「気づきの共有」という話で、「気づきは奥深い」という事でした
気づきに気付き出すと、気づきの次元も上がって行くので、奥深いですね
人には考えがあり、その奥に思いが在り、その奥に意識が在りと…どんどん深層心理へ向かい、潜在意識へ繋がって行くから当然ですよね
同じ考えでも同じ気づきでも、自分の中では自分のものです
それでもややこしく考えても難しいので、目の前に問題が出てきたり、情報を処理する時にどう向き合って行けば解からない時に考えれば良いだけです
答えの出ない悩みはどんどん断捨離して……。
その時に考えた結果とか、乗り越えた時に気づいた結果が気づきなんです
情報社会の情報を知識として取り入れ、知恵として活用しながら生きていく
その生きていく中で気づいて行く
それが自分の曼荼羅にもなるんです
お釈迦様や弘法大師様とかだけに曼荼羅が在るわけではない、自分の人生が子孫のための曼荼羅となって行きます (^.^)
情報と選択の世界、そしてその自由意志の世界
情報を取るにもたくさんあり過ぎて…となります
情報をどう捉えていくかです
どの視点で捉えていくか
例えばコロナ禍でもですが、ワクチンでもです
自分の中に不安が在れば、不安を元に情報を集め、不安の視点から捉えてしまい、その不安要素からたくさん集めてしまいます
その自分の「視点」に気づけばそれが「気づき」です
その時の気づきにより解消するように持って行けば良いだけです
たまたまコロナウイルのウイルスというものが怖ければ、それを徹底的に知る事です
世の中でもコロナウイルスの事を悪い事で怖がらす事ばかり言っている情報は私は信じません
色んな専門家の知識によっても見解が全然違います
死ぬのが怖ければ死後の世界を知る事です「怖さ」が無くなるまで
視点を増やしていかないといけません
視点が増えれば視野が広がり
選択肢も増えます
自分で選択する、自分で考えるという事が今の「風の時代」の人類の課題
その自由な選択、自由な意思
考える材料を情報で取っていくわけですが
その過程の視点の中の自分の感情や考えに気づいて行く
感情や考えが視点の基になっていますから
自分の視点の偏り、視野の狭さが影響している事に気づく
それを緩めていく
それがこの世のバランスを取るという事です
良いも悪いにも全部が必要だとするようになります
そうなると自ずと人生観も広がり、今まで自分に見えていなかった世界に目覚めていき
悟りに繋がって行きます
よくネット検索では自分の意思で検索するから偏りやすと言われているので、その為にも自分の「視点」を客観視する事です
検索の結果やコメントに客観的になるのは意外と簡単ですが、その時の自分に客観的になるのは見落としも多いです
私も報道番組や情報番組を観ますが、その専門家や評論家の人の意見を聴きますが、そんな時にも色んな人の意見の中でも自分の視点で拾っていきます
一人の人の意見だけを師事する事は無いです
コロナやワクチンの事だけじゃなく
ネガティブな事を言う人の意見はほぼ信じません
何でそう言えるの?って、相手に提議するつもりで自分に問いかけます
前向きに進める意見をチョイスしながら自分の意思と共鳴する人の意見を混ぜ込み自分の考えを構築していきます
それが自分の人生哲学となって行き構築されていきます
ネガティブなら結果ネガティブに繋がります
ポジティブならポジティブに向かいます
そう信じていますし、そう信じていたら自分の意思ですからどう転ぼうが納得の上です
そして方向性が違うと思えば自分の視点の角度を変えて行くだけです (^.^)
無限に方向は広がります…球体のように
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