かねてからの念願かない、4月20日(木)、メンバ-のSさん、Yさんと四つ頭茶礼参列の為、建仁寺に出かける。
8時からのご生誕法要にも参列したく、7時20分頃建仁寺に到着したが、もっと早いお出ましの方々が既に並んでいる。
(法要参列に並ぶ人達)
中国の茶礼に基づく四頭の茶会があるのは、法要のある本坊の大方丈。
とりあえず受付を済まし、並ぶ。
暫くすると、本坊に入ることが出来、廊下をうろうろしているうちに大方丈で法要が始まった。
参列はもちろんできないが、大方丈の外からは僧侶による法要を見ることが出来た。
お席入りは、三席目の為、法要の後、座布団の並べられた大方丈の近くの待合で暫し待つ。
ここで少し、ミニ知識を・・・・・。
四頭茶礼とは、中国南宋、元の時代に大きな寺院で行われていた茶礼で、日本には鎌倉時代栄西禅寺が禅と共に伝えられたとされる。
いわゆる茶道の始まりの始まりである。
パンフレットによると、江戸時代には建仁寺開山忌(御命日6月5日)の食事儀礼の一部として行われたが、のち栄西禅師誕生日に四頭茶会となる。
今年で876回目。
案内の僧侶の話だと、昭和26年か29年あたりに一般人も参列可能となったとか。
事前に僧侶の説明を受け、着座の位置は待合で確認し、長~~い待合の後、ようやく順番がくる。いざ大方丈へ!
大方丈に入るのは、四頭(正客)に準じた相伴客8名、計36名。コの字形廻らされた畳に着座する。
正面には、中央に栄西禅師の御絵像、両側は室町時代の画家、秋月の龍とトラの図が飾ってある。
部屋の真ん中には、中国から渡来した青磁の香炉。
僧侶の献香の後、縁高に入った紅白の紋菓子と、抹茶(建久の白)が入った天目台&天目茶碗が運ばれる。
縁高の中身は写真のお菓子&醤油で煮つけたこんにゃく(ぴりコン)。
写真のお干菓子は持ち帰り、こんにゃくだけ食する。
後、薬缶と薬缶の注ぎ口に茶筅をさし運ばれ、客は天目台&茶碗を持ち上げ、お湯をいれてもらい僧侶が各客の前で点てる。
飲み方は天目台ごと頂く。
お茶は美味しかったけれど、あまり茶筅を振らないので、やはりだまが残る。
一席約20分であっという間に終わった感じ。これが23席繰り返し行われるという。
とりあえず、メインの四つ頭茶礼が終わりやれやれと、次は副席へと向かう。
副席の最初は、久昌院、境内の西側にある。
(久昌院の庭)
ここでも待ったなぁ~~~。
ようやくお席入り。裏千家、金沢先生のお席。
軸は確か、”緑垂煙外柳”(淡淡斎)、吉野棚。香合は都鳥(半七)、小庵好み、夜桜棗(宗哲)。桜もち。後はよく覚えてないなぁ~・・
先生の話だと、京都以外のお客さんが結構おられ、中には海外からも。
慌ただしいお席が終わると、時間は11時半。早朝からでお腹も減り久昌院の隣の塔頭で点心を頂く。
薄味で美味しい!御膳を運ばれるのは僧侶。中には青い目の僧侶もおられた。
お腹も膨れ、いざ2席目堀内流のお席の霊洞院へ。
ここでも長~~い間待つ。
(同席のメンバ-)
(庭を掃く可愛い小僧)
そして、最後の席、煎茶席の両足院へ。
(両足院へのアプロ-チ) (咲き始めのつつじ)
気分的に、ここが一番待った気がする。待つのも正座もいよいよ限界に近い。
そして、ようやくすべてのお席が終了。
(栄西禅師の碑に一礼のSさん)
季節は少しづつ移り始めている。庭に咲くボタンが堂にはえる。
茶会のあと、東陽坊を見学。天井絵、小泉淳氏画の龍の絵を見、全て終わったのは午後3時ごろだったろうか?
清々しい春の日、歴史ある建仁寺で重みのある行事に参加出来、満足の一日だった。
御一緒のSさん、Yさん有難う。
四つ頭茶会も行台子のお稽古も初めてのことで緊張しました。
長い長いお茶の歴史。昔、庶民は飲めなかった。
最後の一滴までも大事にいただかなくては。
先生 ありがとうございました。
栄西のもたらしたお茶は、時を経て茶道という日本文化の一つに息づいているのですね。
Sさんはじめ皆さんと共有出来、嬉しく思います。