緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

無駄な口癖に気づけば良いのですが。

2022-11-15 | スピ的視点
  数日前の記事で、私も口癖を手放したという話をしていました。
必ずその口癖に裏心理がある。
私のたとえで、「でもね」「だけどね」という言葉。
自分改革し始めた時期の一番最初に気づいた言葉でした。

自己否定感も強く、自分に自信も無い頃、
自分を好きになろうと目標を持った頃、

人から見れば自信あり気にみえる人間だったみたいですが
人見知りで引っ込み思案で中々踏み込めないという性格が表面に出ていた頃だったんですね。

何かにつけ、「でもね」「だけどね」と頭につけていた。
直ぐに止めれるわけじゃなく、
言葉に出ても、また手放すという事を繰り返しながら意識した。


それが手放せた頃に気づいた事も多かった。
自己否定もだけど、勇気や自信の無さもだけど、
その奥には自信過剰になり得るエゴもその裏にあるんだという事にも気づいて、謙虚さも覚えたという事でした。


友達や知り合いの中で、最近その人達の口癖で気になる言葉があります。
対話していている時、対話というのは何かに関してとか、話題にお互いに言葉が交わされる時ですが。

こちら側が話した事に対して返すたびに必ずと言っていい程、
「違うねん」「ちゃうねん」「そうじゃないねん」という。

返ってくる内容を聴けば違う訳じゃない。
その事を言ってるんだけど…私。
同じことを言っているんだけど。
まず頭に「ちゃうねん」「そうじゃないねん」と否定語をつけるんです。

まあたまにこっちの事を否定する意味でも使われるんですが、
別段こっちの意見を押し付ける事も無いと思っていますが、
人の意見を否定している意図も無く
無意識に使っているのが分かるのです。

それが元で喧嘩になる事も無いし、
意見を交わし合っていると思っている私なので。

多分自分の世界観の中からの言葉でしか理解ができなかったり、
自分の言葉と世界観が正しいと思ってしまっているんでしょう。

多分それでは自分の世界に広がりは無くなります。
人の意見を否定したりするばかりで自分の世界だけになると、
自分の中にも制限が起こります。
大体そんな人には身体のどこかに支障が生じています。


人の事は誰しもよくわかると言われるので、
そんな時には必ず私も自分を振り返るようにしています。


先ず第一に母親がそうだったので、
晩年、ある時から母親に合う時には
先ず何でも「そやね!」「そうやね!」という練習して行きました。
マンション14階なんですが、車降りてからエレベーターの中ずっと唱えていました。


まあ母の場合は、先ずそう言わないと興奮するからです。
自分の意見が正しいと思っているし、
自分の意見以外受け入れないからです。

「そうやね!」と受け入れたとしても
ただ受け入れているだけでは自分のストレスにもなるので、
母親の意見も分析したりして、
なぜそう言いたかったか裏心理も受け入れるようにしながらです。


自分の癖の裏心理があるように、
相手の口癖の裏心理もあるのです。


そこまで理解しないと自分の身勝手に終わって
自分のストレスに変わるだけです。


裏心理をみてどうするのと思われるかもしれないけど、
自他尊重には肝心要な事。

無意識だと余計です。
そして、裏心理というのは自分の心の奥。
その相手の心の奥。
二次感情の奥の心理です。

心の表面と心の奥と、魂と、本質の概念の全てのバランスが取れていないと、何かどこか歪み崩れ支障が出て来るのです。


そんな自分のバランスを取るために人間関係を利用する。
人間関係に翻弄されないで自分のために利用する。


いつの時代も、いつの年代にも人との繋がりは無くなりません。
夫婦だけでも親子でも
たとえそれが独りになったとしても
わざわざどこかのコミュニティに所属しなくても、
病院通いでも、スーパーにでも
どこにでも繋がりはあります。
相手の態度と言葉がバランス悪いなと気づくようにです。
態度を見れば腹が立ったとしても
奥の心理に気づけば許せる事もあるようにです。

それは最後の最期まで。






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イベント景品と温活と…。 | トップ | 感覚にも癖はある »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