小学館からも『セクシー田中さん』に関する調査報告書が公表されました。
漫画の意図を理解してもらう為、掲載予定の最新のネームまで提供した芦原さんの想いは日テレには伝わらなかったようです。
漫画の意図を理解してもらう為、掲載予定の最新のネームまで提供した芦原さんの想いは日テレには伝わらなかったようです。
日テレの保身に走っている調査報告書は「赤点」としか言いようがありません。
一方、2024年6月3日発表された小学館の報告書は余計な感情を省いています。
まずは事の経緯について時系列で書かれています。
淡々としている説明文でありながら緊張感が漂ってきます。
そして、調査の目的という項目も日テレのものより内容が短くまとめられているけれど言い訳がましさや逃げを感じず、読んで好感が持てました。
一方、2024年6月3日発表された小学館の報告書は余計な感情を省いています。
まずは事の経緯について時系列で書かれています。
淡々としている説明文でありながら緊張感が漂ってきます。
そして、調査の目的という項目も日テレのものより内容が短くまとめられているけれど言い訳がましさや逃げを感じず、読んで好感が持てました。
小学館の報告書の中でも、芦原さんは「難しい作家」と表現されています。
しかし、不快には感じませんでした。
12ページに、担当者が芦原さんの以前の連載漫画『Piece』を1年程担当した人であり、芦原さんが一旦他社(集英社)へ移った後も交渉し、芦原さんが小学館へ戻ってから一貫して彼女を担当してきた、ということが書かれています。
同じく「難しい作家」と表現しているのに、日テレの報告書はただの悪口にしか思えなかったのは、日テレ側が芦原さんの人となりを理解せぬままその言葉を使ったからでしょう。
所謂 = 芦原さんをよく知らないあなた方にとっては
という前置きを置いて「難しい作家」と言ったのではないでしょうか?
しかし、不快には感じませんでした。
12ページに、担当者が芦原さんの以前の連載漫画『Piece』を1年程担当した人であり、芦原さんが一旦他社(集英社)へ移った後も交渉し、芦原さんが小学館へ戻ってから一貫して彼女を担当してきた、ということが書かれています。
同じく「難しい作家」と表現しているのに、日テレの報告書はただの悪口にしか思えなかったのは、日テレ側が芦原さんの人となりを理解せぬままその言葉を使ったからでしょう。
所謂 = 芦原さんをよく知らないあなた方にとっては
という前置きを置いて「難しい作家」と言ったのではないでしょうか?
2023年3月9日に小学館側と日テレ側が対面した時点のやりとりが13ページに書かれています。
小学館側は、
小学館側は、
●芦原さんは作品を大切にし自分の作品の世界観を守る為に細かな指示をする所謂「難しい作家」
●原作に忠実で原作を大事にする脚本家でないと難しい
●日テレ担当者は、原作が大好きで凄く面白いからドラマ化したい。当然原作に忠実にすると返答した
●日テレは10月期ドラマ希望であったが、それでは芦原先生の脚本監修時間が不足する為、1月期が望ましい
と、日テレ側に伝えたそうです。
対して、日テレは
対して、日テレは
●『原作を大事にして欲しい』という趣旨は聞いたが、脚本家はどういった方が良いという話までは出ていなかったと記憶している
●『当然、原作に忠実にする』という発言はしていない
と答えたとのことです。
それに関しては日テレの報告書にも条件や注意事項は聞いた記憶がないと記されています。
小学館も日テレも2人対2人で話をしていたのに、言った聞いてないになるのはなぜなんでしょうね。
それに関しては日テレの報告書にも条件や注意事項は聞いた記憶がないと記されています。
小学館も日テレも2人対2人で話をしていたのに、言った聞いてないになるのはなぜなんでしょうね。
同日夕刻に日テレから企画書が送られ、これを読んだ芦原さんは好意的な反応を示したとのことです。
そして、日テレのY氏(日テレ報告書ではA氏)は6人の脚本家候補、3人の監督候補を追記した修正版の企画書を小学館に送信しました。
その企画書には、例の脚本家の名前は無かったそうです。
ところが脚本家候補の一人として日テレからメールで連絡されます。
企画書には入らなかったのに何で後からメールで追加されたのでしょう?
