昨日の本の話ですが、まだ読んでいないのですが、
いつもの自分の視点と同じところ、というか価値観の共通点とでもいうかという事ですが、
本の表紙にも書いてます、テーマは「ゆるすいっち。」
カラダをゆるませるとココロが許せるようになる奇跡のスイッチワークと書いてあります。
何が共通かと言うと、緩ませるのも自分の身体、それによって心を許せるのは自分の心なんです。
どんな感情も自分のもの。
たとえそれが寂しいでも悲しいでも怒りでもイライラでも。
自分の事が許せないから人にも厳しい。
自分の事愛せないから人も愛せない。
そんな感情すら過ぎてしまえば愛おしくなるほどで自分の大切な心なんです。
嬉しいとか楽しいとか感謝なんかは溢れるほど愛おしくなるものです。
そうなるとその感情湧き出る自分の肉体や心すら愛おしくなる。
その体のどこかと心の関係性があるんでしょう。
昨日も書きましたが、露骨に直接人に対してあなたのその性格が嫌いだから直せとは言えませんし、言う必要もない、もっと言えばその人の性でもない。
自分のスイッチなんだから自分で入れればいい。
人が無意識にいれてしまう場合もある。
勝手にスイッチ入ってどぎまぎする時もある。
感情は自己表現だから、その表現方法だからです。
その人の魂が悪いわけでもない。
人の事などどうでもいいと言えばそれまでですが、そう思う自分の心にもある意味ひねくれた歪みがあるのでしょう。
それもまた自分の身体に歪みが生じるというもんです。
人によって自分の心を見せられ自分の心に気づく。
そして自分の身体の歪みにも気づく。
気づけばその体の部位を緩ませてみればどうなんでしょ。
言うは易し行うは難しですが、やってみる価値はあります。
何でもです。やらずにグチグチいうのはホント体と心が一体化していないという (^^;)
たまに私も先ずやってみたら良いのに一歩踏み出せないあかんたれなところがあって、それも緩める臓器あるかなって思うのです (^^;)
多分お腹と呼吸かな!!
自分の身体を労わりながら緩める。
その肉体の中、臓器、組織、細胞までも緩める。
これはとても理にかなっていると思っている !(^^)!
ゆるスイッチというのは、意識のスイッチでもある。
臓器にも細胞も意識もってるからね。
今も仕事の合間に書いてるけど、
早く読みた~い!! (^^;)
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