斎宮(いつきのみや) 創建AD200年?
伊野天照皇(いのてんしょうこう)大神宮 創建??
起きたら思いがけず晴れてたので、急遽久山の農園の撮影に行って、ついでに久山の神宮皇后ゆかりの二つのお宮にお参りしてきた。
一つは久山町の猪野交差点を西に行ったところにある斎宮。
謂れはちょっと分かりにくいんだけど、仲哀天皇が急逝した際に遺体を安置したと日本書紀に記されている「小山田邑(むら)の斎宮」がここなんだとか。
日本書紀に従えば、創建は西暦200年ということになるのかな(日本書紀の中でもこの頃の年代表記はかなりずれてると言われてますが)。
このあたりは「聖母(しょうも)屋敷」と呼ばれているそうで、聖母とはもちろん神功皇后のことでしょう。
なんでも皇后自身が造らせ、自ら神主となったと伝えられてますが、仲哀天皇を弔いつつ、三韓征伐の成功を祈願したのでしょうか。
境内にある由来記によると、皇后が住居としたところが聖母屋敷で、その西南にある「六所」の地に斎宮を造って六所神を祀ったのだとか。
で、皇后が祈願した“六所大明神”が慶長年間(安土桃山時代末期~江戸時代初期)に洪水で流されちゃったもんで、村人が“聖母屋敷”に合祀したとあるんだけど、『斎宮』と“六所(大明神)”、“聖母屋敷”が同じものなのか別ものなのか、さっぱり分からない。
由来記の裏にあった「斎宮に係わりのある小山田邑の古図」には斎宮と六所大明神が別に書いてあって、実際『六所宮跡』というのもあるらしいので、今度行ってみようと思う。
ちなみに古賀市にも『小山田斎宮』という神社があるそうで、これと関係があるのやらないのやら。
さらには伊勢神宮に奉仕する「斎王」の御所も斎宮と呼ぶそうで、僕にはもう訳分かりましぇん。
久山の『斎宮』。脇の石碑には「聖母屋敷」とも刻まれている。 |
さて、気を取り直してもう一つ、猪野交差点を反対側に行ったところにある『伊野天照皇大神宮』。
何と!起源はこちらも日本書紀にある「小山田邑(むら)の斎宮」とされていて、由来記には皇后が神主となってアマテラスの霊を祀ったと書いてあるではないか!
“六所大明神”ってアマテラスの化身だったの?
斎宮の立場は?
せっかく取り直した気が…ああああ…。
失礼。もう斎宮のことは忘れましょう。
こちらは、どちらかといえば「九州の伊勢」として知られているらしい。
なんでも、福岡藩第二代藩主・黒田忠之が神主ら神社のスタッフを伊勢神宮に派遣して、
伊勢神宮の構法を学ばせ、建物の配置などを倣ったのだとか。
何せお伊勢参りはしたことがないので、どの辺がどう同じなのかは分からないけど、
祭神は同じアマテラスだし、はるばる伊勢まで行かなくても、ここでOKみたいな感じだったんだろうか?
そういや、前述したように「斎宮」は伊勢神宮絡みの言葉もあったし、
もしかしたら伊野天照皇大神宮(九州の“伊勢神宮”)の神官が小山田邑の“斎宮”に住んでいたとか…、
いや、それを考えるとまた寝られなくなっちゃうので、今日のところはこの辺で。
鬱蒼とした森に囲まれた『伊野天照皇大神宮』。 階段の右手には滝もあって、暑い日だったけど清々しいところです。 | 「岩井の滝」というらしい。 |
拝殿および本殿。静かで気持ちのいいところです。 | |
本殿の裏には何やら上に登る階段が…。 | |
「天照大神宮」の額がある神殿。こういう社殿の配置が“伊勢神宮的”なんでしょうか? さらに上には…。 | |
「古神殿跡地」というのがありました。かつてここにあった神殿を下に移築したということ? それとも全くの別もの? |
斎宮
糟屋郡久山町山田232
伊野天照皇大神宮
糟屋郡久山町猪野604
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