そして、日テレのY氏(日テレ報告書ではA氏)は6人の脚本家候補、3人の監督候補を追記した修正版の企画書を小学館に送信しました。
その企画書には、例の脚本家の名前は無かったそうです。
ところが脚本家候補の一人として日テレからメールで連絡されます。
企画書には入らなかったのに何で後からメールで追加されたのでしょう?
小学館と日テレのやりとりを読んでいると、日テレの担当者・Y氏は原作の漫画を流し読みし、上辺だけを拾ったのではないかと思いました。
でなければこんなに噛み合わないはずがありません。
きちんと読んでいれば大切な空気感も分かるはずです。
また、日テレの報告書でも“虚偽”について触れられていましたが、撮影以外にも嘘とまではいかないが小さなごまかしは積み重ねていたのではないかと思いました。
でなければこんなに噛み合わないはずがありません。
きちんと読んでいれば大切な空気感も分かるはずです。
また、日テレの報告書でも“虚偽”について触れられていましたが、撮影以外にも嘘とまではいかないが小さなごまかしは積み重ねていたのではないかと思いました。
芦原さんはただ脚本の問題点を指摘していただけではなく、その理由を細かく付け加えていたようです。
15ページで、脚本家は脚本作成を受諾する際に日テレから「原作を大事にしてくれる方でないと難しい」とは聞かされていないと答えたことが書かれています。
でも、一視聴者から言わせてもらうと、言われなくても原作に沿うのが筋ってものでしょうと思うのです。
原作リスペクトは言った言わないじゃなく基本中の基本だと思います。
言われないとそうしないなんて随分と傲慢じゃないですか?
15ページで、脚本家は脚本作成を受諾する際に日テレから「原作を大事にしてくれる方でないと難しい」とは聞かされていないと答えたことが書かれています。
でも、一視聴者から言わせてもらうと、言われなくても原作に沿うのが筋ってものでしょうと思うのです。
原作リスペクトは言った言わないじゃなく基本中の基本だと思います。
言われないとそうしないなんて随分と傲慢じゃないですか?
小学館の報告書を読む限り、芦原さんの指摘は筋が通っていると思いました。
例えば、朱里のキャラを田中さんの腰巾着ととらえていたであろう脚本家は、朱里も田中さんの後を追ってダンサーになる結末へ持っていこうとしたようです。
しかし、芦原さんは朱里が田中さんから自立し自分の道を進む未来があることから田中さんに依存した人物に見えることは避けたいと注文を出しました。
確かに、自立して我が道を進む朱里の方がカッコイイですよね?
例えば、朱里のキャラを田中さんの腰巾着ととらえていたであろう脚本家は、朱里も田中さんの後を追ってダンサーになる結末へ持っていこうとしたようです。
しかし、芦原さんは朱里が田中さんから自立し自分の道を進む未来があることから田中さんに依存した人物に見えることは避けたいと注文を出しました。
確かに、自立して我が道を進む朱里の方がカッコイイですよね?
芦原さんは、脚本家にキャラクターを理解してもらう為、なんと『姉系プチコミック』に掲載予定の最新のネームまで提供したそうです。
これを知って本当に驚きました。
掲載前のネームを渡すとは!?
これを知って本当に驚きました。
掲載前のネームを渡すとは!?
芦原さんの指摘は確かに厳しかったのかもしれません。
しかし、小学館の報告書を読むほど、やはり筋が通ったことしか言っていないと思えるのです。
作品の命であるネームまで渡したのに馬耳東風であったかと思うと残念です。
芦原さん、悔しかったでしょうね。
しかし、小学館の報告書を読むほど、やはり筋が通ったことしか言っていないと思えるのです。
作品の命であるネームまで渡したのに馬耳東風であったかと思うと残念です。
芦原さん、悔しかったでしょうね。
脚本家も改めて漫画をしっかり読もうとは考えなかったのでしょうか?
『セクシー田中さん』はテーマ性の強い漫画です。
報告書24ページで、田中さんが父親のリストラによって短大しか行けなかったことを脚本家は単なる受験話にしたそうですが、原作の意図はジェンダー問題の投げかけでした。
そういう認識不足も指摘したそうです。
この点も私には真っ当に思えました。
『セクシー田中さん』はテーマ性の強い漫画です。
報告書24ページで、田中さんが父親のリストラによって短大しか行けなかったことを脚本家は単なる受験話にしたそうですが、原作の意図はジェンダー問題の投げかけでした。
そういう認識不足も指摘したそうです。
この点も私には真っ当に思えました。
脚本家が作品の意図を理解するほど漫画を読んでいないと感じながら、薄っぺらい内容を目にする原作者こそ心が折れそうになるでしょうよ。
だんだん腹も立ってくるんじゃないですかね?
