徳永B遺跡 5世紀前半(古墳時代中期)
山ノ鼻1号墳 4世紀前半(古墳時代前期)
気づいたら久々の更新。
息子が嘔吐下痢症になってすべての予定がとんだので、急遽徳永B遺跡の現地説明会へ。
例の“鍛冶屋の親方の墓?”と話題の古墳ですね。
古墳は2つ発掘されていて、どちらも5世紀前半ごろの円墳。
このあたりの今宿古墳群からは、同時期の前方後円墳もいくつか発見されているので、
墓の主は前方後円墳に葬られるような首長クラスじゃなく、それに従う身分だろうとのこと。
ひとつ(古墳2)は直径8mほどで石室もとても狭いけど、
鍛冶道具とみられる鉄鉗(かなはし/熱した鉄を挟む“やっとこ”のようなもの)が見つかった古墳1は、石室を二つに分ける仕切りがあったり、床には小さな石が敷き詰められていたりと、なかなか興味深いものでした。
古墳2の石室の幅はわずか30cm程度。 |
古墳1の石室。右下に太刀のあった錆の跡が残ってる。
件の鉄鉗は、X線写真で見ると今の道具と何ら変わりないもの(それだけシンプルな道具なんだろうけど)。
これは鍛冶職人の聖地といえるところかもね。
今回の出土品。こういうのをナマで見られるのも現地説明会の楽しみの一つ。 |
これが今回見つかった鉄鉗。長さは50cm程度。
ピンセットのように、板状の鉄を折り曲げて作られた道具。何に使われたのやら…。 |
たまたま(というより、たぶん今回の現地説明会にあわせて)すぐそばの山ノ鼻1号墳も特別公開していたんだけど、ここは葺き石の跡から前方後円墳ということが分かっただけで、見たところはただの四角い盛り土でしかなかった(造成なんかでつぶされちゃったんでしょう)。
しかし、今宿古墳群は古墳時代の初期から後期までの古墳が集中していて、古墳の変遷を知るいい見本になるとのことでした。
※参照:徳永 B 遺跡第4次調査成果について
福岡発掘図鑑5(福岡市博物館)
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