小郡官衙遺跡(国指定史跡)
7~8世紀(飛鳥時代~奈良時代)
小郡は昔からため池が多く、野鴨猟が盛んだったところ。
わずかに残る鴨料理屋では、今ごろ旬の鴨焼きや鴨鍋なんかを出してるんでしょうなあ。じゅる…。
という訳で、太宰府の南にある小郡は筑前・筑後・肥前の境にあって、古くから交通の要衝として開けていたところで、大宰府政庁が設けられたころには、南(有明海側から)の守りとしても重要な場所だったはずだ。
その小郡に、小郡官衙と呼ばれる、北部九州では大宰府に次いで大規模な官衙遺跡がある。
当時の行政区分として大郡・中郡・小郡というのがあったらしく、このあたりは筑後国御原(現三原?)郡という「小郡」だったところ。
もちろん、この「小郡」が地名の由来になってる訳だけど、村役場程度の機関にしては小郡官衙跡はでかすぎる。
大量の鉄鏃(てつぞく=矢じり)なんかも出土しているそうなので、軍事拠点としての機能もあったに違いない。
であれば、水城、大野城、基肄城(基山)、そして小郡と、大宰府を囲む防衛網が揃う訳だ(たぶん)。
芝生広場に掘立柱の跡が再現された小郡官衙遺跡。住宅街の中にあって、車でのアプローチは非常に分かりにくい。西鉄の線路脇(東側)から入るのがいいようです。 |
官衙跡は第I期(7世紀中頃~後半)、第II期(7世紀末~8世紀前半)、第III期(8世紀中頃~後半)、および第I期以前の4期に分けられるらしい。旧石器時代の遺物も出土してるのだとか。 |
現地説明板にあった第II期建物復元想定図。 |
ついでに九州歴史資料館に行って、古代衣裳体験などしてきました。
小郡官衙遺跡
大きな地図で見る
--CONTENTSへ--