脚本家には芦原さんの指摘は嫌がらせのように感じられたのでしょう。
日テレは、ベリーダンスに関してだけでも取材不足や知識不足のまま進行していたようで、ダンス曲の混用など指摘されても仕方がないと思います。
だんだん腹も立ってくるんじゃないですかね?
脚本家には芦原さんの指摘は嫌がらせのように感じられたのでしょう。
日テレは、ベリーダンスに関してだけでも取材不足や知識不足のまま進行していたようで、ダンス曲の混用など指摘されても仕方がないと思います。
40ページでは
芦原氏が問題としていたのは、同シーンでベリーダンスを田中さんがステージで踊る際、演出では「ハリージ衣装でドラムソロを踊る」こととされていた点であり、芦原氏は、社員Aに対して、ハリージ衣装でドラムソロを踊ることは、ベリーダンスの歴史的、文化的背景としてあり得ないので日本テレビ社員Y氏に確認してほしいと求めたのである。
と記載されています。
ベリーダンスをよく知らない視聴者には何のこっちゃら分からないかもしれませんが、意味のあることを軽んじて適当に作るのはやはり違うと思います。
こういう細かい指摘が日テレのY氏にとっては疎ましかったのかもしれません。
この件は日テレの報告書にもあった“虚偽の説明”に繋がります。
ベリーダンスをよく知らない視聴者には何のこっちゃら分からないかもしれませんが、意味のあることを軽んじて適当に作るのはやはり違うと思います。
こういう細かい指摘が日テレのY氏にとっては疎ましかったのかもしれません。
この件は日テレの報告書にもあった“虚偽の説明”に繋がります。
つまり、芦原さんがありえないダンス衣装を指摘したことでY氏は撮っていないものを撮影済みと報告しごまかしたのです。
しかし、芦原さんはその事を知ってしまいます。
間違ったダンスシーンの放映を看過できず、またダンスを監修している方の名誉の為にも撮り直しするか、それが無理なら番組HPなどで釈明文を掲載するか日テレに要求するよう小学館の担当A氏に依頼したそうです。
しかし、芦原さんはその事を知ってしまいます。
間違ったダンスシーンの放映を看過できず、またダンスを監修している方の名誉の為にも撮り直しするか、それが無理なら番組HPなどで釈明文を掲載するか日テレに要求するよう小学館の担当A氏に依頼したそうです。
これって、芦原さんは間違っていませんよね?
私は小学館の調査報告書を日テレのものと比較しながら読みました。
そして、日テレの人間とはなんと卑怯な連中か、と思いました。
この撮影エピソードに関しても2ヶ月もかかって準備したのに…と、原作者からのクレームにほとほとうんざりし困っているかのように書かれていました。
まんまと騙されちょっと同情心が湧いてきた自分を今は反省しています。
これじゃ芦原さんじゃなくても日テレに対し信用しようとは思いませんよ。
そして、日テレの人間とはなんと卑怯な連中か、と思いました。
この撮影エピソードに関しても2ヶ月もかかって準備したのに…と、原作者からのクレームにほとほとうんざりし困っているかのように書かれていました。
まんまと騙されちょっと同情心が湧いてきた自分を今は反省しています。
これじゃ芦原さんじゃなくても日テレに対し信用しようとは思いませんよ。
日テレ側は、多分、『セクシー田中さん』にテーマ性を求めていなかったのでしょう、最初から。
ジェンダーだのSDGsだのそんなのどうでも良かったんですよ。
私が思うに、
ジェンダーだのSDGsだのそんなのどうでも良かったんですよ。
私が思うに、
・『セクシー田中さん』という引きの良さそうなタイトルが魅力的
・ベリーダンスがセクシー
・40女が腹出して踊る滑稽さ
・適当にラブぶち込んで笑いが取れそう
くらいの感覚でドラマを作ろうとしていたのではないでしょうか?
