見出し画像

雑感録

福岡なるほどフシギ発見〜おまけ39〜 最澄と雪舟ゆかりの寺

 
紅葉シーズンのうちに制作中の寺本用の写真を撮っておこうと思っていくつかお参りしてきたんだけど、どうも今シーズンは紅葉が早かった模様。
雪舟作といわれる本坊庭園のある清水寺(きよみずでら)@みやま市もその一つで、もみじは紅を過ぎて茶色っぽくなって、くしゃくしゃ丸まって落ちていた。

 
本坊庭園保存費:大人300円
休観日:月曜(祝日、11月中を除く)、毎月18日(観音縁日)

このお寺に初めてお参りしたのは7年ぐらい前。
某プロジェクトでちっご(筑後)のネタを探して回ってるときに異様な雰囲気の五百羅漢と派手な三重塔を見つけたんだけど(当時は元気だったので仁王門からの参道は歩いて登った)、本坊庭園の方は単なる観光名所だろうと思って完全にスルーしていた。

 
首を繋ぎ直された石像が並ぶ五百羅漢と仁王門
 
山門
 
三重塔は大阪四天王寺五重塔を手本に文政五(1822)年に着工した。棟梁の死後は弟子達が受け継ぎ、当初計画の五重塔を三重塔に変更して天保七年(1836)年に約14年間の歳月をかけて完成した。
  
乳父観音。最澄の弟子の慈覚大師(円仁)は、唐より帰朝の 時嘉祥元年(848年)に世の子どもたちが健全に育つようにとの願いをこめて観音像を彫刻し、お堂を建てて供養したという。お願いの時に乳房を形どったものを奉納する人が多い。祈願成就のお礼に、絵馬や千羽鶴を奉納する風習も残っている。「乳観音」と「乳観音」を用いる書があるが、母(乳)と父の親に見守られ子どもが無事成長することをを祈る観音さまなので 「乳父観音」の字が正しいとのこと。


しかし、今回下調べをしていたら、本坊庭園は遣明使の帰国後、応仁の乱で田河(川)郡に留まって魚楽園や英彦山旧亀石坊庭園などを作った雪舟の作(作風から推定)とある。
また、寺伝によると、清水寺自体も遣唐使から帰国して間もない最澄が合歓の霊木を見つけ、これを刻んで2体の千手観音を作り、うち一体を京都の清水寺に安置。もう一体を安置する堂をこの地に創建したのがみやまの清水寺の起源であるという。
まあ、京都の清水寺によれば、京都の観音像を作ったのは行叡居士という老仙人から霊木を授かった賢心という坊さん(後の延鎮)らしく、最澄の九州での足取りもよく分からないんだけど、最澄については独鈷寺を開いた後にこっちに寄っていたとしても不思議ではない。
そういう訳で、清水寺。
件の最澄作(伝)の丈六の千手観音は本堂に秘蔵されているが、8月9日の夜観音朝観音(よがんのんあさがんのん)の時だけご開帳され、この日に参拝すると46,000日お参りした功徳があるといわれているのだとか。

 
千手観音が納められている本堂。表には最澄を導いたという雉にちなんだ民芸品・キジ車が飾られている。
 
阿弥陀堂。
 
撫仏。


お参りしてる間、妙に腹が痛かったので、撫仏のお腹を撫でて帰ってきた。

 大きな地図で見る


--CONTENTSへ--

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「なるほど」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事