今年の紅葉シーズンで最初にお参りに行ったのは、篠栗四国八十八ヵ所霊場第16番札所呑山観音寺。
篠栗町観光協会によると、篠栗霊場は「日本三大四国」の一つであるらしい(なんか不思議な表現だな)。
篠栗は弘法大師こと空海が遣唐使から帰った際に若杉山(奥の院)で修行した地で、古来より若杉山を神仏の集う霊山と仰ぎ、山岳信仰や真言密教の聖地として隆盛を極めていたと伝えられている。
実際、空海が若杉山に登ったのかどうかは分からないけれど(お遍路の場所は、実際には空海の弟子や高野聖が訪れたという所も少なくない)、空海は遣唐使からの帰国後都に入ることを許されず、2年ほど太宰府にいたといわれているので、その間に若杉山に行っていたとしても不思議ではない。
まあ、誰が山に登ったかはいいとして、時代はそれからずいぶん下って天保六(1836)年。四国巡拝の帰りに篠栗に立ち寄った早良郡姪浜の尼僧・慈忍の呼びかけで、弘法大師と縁のあるとされる篠栗に八十八ヶ所が発願され、慈忍亡き後を受けた藤木藤助たちによって開創されたという。藤木らは安政二(1855)年に五人の同行と共に本四国霊場を巡拝し、持ち帰った砂を仏像の中に納め、村内の八十八ヶ所の聖地に祀ったそうな。
そういう訳で鉾立山呑山観音寺。
山号が二つあるような不思議な名前だけど、山号としては「鉾立山」。一説には神代の時代、海津見(わだつみ)神の娘である玉依姫(たまよりひめ)が、神武天皇の父である彦波剣武鵜茅葺不合尊(ひごなみさたけうがやふきあえずのみこと)に嫁いだ際に、鎮座する山の高さを見比べるため頂上に鉾をつき立てたためといわれている(お寺なのに、縁起は神様なんだなあ)。
また、一説には神功皇后が朝鮮出兵の際、遠く玄界灘を望み、戦勝を祈願して逆鉾を山頂につき立てたともいわれている。
のみやまさん(呑山観音寺)の御本尊は、石仏の千手千眼観世音菩薩。石でそんな細かい観音像を作れるのかって驚きだけど、10月第3日曜の秋季大祭でご開帳されるらしい。中には無数の千羽鶴がかけられている。 |
不思議なことに千手千眼観世音菩薩を御本尊とする鉾立山呑山観音寺は第十六番札所になっているのに、塔頭の鉾立山天王院(御本尊は浪切不動明王)も第三十六番札所になっている。そういう仏教のしきたりなんかは、まだまだ分かりません。
お参りよりも紅葉インスタ? |
まあ、その気持ちも分からんでもない。 |
では、天王院側の下から順番に…。
「せせらぎの小径」の脇にあるお地蔵さん。妙に年季の入ったものときれいなものが混在してるのはなぜ? |
七福神堂。大黒天ほか七福神を祀っている。 |
紅葉はもう落ちてました。 |
極楽往生院。御本尊は閻魔大王。 |
ここにもあった「地獄・極楽めぐり」。薄暗い通路に地獄絵が貼ってあるだけだった。 |
六地蔵池と3千超の水子地蔵。 |
天王院参道脇の石板。 |
天王院本堂横の石灯籠。 |
ここから先は大駐車場の向こうの観音寺エリア。
最近できたっぽい百観音堂。周りは秋の紅葉が映えるドウダンツツジに囲まれてる。 |
本堂側から見た百観音堂。 |
戒めの階段。凸凹なつくりになっていて、悪事を働いたり心にやましいことがあると踏み外すといわれている。ちなみに僕は踏み外さなかった(杖つきで、手すりに掴まりながら登ったけど)。 |
よく分からんけど素朴なお地蔵さん。 | 大師堂。 |
淡島明神鎮守社・天神鎮守社。学問の神様の天神さまと、女性を病気から守る淡島明神さまとが祀られている。 |
弘法大師ゆかりの四体の明神を高野山より勧請。左から厳島明神(本地仏:弁財天)、丹生都比賣明神(本地仏:胎蔵界大日如来)、高野明神(本地仏:金剛界大日如来)、気比明神(本地仏:千手観音) |
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