だから、芦原さんが真面目に世の中に問題を提起せんとテーマだの社会性だの求めてくるのが鬱陶しかったのでしょう。
きっと日テレの担当者は心の中で、そんな真面目なもん作ろうとしてないんだよ、くらいのことを思っていたんじゃないでしょうかね。
だから、芦原さんが真面目に世の中に問題を提起せんとテーマだの社会性だの求めてくるのが鬱陶しかったのでしょう。
きっと日テレの担当者は心の中で、そんな真面目なもん作ろうとしてないんだよ、くらいのことを思っていたんじゃないでしょうかね。
でも、日テレ担当者が作成した企画書は実に素晴らしい内容でした。
あれを読んだらそりゃ芦原さんも自分の作品を深く理解してくれているのだろうと思いますよ。
あの企画書の内容が何であんなにも方向性が狂ったものになるのだろうと考えたら最初からそんなつもりはなかったというのが正解だろうと思います。
さすが過去にもドラマ化で漫画家が筆を折り連載が休止になったという前科持ちのテレビ局はやる事がえげつないですね。
あれを読んだらそりゃ芦原さんも自分の作品を深く理解してくれているのだろうと思いますよ。
あの企画書の内容が何であんなにも方向性が狂ったものになるのだろうと考えたら最初からそんなつもりはなかったというのが正解だろうと思います。
さすが過去にもドラマ化で漫画家が筆を折り連載が休止になったという前科持ちのテレビ局はやる事がえげつないですね。
小学館の報告書を読んでいると、最後の方は日テレが芦原さんに対してまるでクレーマー対策を行っているかのように思えました。
もちろん小学館の報告書は淡々と事実を時系列に述べているだけです。
それゆえ日テレの報告書と比べると、日テレ側の報告書の意地の悪さがよく分かるのですよ。
もちろん小学館の報告書は淡々と事実を時系列に述べているだけです。
それゆえ日テレの報告書と比べると、日テレ側の報告書の意地の悪さがよく分かるのですよ。
日テレの報告書では小学館の担当者C氏(小学館の報告書では社員A)はポンコツ社員に思えてきますが、全然そんなポンコツじゃありませんでした。
小学館から集英社に移った芦原さんを説得し、小学館に戻って連載を始めてもらって10年近くも彼女を担当しているのですから漫画家と編集者の信頼関係はあったはずです。
きっと日テレ側はそういった経緯を知らなかったのでしょう。
ポンコツなのはむしろ日テレの連中ですよ、これ。
原作に沿うとか芦原さんが脚本を書くとか、最初の段階で話をしたことは聞き流していたり具体的ではないと言ったり、または記憶に無かったりする日テレ陣。
それでありながら自分たちに都合良く使える「難しい作家」という言葉を小学館の担当が言ったことだけはシッカリハッキリクッキリ覚えているのはなぜでしょう?
日テレの方の記憶力は随分と都合が良いものなんですね。
また、日テレ担当者は小学館側の脚本に関するメールによる問いかけには未返信だったようです。
それでありながら自分たちに都合良く使える「難しい作家」という言葉を小学館の担当が言ったことだけはシッカリハッキリクッキリ覚えているのはなぜでしょう?
日テレの方の記憶力は随分と都合が良いものなんですね。
また、日テレ担当者は小学館側の脚本に関するメールによる問いかけには未返信だったようです。
69ページにこう記載されています。
とはいえ、本件脚本家が知らなかったとしても、元々著作権法上改変は許されないことであるうえ、芦原氏や社員 A は、本件脚本家の窓口である日本テレビ社員 Y 氏に原作に忠実にという意向は明瞭に伝えており、これに反した脚本の承諾を拒否するのは当然のことである。
本当にその通りだと思います。
脚本家が脚本家としての矜持を大切にしたいなら、自分のオリジナル作品で勝負すべきでしょう。
他人様の作品の脚本を書くならサポートに徹するのもプロの仕事だと思います。
腹立ち紛れのSNSの投稿がなければ、芦原さんもことの経緯をSNSで説明したりしなかったでしょう。
今となってはタラレバでしかありませんが……。
脚本家が脚本家としての矜持を大切にしたいなら、自分のオリジナル作品で勝負すべきでしょう。
他人様の作品の脚本を書くならサポートに徹するのもプロの仕事だと思います。
腹立ち紛れのSNSの投稿がなければ、芦原さんもことの経緯をSNSで説明したりしなかったでしょう。
今となってはタラレバでしかありませんが……。
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