ってました
最近の当て字やキラキラネームにも意味があります、
音と波動と閃きで生きるという事もそうでしょう、自由な直感と閃きの中に人生を見出していき、人生の意味を知るミッションです
自分が生きてみて、自分の人生に責任をもつという事でもあります
人という字が「人」なのは、二本足で地に足をつけて歩きますという意味
自分で自律するんだよという意味です
亡くなって戒名を付ける時には、この人生で歩んだ道の一字を付けたりします
そして「頑張ったよ」とあの世に持って行き、あの世で続きを歩くという意味での戒名です
あの世で道の続きが待っているから名前が必要なんですよね
私は亡くなったら散骨するのと戒名は要りませんと子供達に伝えています
一応この世の名前の意味を悟り、そのように生きたと信じているからです
続きがあるならそのままで良いと思っているからです
何もどこかの僧侶につけてもらわなくても次の世界がどんなのかも「そもそも」の意味を知ったのでそれで納得しているからです (^.^)
それに次の世界に行くつもりなく、一気に魂の世界に戻ると決めているからです (^.^)
それを教えてくれた名前、大切な名前です
また一層ブログに愛着が湧くかなと…。 (*^^*)
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