生産の過不足におけるマルクスの勉強が全然進まないので、別方向へ(^^)
10月4日、エル大阪で行われた「何とかならんかこの日本!?本質的変化を見据えて政権交代を実現しよう」という集会に参加した。メインは先の参議院選挙で山本太郎率いる「新選組」から比例代表で出馬した大西つねき氏と、立命館大学経済学部教授で、「そろそろ左派は『経済』を語ろう(亜紀書房 2018年5月)」や「薔薇マークキャンペーン」で「反緊縮」政策を唱える松尾匡氏との対談である。二人の対談内容から、いろいろ感じたこと、考えたことをまとめてみた。
太西氏はJPモルガン銀行やバンカース・トラスト銀行で金融の仕事をしていたため、銀行や金融の本質についてよく知っている。円なりドルなりの通貨発行は国家の「中央銀行」が独占的にやっているのだが、彼によれば本質的にお金というものは民間の銀行が借金という形で私的に発行し、通用させている(このしくみを「信用創造」という)。誰かの借金は別の誰かにとっては資産になり、発効したお金(借金)は利子を取るしくみになっている。利子というのは、「金持ち(資産持ち)」だからもらえる特権的なものでしかなく、これが格差を広げ、あらゆる経済や社会の「持続可能性」を妨げているので、このしくみを変える必要がある。
そこでお金の発行は政府が行い、利子をとらないようにする。また単なる流通手段としてのお金そのものには価値はなく、人が具体的に働き、モノやサービスを生産することでしか価値は生まれない。お金を社会に回すことで、人びとが動く(働く)ように社会設計を変えていく。その方向性を打ち出すため彼は「フェア党」という政治団体をつくって発信し、「新選組」から参議院選挙で出馬もしたわけだ。
驚いたことに松尾氏も「お金の発行のしかたを変える」、すなわち金融システムを変えるという考え方は、大西氏と同じだそうな。「薔薇マークキャンペーン」その他からは伺えない考え方だが、「ケインジアン」松尾氏によれば「政府による通貨の発効」や「国債の日銀直接引き受け」は法律を変えないと出来ないが、国債をめぐりめぐって日銀が買う(アベノミクス的手法)で「お金をつくる」なら法律を作らずとも可能だという「方便」らしい。
彼らの主張は究極的には「銀行を国有化して政府が通貨発行権を握る!」ことに行きつく、すなわち社会主義・共産主義につながる政策となる。また松尾氏らが著書等で主張する「政府がお金をつくって」社会にバラ撒き、社会を動かそうとすることは、実際の仕事は民間が行うにしても政府が直接、必要な社会的労働や物資を調達することになるので、これまた社会主義・共産主義的な政策である。ここで注意しなければならないのは、政府が社会的な仕事を、通貨発行権を持たずに「税金の範囲で」やる場合は、出来ることが限られるので社会主義・共産主義にはならない。ケインズを突き詰めてもマルクスにはならないのだ。
「共産主義社会」で政府が通貨発行権を握って社会を運営する場合、円やドルといった通貨の代わりに「労働証書」を発行することになる。これは「あなたは○○時間労働したので、社会から〇〇時間労働分の財やサービスを受け取れますよ」という「クーポン」のようなものだ。労働が不可能な高齢者などには、年金の代わりにベーシックインカム的に財やサービスが得られる「クーポン」が渡されるであろう。当面の交換につかう単位として円やドルが労働証書やクーポンに使われるにしても、これは通貨とは別物なので資本として使われることはないし、そもそも「共産主義社会」では賃労働と資本の関係は止揚され、資本なんてない。
だが資本そのもの、資本主義社会の金融や株式といった基盤システムが大々的に残っているなかで、政府が通貨発行権を握って、しかも円やドルといった既存の通貨をそのまま発行した場合どうなるか?「お金」は当初は労働者民衆にまわっても、究極的には資本に還流し、吸い上げられる。「過剰な資本」は今も世界中を巡って利子や配当を要求し、世界の実経済を脅かしている…大西氏が目指す「持続可能な社会」を妨げている…生産が金融に脅かされる状況が変わるどころか、ますます悪化することになる。資本が要求する利子、配当が得られない(と判明した)場合、リーマンショックを上回る金融危機が訪れ、あの時のように生産は止まり、多くの人が困窮することになる。そして金融資本は世界中を巡っているので、危機が日本国から始まるとは限らない。
だからお金が資本に流れないようにする「かなり強力な規制」、あるいは金のあるところから、徹底的に収奪するしくみを作る必要がある。現在の所得税や法人税のしくみを強化するだけでは足りない、金融資産その他モロモロの、ありとあらゆる資本から取り立てる。国外やタックス・ヘイブンに逃げるヤツにも容赦しない!そう、資本主義にケンカを売る必要があるのだ。こんな大それた変革を、たかだか議会で過半数取るだけで実行可能なのか?やっぱり最終的には「革命」が必要になってくる!
「薔薇マークキャンペーン」やアメリカ民主党左派のサンダースやウォーレン、オカシオコルテスらが主張する「反緊縮」を支える理論としてMMT(現代貨幣理論)が話題になっている。通貨発行権のある政府にデフォルトリスクは無く、政府が通貨をつくれる以上、政府支出に予算制約は無い。インフレが悪化しすぎないようにすることだけが制約である…というもので、通貨は政府が税として徴収することで成り立つ「租税貨幣論」や「国定信用貨幣論」に基づいている(これに対するのが「商品貨幣論」)。一見トンデモのように見えるこの理論は、信用でお金をつくることができる現代社会においては、ある程度「正しい」のであろう。これは信用制度の発展により政府が通貨発行権というものを使って、共産主義を準備する下地が出来上がっているとみるべきであり、また政府が通貨をバンバン発行しても完全雇用が達成されないかぎりインフレなぞ起こらないというのは、民衆が本当に必要とする財・サービスを供給する以上の生産力がすでにあり、こちらも共産主義を準備しているということの証左でもある。だから左翼・左派がMMTにもとづいて「反緊縮」を息継ぎ政策でやるのはいいとしても、そこで止まっていてはイケナイのだ。松尾氏はマルクスをかじっていながら、そうゆう大切なことを言わないで、ケインズ政策が未来永劫続くような絵を描いているから叩かれるのである。
最後に「お金をつくって」でも大々的な財政出動政治を行う場合、それは徹底的な民主主義、話し合いの下に行われるべきである。ほとんど際限なく発行できるお金を、何に使うのか?国土強靭化のための公共事業か、教育分野や、環境対策か、介護・福祉分野に投入するのか…など。また中央で一括では決められない、地方分権、地方自治も必要だ。そして公にお金を投入すれば「利権」も発生するので、透明性の確保も大切だ。そしてこれらは「共産主義社会」にも当てはまるのである。
参考:大西つねき氏の金融システム論(長州新聞)
10月4日の大西、松尾対談集会(長州新聞)
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