竜宮寺
創建時期不詳
ニュースをお伝えします。
想像上の生き物と思われていた人魚が、筑前国博多の袖の湊で発見されました。
人魚は貞応元年(1222年)4月14日、漁師の網にかかっていたもので、報告を受けた朝廷では勅使として冷泉中納言を派遣。
事態の解明を急いでいます。
では現地からお伝えしましょう。
博多放送局うずめさ~ん。
「は~い、博多のうずめです。
ここ袖の湊の浜辺では、人魚が見つかったことで、ここ数日大騒ぎになっていました。
実際に人魚を引き揚げたという漁師のごんべえさん(38歳)に来ていただいてますので、お話を伺ってみましょう。
ごんべさん、ごんべさんの網に人魚がかかっていたんですね」
「そうくさ。
『今日はなんか網の重かね、よっぽど大漁のごたっばいね』
とか言いよったらくさ、なんか素っ裸のおなごが引っかかっとろうもん。
うわ、こらドザエモンかいな思たら、下半身は魚やろが。
そりゃもうたまがったけん」
「人魚は生きていたんですか」
「死んどるくさ」
「どんな人魚でしたか」
「まあ、なかなかべっぴんさんのごたったくさ。
肌もむちむちしとってくさ、
あのふっとかおっぱいは浮き袋の役目ばしとっとかねえ、
水から揚げたらだらんとしとったもんねえ。
そしてくさ、あそこはどげんなっとっとやろかと思うて
ウロコをめくりよったけどようわからんし、
やっぱ半分は魚なんやけん、おぼぼはせんっちゃないとやとか言うてくさ…」
「はいはい、ありがとうございました(汗)。
え~、一旦マイクをスタジオにお返しします」
さて、人魚はその後現場からほど近い浮御堂(うきみどう)に運ばれて、冷泉中納言を交えて検分が行なわれていたようですが、どうやら検分が終わり、まもなく記者会見が行なわれるようです。
では、浮御堂の会見場からの中継を見てみましょう。
(中納言)「え~、今回袖の湊に揚がりました人魚について、発表いたします。
人魚は龍宮城からの使いの人魚であると断定いたしました。
占い博士の安部大富(あべのおおとみ)に占わせたところ、「国家長久の瑞兆である」とのことでしたので、人魚の亡骸は当浮御堂にて手厚く埋葬いたしました」
(記者)「埋葬したって、埋めちゃったんですか?」
(住職)「人魚塚を建てて供養さしあげております。
なお、今回の件にちなみまして、当寺では山号を『冷泉山』、寺名を『龍宮寺』と改めることにいたしました」
(記者)「人魚の肉は不老不死の薬だと聞きますが、食べたんですか?」
(住職)「私どもは仏に仕える身でございますから、そのようなことは。
中納言様と安部殿のことは存じ上げませんが…」
(中納言)「まろは裸でまろ裸(意味不明)」
(博士)「けしからんことを言うな。おぬしには凶相が出ておる」
(記者)「ごまかすな! 自分たちだけ食ったんだろう」
(住職)「まあまあ、落ち着きなされ。
食ろうたか食ろうてないかは、あと100年も経てば分かることではございませぬか。
もっともその頃には、そなたもとうにあの世に行っておられましょうがのう」
そんな訳(?)で龍宮寺。
かつては息の浜(古図では島状の砂州?だった)にかかる長橋の手前にあったそうで、浮御堂といってたぐらいですから水(海)の上に立っていたのかもしれません。
江戸時代になって現在の大博通り沿いに移されますが、明治以降、ごっそり境内地を削られて、今はちょっと引っ込んだところのビルの中におさまっています。
お寺には人魚の骨と絵が伝わっていて、博多情緒めぐりなどイベントの際には実際に見ることができます。
絵は室町時代の作(現存するのは江戸時代の写し)といわれているそうで、おっぱいを露にして、鬼太郎のオヤジのような玉を3つ持った人魚が描かれていて、大きさ(長さ)は「八十一間」とあります。
1間を約1.8mとすると、なんと145m以上もある巨大人魚だったということになります。
もはや人魚というよりも人鯨といった方が正解かもしれませんが、人魚伝説なだけに、話が伝えられるうちに尾ひれがついていったのかもしれません(座布団ください)。
人魚が長橋になったという話もあり、81間は長橋の長さと考えられなくもないですが、当時にそんな長い橋があったでしょうか?
ちなみに長橋が崩れると博多が廃れるという迷信もあったようです。
骨の方は確かに大柄な動物の骨ではあるようです。
昔はお寺の縁日で骨を浸した水を参拝客に飲ませていたそうですが、骨を持って帰る輩が多く、今では写真の分しか残ってないのだとか。
お寺には『ムー』が取材に来たこともあるそうな。
人魚の菩提を弔う人魚塚。奥の観音堂にある観音様は海中から現れたという説もあり、太閤町割の博多七観音の一つとされているらしい。 |
本堂(ビルの2階なので本フロア?)の壮麗な天井は確か飯塚の実業家・伊藤伝右衛門絡みのものだったけど、詳細は忘れてしまいました。 追記 伝右衛門邸の仏間を作った彫刻家・近藤泰山による天井画、という共通点らしい。 |
龍宮寺
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福岡市博多区冷泉町4-21
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